第三話 聖女は過去の呼び声に惑う

 団員の何人かが松明たいまつを灯して掲げるのが見えた。


 「分かっていると思うけど、決して隊列から離れないように!自分の前後に誰がいるのか把握して、姿が見えなくなったらすぐに報告すること!」


 洞窟の壁にヴァレンシアの声が響き渡った。


 こんな入り口から何か警戒する必要があるのか、と疑問に思う。

 すると、私のすぐ一歩前を歩いていたリュッカが振り返った。


 「俺たちが最後尾だ。イサリカはちゃんと俺の背中についてきて」

 「うん、それは分かったけど……」


 その理由を尋ねようとしたが、リュッカはすたすたと足早に歩き出してしまった。


 私は不思議に思いつつ、周囲に視線をめぐらせた。

 そう大きな洞窟ではないはずなのに、何故か松明の光が壁に届いていない。


 (どうなっているんだろう……)


 それどころか、ぼんやりしているとすぐ前を歩いているはずのリュッカの背中まで暗闇の向こうに見えなくなりそうになる。私は慌てて足を速めた。


 まるで、洞窟に一歩足を踏み入れたその場所から、真っ黒な霧に包まれているみたいだ。少し離れて掲げられた松明の光さえ、どんどん弱々しくなっている。


 「ちょっと、リュッカ、待っ……っ!」


 リュッカを呼び止めようとした途端、何かにつまずいた。

 とっさに固い岩の上に手を突いて倒れるのだけは避けたが、これはまずい。

 慌てて顔を上げて闇の中、叫んだ。


 「リュッカ!」


 鼻先も見えないような闇の中、すぐ前を歩いているはずのリュッカを呼んだ。

 しかし、返事がない。私の声がすうっと暗闇に吸い込まれるように消えていく。


 背筋に冷たいものが滑り落ちた。


 (落ち着け、こんな周りが見えない暗闇の中を歩き回ったら、本当にはぐれる」


 震える手で、革ベルトに吊るしてあったカンテラを手に取り、火を灯す。


 足元しかまともに照らせない、光を吸い込むような暗闇の中だが、私がついて来ないことに気付いたリュッカだったり、彼が知らせた団員の誰かが私を見つける目印にさえなればいい。


 こんな時に取り乱したら駄目だ。


 不安や恐怖は正常な判断を鈍らせる。こんな暗闇の中で一人取り残されて、それらを感じないなんてわけにいかないが、そういう感情に手綱を握られてはダメだ。


 暗部で受けた訓練を思い出し、目を閉じて何度も呼吸を繰り返した。


 (大丈夫、大丈夫だ……)


 そう、自分に言い聞かせていた時だ。


 ──『イサリカ』


 暗闇の中、自分の名前を呼ぶ声を聞いて、私は目を見開いた。


 「……リュッカ?」


 カンテラを手に、周囲を照らして自分を呼んだ相手の姿を探す。


 「リュッカ、なの?」


 『イサリカ、おいで。こっちだ。こっちにおいで』


 「……っ!」


 暗闇の向こうに聞こえた穏やかな男の声に、私は思わず息を呑んだ。


 「そんな……嘘……まさか……そんなはず、ない……」


 『イサリカ?どうしたんだ?こっちに来なさい』


 小刻みに震え出す自分の体を止められない。

 両腕できつく自分の体を抱いて、私は冷たい岩の上にうずくまった。


 『イサリカ……?何をしているんだい?』


 「……っ!神父様がこんな所にいるはずないっ‼」


 私は闇の中から聞こえてくる声に耳をふさぎ、精一杯かぶりを振って叫ぶ。

 目尻を涙の粒がこぼれ落ちる感触がした。


 **


 「ちょっと!皆、ちょっと待ってくれ!」


 ヴァレンシアは、隊列の最後尾の辺りから聞こえてきた異常を知らせる声に足を止めた。


 自分の後ろに続く松明の明かりを振り返り、そこに続く団員たちの顔を見渡す。


 「みんな!一度、足を止めて!前後を確認して!」


 ヴァレンシアの号令で全員がぴたりと足を止め、それぞれ前後にいる団員の姿を確認している。


 「なに!?一体何があったの!?」


 暗闇の中叫ぶと、最後尾から一人、ヴァレンシアに向けて足早に駆けてきた。


 「ヴァレンシア!」

 「リュッカ……?」


 獣人種の少年の焦った顔に、ヴァレンシアは眉根を寄せる。

 彼の前後にいたのは──


 「ヴァレンシア!ごめん!俺、ずっと足音が聞こえていたから、イサリカがついて来ているもんだと思って……!俺、ちょっとだけ目を離してたら……!」


 リュッカが泡を食って報告する声を聞いて、ヴァレンシアはとっさに隊列の後方へと駆けた。


 自分の後ろにいたミラを振り返り、団員全員に向けて号令をかける。


 「全員、その場を動かないように!ミラ、私が戻るまで団員の指揮をお願い!」


 そして、リュッカと共に洞窟の後方へと駆けながら、全員へ向けて叫んだ。


 「分かってると思うけど、私やミラ以外の……誰かの声を聞いても、絶対にその声に従わないで!いいね!?」


 **


 「やめて……そんなこと、思い出させないで……」


 私は暗闇の中、ぎゅっときつくまぶたを閉じて耳を塞いでいた。


 『……イサリカ?どうしたんだい?こっちにおいで?』


 「神父様は死んだの!殺された!私の所にもどってくるはずがない!」


 叫んで、自分の口からこらえきれずに嗚咽おえつがこぼれ出た。


 私は──

 わたしは──


 野盗に生まれ育った村を焼き討ちされた。

 幼かった私自身も大怪我を負って半死半生だったのを、通りがかった〈大陸正教会〉の神父に救われたのだ。


 ──気が付いたかい?


 ベッドに横たわり、半身を包帯に覆われた私をのぞき込む神父様──アルヴァレスと名乗ったその人の穏やかな顔を覚えている。


 ──わたし、何もおぼえていません、神父さま……。


 ベッドの上でうつむく私に、神父様はただゆっくりとうなずいた。


 ──家族のことも、村のことも……ぼんやりとしか、思い出せません。

 ──そうか……。自分の名前は。覚えているかい?

 ──名前、ですか?


 暖かな空間で私の名を呼ぶ、おぼろげな温かい誰かの存在が幼い私の頭によぎる。


 ──……イサリカ。そう、呼ばれていた……気がします。


 ベッドから起き上がれるようになるまで長い時間がかかった。

 左半身を覆っていた包帯が全部とれるまでは更に長い月日がかかった。


 ──イサリカ、君は元気になったら何かしたいことがあるかい?


 神父様が住んでいるのは、大きな町の片隅にある小さな教会だった。

 そこで私は、ゆっくり回復するまで、神父様に見守られて過ごした。


 ──……神父さまのように、なりたいです。


 私は幼いなりに必死に考えた答えを口にした。


 ──神父さまがわたしを助けてくれたように、困ったり、傷ついたりしている人たちを助けられるようになりたいです。


 神父様は穏やかに微笑み、私の頭をなでた。


 ──そうか……イサリカが望むのならきっと、その願いは叶うよ。


 教会の庭を歩けるようになって、しばらく経ったある日のことだ。

 幼い私は庭の隅で、巣立ちに失敗したのか、羽を折って地面に落ちている小さな鳥を見かけた。


 弱々しく羽で地面を打って、なんとか再び空へ飛び立とうともがいている小鳥。


 私はその小鳥をなんとかできないものか、と手で包み込むように拾い上げた。


 その時──鳥の体の温もりと鼓動を感じたその瞬間──


 私は自分の左手に柔らかな熱を感じ──気が付くと、掌の上の小鳥は折れていたはずの羽を広げて、力強くはばたき空へと飛び立っていた。


 信じられなかった。


 幼い私はそれが自分のしたことだとは理解できなかった。

 まるで魔法を目にしたように空へはばたいていく鳥の姿を見上げていた。


 ──ぼくの言った通りだったろう?イサリカ。


 いつのまにか庭に出てきていた神父様が、呆然としている私の肩に手を置いた。


 ──イサリカが望むのなら、きみのその純粋な願いはきっと叶うよ。


 〇


 それから──それから──


 私は、闇の中から響く神父様の声を遠ざけるために思い出をたどる。


 私は癒しの力をもった聖女の力に目覚めて、神父様とともに町の怪我人や病人を救った。〈大陸正教会〉の本部からも大勢の人が来て、私は正式に癒しの力をもっていると認められて──


 (それから長い間、神父様と家族同然に教会で暮らして……わたしは……私は、成長して、きっと大人になっても、ずっとそんな日が続いていくんだって疑いもしていなかった……)


 だけど──


 (あの夜のことは、よく覚えている……)


 その数日前から神父様の様子が落ち着かなげだった。

 後から考えてみれば、それが前兆だったのだ。

 神父様は私に隠そうとしていたけど、数年間、一緒に暮らした相手のことだから、よく分かる。


 (それで、あの夜、寝静まった後、神父様の部屋で物音がしたから……)


 心配で、こっそり中の様子をうかがってみたのだ。


 (神父様は、窓の外を気にしていた。そわそわして、落ち着こうとして、それでも全く落ち着かない様子で何かを小声でつぶやいていて……)


 その時、私は聞き耳を立てた。聞き取れたのは──


 聞き取れたのは──


 「イサリカ‼」


 突然、力強い声に名前を呼ばれて、私ははっとして顔を上げた。

 私の足元に転がったカンテラの揺れる光が蜂蜜色の髪を照らしている。


 「イサリカ、平気?どこも怪我はない?」


 私の目の前に膝を突いて、顔をのぞき込むその少女。


 (皇女……ヴァレンシア……)


 あの夜──神父様が何者かに殺された、あの夜──


 その直前に、神父様の口からもれ聞こえた、その名前──


 まさに、その相手が今、私の肩に手を置いて心配そうな眼差しを向けていた。

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