第二話 聖女は初めて迷宮に足を踏み入れる
〈黒き塔の旅団〉は、そのまま〈ソルディム〉の街の通りへと繰り出した。
ヴァレンシアを先頭をする集団は、〈ソルディム〉の大通りに出ると、整然と列を成して歩き始めた。
「ごめん、イサリカ、俺行かなきゃ」
それまで隣に立って歩いていたリュッカが、申し訳なさそうに私を振り返った。
「リュッカは団の幹部だからね。私はちゃんとついていくから、大丈夫」
「うん、ほんとごめん。また後で戻ってくるから」
「気にしないで」
軽く手を振ると、リュッカはもう一度「ごめん」と頭を下げて駆けていく。
私は彼の背中を見送って、列の最後尾辺りの集団に埋もれてついていった。
大通りに整然と列を成して歩いて行く〈黒き塔の旅団〉は一国の軍隊のようだ。
見物人や団の関係者の見送りを受けて、大通りは華やかな雰囲気に包まれていた。
(……皇女ヴァレンシアの率いる探索者集団、〈黒き塔の旅団〉)
大陸の中枢都市である〈帝都〉。この大陸に住まう全ての種族の融和と平和の象徴でもある皇帝の居城──〈皇の黒塔〉にちなんで名づけられたこの集団は、実質、ヴァレンシアの率いる軍でもあるのだろう。
そして、私はその内側に潜り込んだ、獅子身中の虫、だ。
(
その『奥』にたどり着く前に、ヴァレンシアの命を奪う。
通りに出た人々の歓声と注目を一身に受けるヴァレンシアの背中。
最後尾近くの集団から私は彼女を見詰めて、左手で拳を握り締めた。
──私のことを見定めて欲しい。
ヴァレンシアはそう言ったけど、だけど──
──私にだって、譲れない目的が、あるんだ。
〈黒き塔の旅団〉は大通りを通って〈ソルディム〉の街の城門を出た。
流民の集落を、彼らの注目を受けて、更に外へ向かって歩いて行く。
そこまで来ると隊列も自然と崩れて、団員たちはそれぞれに所属する集団ごとに打ち合わせなどし始めた。
私は当然のこと救護班に所属しているのだが、これまで基礎的な訓練や準備に追われてまだ顔を合わせられていなかった。
それらしい人が周りにいないか視線をめぐらせる。
すると、突然、流民の人だかりの中から私に向かって誰かが飛び出してきた。
「聖女様!」
そう呼ばれて、思わず「あっ」と声が出た。
私が最初に〈ソルディム〉の街に来たあの日、城門で衛兵と押し問答になっていた獣人種の若い母親だ。今日も幼い子供を胸に抱いていたが、あの時苦しんでいたその幼子はきょとんとした目つきで私を見ていた。
「ああ……」
二人のその姿を見て、思わず息がもれた。
「よかった。この子、ちゃんと回復したんですね」
「聖女様のお力と、口添えがあったお陰です」
若い母親は私に向けて深々と頭を下げる。そして、改めて私の姿を見た。
「聖女様、〈黒き塔の旅団〉の方だったのですか?」
「いいえ。あの時は街に来たばかりで、あの後、色々とあって……」
私が詳しい事情は濁して話すと、若い母親は何か思い至った様子で懐を探った。
「あの、聖女様、わたし、急な事でこんなことしかお力になれませんが……」
若い獣人種の母親は飾り紐の付いた木彫りのお守りを懐から取り出した。
私は驚き、慌ててかぶりを振った。
「そんな……そんなつもりでやったことじゃ……」
「すみません。こんなことされても聖女様のご迷惑になるかもしれませんが」
若い母親はうつむいて、自分の胸に抱える我が子を見詰めた。
「この子の父親も、探索者だったのです。この子の為に、迷宮に潜って、少しでもお金を貯めて街の中に家を買おうと……」
私はその言葉に、以前、ヴァレンシアと見た探索者たちの墓場を思い起こす。
「結局あの人は、ある日、迷宮に潜ったきりふっつりと姿を消してしまいました」
「そう、だったんですか……」
「だから、わたし、聖女様が迷宮に潜るのに、何もできないのがもどかしくて……せめて、気持ちだけでも……どうかお持ちください」
そう言われて、私は母親の差し出すお守りを見詰めた。
磨いた小石の飾りの付いた、簡素なお守りだった。
ずっと大事にしてきた物らしく、木目は年季の入った飴色を帯びていた。
「あの……分かりました。でも、これは大事な物でしょうから、戻ってきた時、必ずお返しします」
私がそう言って、お守りを落とさないように懐に納める。
若い母親は「はい」と、涙ぐんでうなずいた。
私と母親のやりとりを見ていた幼子が不思議そうに私を見詰めている。
その無垢な瞳に一つ笑いかけ、母親には「それでは」と別れを告げて私はもうそれなりに距離のある旅団の行列に向かって慌てて駆けた。
最後尾に追いついて一息吐くと、ふと視線を感じた。
列の先頭から、いつのまにかヴァレンシアが背後を振り返っていた。
それなりに距離があって確信は持てなかったが、その視線は私を向いているように見えた。
〇
流民の集落を抜けると、やがて行く手に放棄された村とおぼしき一角が見えた。
今日、この場所に初めて足を踏み入れた私も、話には聞いていたので分かる。
ここが、本来の〈ソルディム〉だった場所だ。
区画を区切っていたらしい石垣だけが残った荒地となった畑。
崩れかかった煉瓦積みの土台と壁が残った建物の周りに、他の探索者らしい武装した男たちがたむろしていた。
彼らは大勢を率いて連れている旅団に向けて、決して友好的とは言い難い鋭い眼を向けている。
彼らの姿を横目に見ていると、列の先頭辺りからリュッカが私の隣へ駆けてきた。
「……ああいう連中のことは見ない方がいい。顔を覚えられたら面倒だから」
「同じ探索者なのに?」
「出発する時、ヴァレンシアも言ってたろ?」
リュッカは憂鬱そうに息を吐いた。
「探索者同士だって、いつでも助け合い、情けの掛け合いをしているとは限んないさ。同業者と言っても結局は迷宮の中のモンの奪い合いになるし……」
そう言って、リュッカは廃墟となった村のそこかしこで目を光らせる探索者たちの姿にぴんと頭頂部の耳を立てる。
「特にウチはさ、他の探索者からすれば目の上のたんこぶだと思う。ヴァレンシアの掲げる目的が目的だし……」
「誰より先に迷宮の『奥』に到達して、可能ならこれ以上、探索者が迷宮に集まらないようにする、か」
「そ、だから、〈黒き塔の旅団〉に入ってたら、下っ端でも顔と名前覚えられると面倒なことになる」
そして、リュッカは背嚢を背負い直して小さく苦笑を浮かべた。
「まあ、イサリカもその内、いやでも実感すると思うよ」
「そうなのかな……」
そんなやりとりをリュッカと交わす。
そうしていると、行く手に新しい石積みの壁と重そうな両開きの鉄の門に囲まれた施設が見えてきた。
予め門は開けられていて、その奥にあるものが私の目にも見て取れた。
「あれが……」
思わずつぶやく。
見た目には、掘り起こされた
入り口が崩れ落ちないようにアーチ型に煉瓦が組まれ、周囲にはかがり火を焚く為の台座や小さな衛兵の詰所のような建物も見えた。
しかし、周りに見えるのはそれだけだ。
〈ソルディム〉の、異空間迷宮。
私は、その実感のわかないまま、暗闇の深淵をのぞかせる入り口に、一歩、足を踏み入れた。
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