第六話 聖女は無自覚に篭絡する

 私自身の足で〈黒き塔の旅団〉を訪ねて、さてどうしたものか、と考える。


 「話を通してある、わけではないだろうしなあ」


 そんな事を考えていると、門の上から不意に「おーいっ!」と快活な声が下りてきて、私は頭上を振りあおいだ。


 次の瞬間、門の上から私が立っているすぐそばに、小柄な影が飛び降りてきた。


 「わっ!」

 「あんた、あれだよな?〈猫の手亭〉の新しい店員……えっと……」


 小柄な人影がこちらを見上げてくるので、その顔をまじまじと私は見詰める。

 幼さの残る獣人種の少年だった。名前は覚えていないけれど確かに見覚えがある。


 「……イサリカ!そう、イサリカだ!」

 「うん、そう。あなたは、えっと……」

 「俺はリュッカ!リュッカだよ!あん時はちゃんと名前言ってなくてごめんなー」


 気にした様子もなく笑うリュッカの笑顔に、なんとなく気持ちがほころんだ。

 そのリュッカが、不思議そうに栗色の目を見開いて私を見詰める。


 「ってーか、イサリカ、うちの前で立ってたけど、なんか用事があんの?こんな所偶然通りがかるってわけでもないだろーし」

 「ああ、うん。そうだよね、実は、えっと……」


 リュッカの朗らかな態度に緊張がほぐれた部分はあった。

 しかし、今回私は決して遊びに来たわけではないのだ。


 「……ヴァレンシアに、会いたくて……」

 「あー、そういやヴァレンシアの奴も、なんか言ってたような……」

 「ほんと?」

 「うん。まあ、俺も詳しいこと聞いてないんだけどさ」


 それで彼なりに確認が取れたのだろう。リュッカは納得して大きくうなずいた。


 「今、ヴァレンシアはちょっと忙しいかもしんないけど」

 「えっと、待たせてもらうことは、できない?」


 私が尋ねると、リュッカは雲一つない空のような笑みを浮かべた。


 「もちろん、イサリカさえよけりゃ、俺が中を案内するからさ」

 「ほんと……?ありがとう」


 私が礼を言うとリュッカがぱちぱちと何度か目をしばたいて、私を見た。


 「リュッカ?」


 呼びかけると、心ここにあらずといった顔つきになったリュッカがはっとして首をぶんぶんと横に振った。


 「なっ、なんでもない。じゃあ、ちょっとごめんな」

 「えっ」


 そう言うなり、リュッカがその小柄な体に見合わない強い力で、ひょいと軽々、私の体を抱え上げた。


 「あの、門から入るんじゃ……」

 「えっ?それだとわざわざ開けるのに時間かかるし、面倒臭いじゃんか」


 なんでもないことのようにリュッカは言って、私の体を抱え上げる。

 彼はぐぐっとばねのような強靭きょうじんな足で地面を踏み締める。

 まさか──


 「あの、ちょっと、待って、リュッカ……。私、急いでいるわけじゃないから、普通に、門から……」


 私が懸命に訴えかける声も聞こえていないのか、リュッカはそのまま門を飛び越えて──飛び越えるどころか、屋敷の屋根を見下ろす位の高さまで跳躍して、屋敷の敷地に入った。


 「────っ‼」


 私の声にならない悲鳴が響き渡った。


 〇


 「こっ、腰が……立たない……」

 「ごめん。いや、マジでごめん。つい、いつもやるようにやっちゃって……」


 足取りのおぼつかない私をリュッカが手を取って支えて、屋敷の奥へと進む。


 屋敷の中は〈黒き塔の旅団〉の団員とおぼしき、種族も年齢も様々な人々が行き交って、活気があった。最も迷宮探索の進んだ、探索者集団だ。誰もが自信と余裕を感じさせる立ち振る舞いで、腕利きなのだろうと分かる。


 そんな団員の間を、リュッカは物怖じもせずに進んでいく。

 彼の堂々とした態度に、私はそのあどけなさの残る横顔を見た。


 「ひょっとして、さ。リュッカて団員の中でも、偉い人、なの?」

 「へへー、気付いちゃった?」


 リュッカが得意げに私を振り返った。


 「俺はまだまだ団に入って日が浅いんだけどさ、色々と団員の中で役割があって、その役割を束ねるリーダーがいるわけ。その一人が俺なんだよ」

 「……そっか、大所帯だから、そういう組織が必要になるんだ」

 「うん。救護班とか魔法班とか戦闘班とか」


 リュッカはそう言って、嬉しそうに鼻をこする。


 「ヴァレンシアが団長で、ミラが副団長。俺は迷宮内の斥候とか隠密担当」

 「斥候とか隠密……」


 私は、先ほど目の当たりにしたリュッカの跳躍を見て、内心でうなずく。

 あの強靭で俊敏な動きは、どこにいても重宝するはずだ。


 探索者の規模は、それこそピンからキリまであって、数人で浅い階層を潜って日銭を稼ぐ者もいれば、本格的な攻略集団として大掛かりな人数をようするものもある。


 〈黒き塔の旅団〉は当然、後者だ。


 だが、その強みは人数だけではないのだ。

 組織的な分担と秩序がはっきりしているらしい。

 それが、リュッカの言葉や周囲の団員の動きから分かる。


 (そうか。探索者になるとしたら、私はこういう相手の懐に潜り込んで、あざむかなければならない)


 ヴァレンシアと会ってみて、どう転ぶかは分からないけど、でも──


 (一度だけでも内部を見ておいて、良かった)


 案内してくれたリュッカには悪いけれど、私はこの人たちの、敵なのだから。


 ──「おい、リュッカ!」


 そんな事を考えつつ中庭の見える回廊に出ると、鋭い声がかかった。


 驚いて振り返ると、こちらも見覚えのある──聖職者の制服を着た、険しい顔付きの青年が大股にこちらへ近づいてきた。


 「なに部外者を中に入れてる!誰かにちゃんと相談したのか?」

 「カティス」


 リュッカが、いかにもまずい相手に見つかったと言わんばかりに顔をしかめた。

 カティス──そうだ、確か〈猫の手亭〉でも私に疑いの目を向けてきた──

 そう思い当たった途端、カティスの鋭い視線が私に向けられた。


 「待て、お前の顔……どっかで見たな」


 そして、記憶が蘇ったらしく、カティスは険しい表情を浮かべた。


 「おい、リュッカ。まさかお前、鼻の下のばしてこの女を屋敷ん中連れ込んでべらべら俺たちのこと喋ったんじゃないだろうな?」

 「そっ、そんなこと、するわけ……ない……」


 リュッカが、カティスの言葉にさすがに後ろめたそうに視線をそらす。

 あまりに分かりやすいその態度に、カティスが盛大に舌打ちをした。


 「おい、お前、イサリカと言ったか」


 カティスが強引にリュッカを押しのけ、私の手首をつかんだ。


 「何を、するつもりです?」

 「ちょっと話を聞かせてもらうだけさ」


 私が睨むと、カティスの方は恐れ入った様子もなく私を見下ろす。


 「安心しろ。後ろ暗い所がなけりゃ、すぐにでも終わる話だ」

 「…………」


 この状況で、正体を見破られるとは思わない。だけど──


 「ちょっと待て、カティス。イサリカはヴァレンシアに用事があって……」

 「お前は黙ってろ、リュッカ。このマセガキ」


 慌てて割って入ったリュッカをカティスがきつく睨みつけた。

 険悪な空気が、回廊の一角に流れた。


 その時──


 中庭の中央から、何事かどよめきの声が上がって、カティスがそちらを振り返る。


 「あん?何やってんだあいつら……」


 その途端、リュッカがひったくるようにカティスの手を私の手首をから払い除けてすかさず私の手をつかんだ。


 「あっ!こら、てめぇ!」


 カティスが私の手を引いて走るリュッカを振り向いた。


 「イサリカはヴァレンシアの客だって!どうあれヴァレンシアに会わせるのが筋でしょーがっ!」


 私の手を引いてリュッカが中庭へと駆け出す。

 私は他に選択肢はなく、彼の後について走っていると、カティスが後ろから鬼の形相で追いかけてきた。


 「そうはいくかよ!こらっ……!ガキども‼」


 カティスに追われながら中庭を駆けていくと、目の前に人だかりのできている一角があった。リュッカは一目散にそこへ向かっていく。


 その人垣の中に飛び込んで、リュッカが「はーっ」と息を吐いた。


 「ここまで来りゃへーきだろ……」


 大きく息を吐くリュッカを見て、私は改めて周囲を見た。


 「ここで、何を……」


 人垣の間から、彼らが何を囲んで湧いているのか、確かめようとつま先立ちになる。すると、訓練場らしい石畳の上で、誰かが木剣を打ち合わせているらしい光景が垣間見えた。


 「あっ」


 木剣を打ち合わせる二人の姿に、私は声を上げる。


 一人はヴァレンシアだ。そして、その向かいに立って、すっと隙のない構えで対峙しているのは、鏡のような磨き抜かれた仮面の人物──ミラだった。

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