第七話 聖女は皇女の一団に加わる

 「……っ、いいっ加減さぁっ!少しは本気出してくれたっていいじゃんっ!」


 一度、間合いを離したヴァレンシアが荒い息を吐いていた。

 その顎からしたたり落ちる汗を手で拭いながら彼女は叫んでいる。


 向かいで力みのない構えで木剣を持つミラが軽く肩をすくめる。


 「相変わらず小憎らしいなあっ!むかつく‼」


 ヴァレンシアが悔しげに吠えて、弓を引き絞るように木剣を引く。

 そして、大きく踏み込み、雷光のような刺突を放った。


 はたから見るとしかと見定めることができないほどの一撃だったが、ミラが完全に見切った動きで、すっと横に動いた。


 ミラが片手に握った木剣が、ひゅっと空を切る音を立てた。


 「っ!」


 全く力を入れた風に見えないその一撃が、ヴァレンシアの木剣を高々と跳ね上げた。ヴァレンシアの体勢が大きく崩れて、背後に数歩よろめく。


 「あちゃー、また派手にやられてんなぁ……」


 横でリュッカが声を上げるのに、私は思わずそちらを振り向いた。


 「訓練、してるんだよね?いつもあんな感じなの?」

 「最初の内は勝負にもなんなかったみたいだよ。俺は直接見たわけじゃないけど」


 リュッカがそう呆れ気味に説明する間にも、何度も仕掛けたヴァレンシアがミラにあえなく一方的にさばかれている。


 「ヴァレンシアだって、相当に強いはず……だよね?」

 「そりゃもう。ヴァレンシアにかなう奴だってうちの団にはいないよ」


 私は呆気に取られて再び訓練場の方へ眼を向ける。


 ヴァレンシアは消耗しきってもう足取りもおぼつかない。

 それに対して、ミラの方は息切れ一つしていない。


 なにより、そんな見た目以上の力量差があるのが、ヴァレンシアの態度から分かった。渾身の一突きを、軽い一振りに弾かれてヴァレンシアはがっくりとうなだれた。


 気持ちまで折れそうになっている。

 私は、苦しげな彼女の顔に、自然と拳に力が入っていた。


 ヴァレンシアが、このまま負ける──?


 自分でも理解しようのない、胸の奥が冷えるような感情が沸き起こった時だった。


 「ああああああっ!」


 不意に、ぐっと全身をばねのように引き絞ったヴァレンシアの姿がおぼろにかすんだ。気が付けば、低く身を屈めたヴァレンシアが、ミラの間合いの内に入り、上方へ向けて突きを放った。


 木剣の切っ先が、ちっ、とミラの仮面の端をかすめた。


 「……やった!」


 自分でも気付かない間に、声がもれていた。だが──


 ──仮面の十字の切れ込みの奥からミラの眼光が鋭く光った。


 次の瞬間、どっと鈍い音を立てて、ミラがくるりと掌で持ち替えた木剣の柄頭をヴァレンシアの腹に叩き込んでいた。


 もう限界だったであろうヴァレンシアの全身から力が抜けて、くたりと倒れ込む。


 その体を、ミラが抱き留め、ひょいと担ぎ上げていた。


 「いやー、最後のはちょっと惜しかったけどなあ」

 「まだまだ賭けも成立しないか……」


 訓練を見守っていた団員たちが、口々に感想をささやき交わす声が聞こえる。

 彼らは次第に、潮が引いていくようにその場を離れ、リュッカが「ミラ」と名前を呼んで訓練場の方へ駆けていく。


 「うわぁ……。ヴァレンシア、完全にのびちゃってんな」


 担ぎ上げられたヴァレンシアの顔をのぞき込んで、リュッカが顔をしかめた。

 ミラが無言のまま、ヴァレンシアを担いで訓練場を下りてくる。


 ──「おい、ガキども、さっきはよくも逃げやがったな」


 すると、背後から憎々しげな声がかかる。

 驚いて振り返ると、カティスが眉間に盛大にしわを寄せて私を見下ろしていた。


 「おい、ミラ、ちょうどいい。リュッカの馬鹿がそこの女にべらべらと団の中のこと喋りやがった。これから話を聞くからお前も……」


 そう言って私の手をつかもうとしたカティスの前に、音もなく影が立ち塞がる。


 「おい、ミラ……」


 ミラだった。カティスが困惑顔で鏡のように磨かれた仮面を見ている。


 「お前までどういうつもりだ?」


 カティスが苛立たしげに問い詰めるのに、ミラは相変わらず無言のまま答えない。

 やがて、カティスの方が盛大に舌打ちした。


 「どいつもこいつも勝手にしろ!俺は知らねぇぞ!」


 そう言って大股に歩き去っていくカティスの背中を見送った後で、私はミラを振り向いた。


 「あの……」


 すると、何も言わずにミラが担ぎ上げていたヴァレンシアの体を猫のようにひょいと寄越してきた。


 「えっ?えっ?」とこっちが困惑の声を上げるのにも構わず、私の腕の中にヴァレンシアを託すと、ミラは背中を向けてしまった。


 呆然としていると、肩越しに小さな傷のついた仮面が振り向いた。


 「回廊の奥の一番高い塔の上に、ヴァレンシアの部屋がある」

 「えっ……」


 仮面の奥から聞こえたくぐもった声が、一瞬、ミラのそれだと気付かなくて私は思わず声を上げた。


 「手当の道具も一通りある。よろしく頼んだ」


 そのまま訓練場を悠然と歩き去っていくミラの背中を私は呆然と見送った。


 〇


 ヴァレンシアの体に付いた土埃と汚れを軽く払い落してから、彼女の部屋へと足を踏み入れた。

 

 尖塔の上の個室は、窓からの見晴らしはいいけれど、皇女の住まう部屋とは思えないほどこざっぱりとして、物が少なかった。


 窓の向こうに見える〈ソルディム〉の街並みに目を細める。

 一つ息を吐き、打ち身と擦り傷だらけのヴァレンシアの手当てに取りかかった。


 「……訓練でこんな風になるなんて」


 ミラの方も容赦がないが、これで何度も挑みかかれるヴァレンシアも、どうなっているのだろう、と呆れてしまう。


 処置を終えると、私はヴァレンシアを寝かせたベッドの横に椅子を引いた。


 ヴァレンシアは気を失ったまま、目を覚ます気配がない。


 せめて、意識を取り戻すまでは、と思っていたけど──


 そう考えてながら、ふと、自分は何をしているのだろう、と暗い感情の影が胸のうちで首をもたげた。


 (皇女という地位を感じさせない……気さくで、親切で、優しくて、ひた向きで、皆から尊敬されて……)


 でも──


 (私とあなたと、何が違うっていうの……)


 私は自分の左手を見下ろす。


 (あなただって、皇女という立場の裏で、いくらでも後ろ暗いことに係わっていたんじゃないの……?)


 私は、自分でも意識しない内に左手の手袋を取っていた。

 ──アグリスの喉をつかんだ、あの時の感触が残る手。


 (仮に、あなたが知らなくたって……。あなたを、皇帝を……大陸の平和を守る為に、どれだけ裏で血が流れたのか……)


 伸ばした左手で、私は眠るヴァレンシアの頬に触れた。


 (その中には、無実の人だっていくらでもいたはず……)


 左手の掌にヴァレンシアの体温を感じる。彼女の、生命力も。


 (…………あの人みたいに……)


 ヴァレンシアの頬に触れる手に力を込めた。その時──


 ──「……イサリカ?」


 名前を呼ばれて、私は思わず手を離して大きく飛び退いた。


 「……あれ?ここ、私の部屋……?あれ?そっか……」


 ヴァレンシアがまぶたを擦りながら体を起こす。

 すっかり元のように、何も気付かない様子で。


 「いって……。そっか、ミラにこっぴどくやられたんだっけ」


 痛そうに腕をさするヴァレンシアの姿に、私は何も気付いていないのだと悟った。

 ごくりと唾を呑み込んで、左手に手袋をはめる。


 「イサリカが手当してくれたの?」

 「う、うん……。ミラさんに、言われて……」

 「そっか」


 言うなり、ばったりとベッドに身を横たえてヴァレンシアはまぶたを閉じる。


 「ありがとう」


 ぽつりとつぶやかれたお礼に、どう答えたものか分からない。

 ただ、私は無言で椅子の上に腰を下ろした。


 「礼を、言われるような、ことじゃ……」


 ようやく、それだけ言うと、ベッドの上に横たわったヴァレンシアが目を見開き、私の顔を見上げた。


 「イサリカって私のこと、多分、嫌いだよね?」

 「えっ」


 思わず、息が詰まるほど驚いた。


 「さすがに分かるよ。嫌いとまではいかないかもだけど、苦手なんだろうな、って。いつも目を合わせてくれないし、笑った顔を見たのも酒場で、取り繕うように言った一回きりだし」

 「それ、は……」


 私は、ヴァレンシアのまっすぐな目を見ていられずにうつむいた。


 「……じゃあ、なんで、私を……勧誘なんか……」

 「それはね」


 ヴァレンシアは体を起こして、窓から見える〈ソルディム〉の街を眺めた。


 「この街にある迷宮ダンジョンが、人の欲望を取り込み際限なく膨らんでいくって、〈帝都〉の学者が言ってた話、覚えている?」

 「……うん」

 「私はさ、〈ソルディム〉の街の為に、大陸の平和の為に、この厄介な迷宮を攻略しようと思ってる。だけどね」


 椅子の上でうつむいている私を、ヴァレンシアが見ている気配がする。


 「私のこういう気持ちは多分、私の大切な人が小さい頃、私に言ってくれた言葉が元になっているのだと思う」

 「……!」


 私は驚きのあまり顔を上げた。ヴァレンシアは穏やかな笑みを浮かべている。


 「大陸の平和に全てを捧げた人だった。生まれてからいなくなってしまうまで、その意志を貫き続けて……」

 「その、方は……」

 「ひょっとしたら、私はその人に近づきたいのかも。今はもうそばにいなくなってしまったその人に認めてもらいたい……そういう『欲望』があるのかもしれない」


 ヴァレンシアはそう言って、真剣な表情で私を見詰めた。


 「私のこの想いが欲望なのか、そうでないのか、見定めて欲しい。……そういうことを頼める人が、私には必要なんだ」


 ヴァレンシアは身を乗り出して私の手に触れた。

 私の、手の上に、自分の手を重ねて。


 「根拠なんてないのかもしれない。だけど、イサリカなら、私を見定めてくれるかもしれない。……そんな予感が、するんだよ」


 そう告げて、改めて皇女は聖女わたしに告げる。


 「だから……私と一緒に来て欲しい。迷宮の『奥』へ」


 その言葉に対する返事を、私は自分でも意識せぬ内に答えていた。

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