第五章 欲望の獣

第一話 聖女は迷宮の謎を知る

 コローテに連れられ、私は数人の護衛と共に彼の薬草園を訪れていた。


 「地上から持ち込んで、迷宮内で栽培しておいたものだ」


 数日かけて、コローテがあちこちに植えてあるその薬草園の状態を確かめ、必要な分を摘み取っていく。その作業を、旅団本隊をと行き来しながら進める間に、私とコローテは様々な知識の共有と意見のすり合わせを行っていた。


 「色々と環境を変えて、試してみたのじゃがな……」


 そう言ってコローテは腰をかがめ、白い花の咲く薬草を摘み取っていく。


 「でも……」


 私はいくつか薬草園を見て回り、今、目の前に咲いている薬草の白い花を見て、その間に感じていた疑問をコローテにぶつけてみることにした。


 「環境と植生がばらばらじゃありませんか?この薬草は本来、涼しくて乾燥した土地か、高原でしか育たないはずです」

 「おう、聖女といえど、さすがにその位の知識は知っておるか」

 「茶化さないでください」


 ため息を吐いて、私もコローテの隣に並んで言われた分だけ薬草を摘み始める。


 「……薬草だけではないわい。その辺の木や草花も、湿地の水草やその辺の苔も全部が全部ばらばらじゃ」

 「それを、迷宮ダンジョンに長期間潜って調べてたんですか?」

 「まあな」


 はあ、と息を吐いてコローテがものげにうなずいた。


 「どうしてそんな事が起こるんだと思います?」

 「迷宮の中の道理に、ワシの知る理屈が通用するなら、誰もこんな苦労なんぞしとらんわい」

 「……ごもっとも」


 私も腰をかがめて目の前に咲き誇る白い花を摘み取っていく。


 迷宮内の理屈が、私の知る地上の道理に当てはまらないのは、もうこの何日かで実感させられたことだ。


 コローテは無言で薬草を摘み取っていたが、ふと、その手が止まった。


 「……実を言えば、一つだけ……一つだけ、まさか……、もしかしたら、そうなのではないかと思うことがあった」

 「えっ?」


 私も薬草を摘む手を止めて、年老いた〈土精霊ノーム〉の薬師を見詰めた。

 コローテは黙りこくったまま、こちらを振り返らない。


 「どうかしたんですか?」


 私がその肩に手を置くと、コローテはようやくこちらを振り向いた。


 「コローテ……?」


 その振り向いたコローテの落ちくぼんだ目に浮かぶ光に、私は息を呑んだ。


 人間の精霊種と比べれば圧倒的に短い生の、そのほんの十数年しか生きていない赤子同然の私の前で、百年以上生を積み重ねてきたはずの〈土精霊〉の老人が、怯えの表情を浮かべていたのだ。


 「何が、あったんですか?」


 私が尋ねると、コローテは自分の手の中にある薬草の花を見詰めた。


 「……少し前、研究が行き詰った時期があった」


 白い薬草の花。本来、こんな森の中に咲くことのない花に囲まれて、コローテはぽつりと独りちるように語り始めた。

 私は、それをただ黙って続きを促した。


 「希少な薬草が必要だったんじゃな。それはさすがに地上でも見つけられず、当然のことながら、この迷宮の中の薬草園でも栽培はしとらんかった」


 コローテの目は薬草の白い花でなく、どこか遠い場所を見詰めている。


 「疲れ切ったワシは、薬草園の手入れをしておる時につい考えてしまったんじゃ。……これらが全て、その希少な薬草に生え変わっておったらな、と」


 コローテは大きく息を吐いて、摘み取ろうとしていたその薬草を握り締める。


 「それから数日経って、その薬草園の様子を見に来た時……あの光景が目に焼き付いて離れんかった……」


 そして、コローテは腹の底から大きく息を吐いて、私に告げた。


 「本来生えることのない場所、本来生えることのないその薬草の花が、満開になって咲き乱れておったよ」

 「…………」


 私はしばらく言葉を失って、薬草園に咲く花の中、コローテを見詰めていた。


 「……その薬草は」


 喉の奥がはりついたようにふさがっていたのを、どうにか声を押し出して、私はコローテに尋ねた。


 「結局、どうしたんですか?」


 コローテはふっと、私から背中を向けて、再び薬草を摘み始めた。

 その答えは、短く簡潔だった。


 「全て焼き払った」


 〇


 束になって選り分けた薬草を背中に担ぎ、護衛の団員が周囲を油断なく警戒する中で、私はコローテと共に旅団の本隊へと合流する道をたどった。


 「そういう得体の知れない物なら……迷宮の中の資源を利用するのは避けた方がいいんじゃないですか?」


 水や動物や、私たちが今まさに運んでいる、薬効のある植物など、人の身体に使っていいものだろうか。

 私が率直に懸念を伝えると、コローテは気に入らなさそうに鼻を鳴らした。


 「理想を言えばな。……しかし、そうも言っていられん状況というのは多々ある」

 「……確かに」

 「気休めかもしれんが、ワシやお前のような適切な知識を持った者の手を介して使用する、というのが有効なのかもしれん」


 そう言って、コローテは憂鬱そうに息を吐いて私を見上げた。


 「薬効や用量、副作用や影響などを正しく理解した者の手を介することで、無茶な効用や効果を期待する『欲望』の抑止となるかもしれん、ということだ」

 「つまり……」


 私はコローテの言葉を自分なりに反芻はんすうしてみた。


 「『傷にも病にも副作用なく強力な効用を得られる万能薬』なんてものが存在しない──存在したとしても、それがどれだけ不条理で無茶な物か理解している私たちの手で『鑑定』することで、迷宮の影響を排除できる、と?」


 私が告げると、コローテはおもしろくなさそうに鼻を鳴らして私の前を歩いた。


 「それだって希望的観測にすぎんが、な」


 そう言って、背中の薬草束をかつぎ直すコローテの背中に、私も後に続いた。


 〇


 私たちはコローテの薬草園の薬草を一通り採取して旅団の本隊と合流した。

 その時には、最初は遠くに見えていた岩場だらけの山の麓に到達していた。


 「亜人の襲撃があった他は、まあ順調にここまで来れたよな」


 リュッカがやれやれとばかりに息を吐くのに、私は彼を振り返る。


 「ここから先はまた、様子が変わるの?」

 「そうだな。しばらく道が険しくなるし、足元に気を付けて」


 リュッカが注意を促すが、もう私を過度に気遣うような様子ではなかった。

 私も、迷宮の中で面食らうことが多かったけど、次第に探索のやり方自体には慣れてきた。


 〈黒き塔の旅団〉は迷宮の『奥』を目指す攻略集団だ。

 私とコローテが薬草を補充する間も本隊は迷宮の奥へ突き進んでいたのだ。


 そのペースにもようやく慣れてきた所だ。


 「コローテともうまいことやっているみたいだし、俺からすればそれだけでもすごいよ」

 「うまくやってる、と言えるのかな。あれは……」


 コローテは相変わらず聖女の癒しの力に対して不信感を抱いているし、救護班の仕事以外で言葉を交わすことはない。


 「その仕事の話でついていけるのがすごいってこと」


 リュッカは感心したように私を見た。


 「イサリカって、薬草や毒草の知識や、怪我や病気の処置も知ってるからさ」

 「何もかも聖女の癒しの力に頼りきり、ってわけにいかなかったからね」


 かつて、神父様と一緒に暮らしていた間のこと、〈大陸正教会〉の暗部で訓練を受けた時のことはそれとなく濁してリュッカに説明する。


 「怪我や病気を治すのに、ちゃんと勉強しないといけないことは沢山あったから」

 「そっか、えらいな、イサリアは」


 そう言って、岩だらけの谷間に続く道に歩を進めるリュッカが朗らかに笑う。

 私は少し照れ臭くて、その笑顔から目をそらした。


 「子供じゃないからそういう言い方はやめて」


 そんなやりとりを交わしてから、谷間の道を丸々一昼夜、険しい岩だらけの細い道を歩き続けた。


 普段、山歩きに慣れないのでさすがに堪えた。

 ただ、渓谷の景色は地下世界といえど明媚めいびで、水の音が心地よかった。


 さわやかな水音を立てる滝や渓流を横目に岩場の道を進んでいくと、次第に幾筋も川がより集まってきた。


 (地下世界に、こんな光景が広がってるなんて……)


 水量が増えてきたと思ったら、いくつも滝が連なり流れ落ちる場所に行き当たって、私はその絶景に思わず足を止めて見入ってしまった。


 段々になった畑のような段差ができた岩場に、耳をろうする轟音を立てて流れ落ちる瀑布ばくふに圧倒されてしまう。


 気が付くと、ヴァレンシアが私の隣に立っていた。


 「滝とか川とか、水場が好きなの?」


 そう尋ねられて、少し口ごもりつつもうなずいた。


 「……景色がいいから、見ている分には」

 「そっか。じゃあ、この先の景色も気に入ってもらえるかな」


 そう言って嬉しそうに去っていくヴァレンシアの背中を、私はどういう意味なのだろう、と真意を図りかねて見送った。


 ──その言葉の意味は、それから少し後、辺りが暗くなり始めた頃に分かった。


 滝の連なる渓谷を〈黒き塔の旅団〉は順調に通り過ぎる。


 私は渓谷を抜けた先で、次第に広く緩やかになる川の流れの先に眼をやった。


 そこに、あちこち小島の浮かぶ、まるで海のように広大な地下の湖が広がっているのだった。

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