SCENE 45:背景

 開会式が催されている中、コウイチは船内を歩き回っていた。


 シーラに会って、話を聞くためである。

 学園の地下施設、右手の紋章、インセクト、拡張人型骨格。


 忙しさを理由に蓋をしてきた謎に対して、向き合うことに決めたのだ。

 そしてこれらに答えられる可能性があるのは、シーラしかいない。


 そう思い、先ほどシーラの部屋を訪れてみたものの、不在だった。

 シーラは個人端末パーソルも持っていなければ、何か仕事を割り振られている訳でもないため、その居場所を特定するのは困難であった。


 実質的な世話係であるアイリに聞けば分かりそうなものだったが——『なぜ?』と問われた時、説明し切る自信がなかった。


 結果、当てもなく船内を彷徨うことになった。

 中央区画や食堂などを除いてみたが、あの特徴的な銀髪を見つけることは出来なかった。


(後は……娯楽施設レクリエーションエリアぐらいか)


 コウイチはそう1人ごちると、足を居住区画へと向けた。


 長距離航行を前提とした航宙艦には、乗組員の精神安定のため、自然環境を再現した部屋や仮想遊戯に興じる部屋などが標準的に用意されており、マグナヴィアもその例に漏れず各種設備が用意されていた。


 というより、拡張人型骨格オーグメントフレームのような兵器が搭載されている以上、マグナヴィアは軍艦ということになるはずのだが、それにしては娯楽施設や居住区画の占める割合が大きい。通常、軍艦であるならば、娯楽施設は最低限に抑えられるものなのだが。


 マグナヴィアの設計思想がともかく滅茶苦茶で、子供の殴り書きを無理やり形にしたような不自然さを持っている。


 だがそのおかげで、この異様な漂流生活に投げ込まれた生徒達も精神の安寧を保っているといえる。マグナヴィアの現在の作業シフトは三交代制なのだが、実際に娯楽施設で余暇を過ごす生徒達も多いのだ。


 コウイチが今更にマグナヴィアへの違和感を考えながら歩いていると、娯楽施設に到達した。

 様々な部屋へとつながる扉を眺めながら、コウイチは通路を歩いていく。


仮想現実没入室バーチャルルーム自然鑑賞室ナチュラルルーム日光浴室ライトルーム……酒場バーもあるのか)


 娯楽施設の多様さに感心しながら歩いていると、コウイチはある部屋を見つけた。

 扉には『展望室』と書かれており、誰かの入室を示す緑のランプが点灯していた。


「…………」


 コウイチは何となしに、ここだと思った。


 パネルに手をやり、扉を開ける。

 スライド式の扉の先に広がったのは、照明が絞られた薄暗い部屋だった。


 完全な暗闇でないのは、部屋の壁一面に貼られた大型液晶に写された宇宙背景のためだ。

 壁一面に隙間なく広がる宇宙の星々の景色は——勿論、擬似映像なのだが——ガラス越しに本当の宇宙をみているような錯覚を覚えた。


 部屋の中央には数段高く迫り出した展望台があり——そこに、シーラはいた。


 恒星の星々の光を反射する美しい銀髪に、その隙間に見える白い陶器のような肌と、そこに嵌め込まれた工芸品のような美しい青色の瞳。


 宇宙を背景に佇むシーラの姿は、まさしく一枚の絵画のようだった。


「…………」


 コウイチが入り口から動けずいると、いつの間にか振り向いていたシーラと目があった。


(あ………)


 ようやくその光景に見惚れていたことに気付き、コウイチは頭をガシガシと掻きながらシーラの元へ歩いて行った。


 階段を登り、半円形になっている展望台に上がる。

 縁の部分にはパネルが取り付けられており、液晶に流す画像を設定できるようになっている。


 今流れている映像は、コウイチにとって見慣れた故郷の映像——惑星ヒューゴのものだった。

 衛星軌道から見下ろす形で、青と緑に覆われた故郷の光景が眼前に流れている。


 シーラはコウイチが展望台に登る頃には視線を戻しており、そのガラス玉のような瞳でヒューゴの映像を見続けていた。


 いつも通りシーラの顔に表情は見えない。

 だが、微動だにせずヒューゴを見つめているその瞳は、何かを探しているように見えた。


「…………」


 そんなシーラになんて声をかけたらいいか分からず、コウイチも手すりに寄りかかり、眼下の映像に目を向けた。


 ゆっくりと回るヒューゴの地表の映像は、様々な種類を用意され、雲の形に朝と昼、長く見ていても飽きないように工夫されていた。


 ヒューゴの地表にポツポツと見え隠れしている円形の黒点が、地表での人類の生活拠点、天蓋都市ドームポリスだ。


 その名の通り、すっぽりと半球状の防護天蓋バイタルドームに覆われた密閉型都市だ。


 人類が太陽系を脱してから数世紀が経つ今でも、惑星地球化テラフォーミングには莫大な費用と時間がかかる。


 防護服なしで呼吸できる大気組成や紫外線、食物の育つ土壌へ惑星への負担なく変えるには、自律分子機械ナノスワームの絶え間ない労働によっても困難なのだ。


 開拓から3世紀余り経過したヒューゴはかなり進んでいるが、それでも人間が長時間防護服なしで活動にはまだ足りていない。


 故に、他の多くの惑星上の人類も天蓋都市の中で生活している。

 その流れていく天蓋都市の中にコウイチの故郷、天蓋都市カナベラルがある。


 しかしそこでの日々は、幸福と同量の痛みをコウイチに想起させるものだった。


(…………)


 降って沸いたように胸に広がった苦味を誤魔化すように、コウイチは口を開いた。


「——この前は……その……助かった」


 コウイチはヒューゴの映像へ目を向けたまま、そう告げた。

 それは勿論シーラに向けての感謝だったが、気恥ずかしさから、真正面からは言えなかった。


 だがその言葉に返答はない。

 コウイチがちらりと横目で見ると、シーラがその水晶のような目をコウイチに向けていた。


 その目は何のことだか分かっていないように思えて、コウイチは補足した。


「4日前、拡張人型骨格オーグメントフレームで、俺を連れ帰ってくれたんだろ」


 そこまで言いようやく理解したのか、シーラがこくんと僅かに頷いた。


「お前に助けられるの、——だよな」

「…………」


 コウイチの確かめるような視線に、シーラは真っ直ぐに見返した。

 その瞳を見て、コウイチは確信のようなものを得た。


「あの時、ドックで撃たれた俺を助けてくれたのも、お前なんだろ」


 コウイチの脳裏に浮かぶ無数の血液の球と、燃えるような痛みが蘇る。


 あの時確かに、コウイチは撃たれた。

 だがこうして、生きのびて——が起きた。


 コウイチは目を瞑り、体ごとシーラに向き直った。


「お前に、聞きたいことがあるんだ」

「…………」


 コウイチの動きに合わせるように、シーラも身体を向けた。

 依然として黙したままだが。


紋章これが何か、知ってるんじゃないのか?」


 コウイチはシーラにかざすように、右手の甲を見せた。

 そこには何も浮かんではないが、コウイチの記憶には確かにあの模様がこびりついている。


紋章あれが浮かんでから、変なものが見えたり、拡張人型骨格オーグメントフレームを操縦できたり——どう考えても、普通じゃない」


 インセクトの襲撃前に脳裏に浮かんだビジョン。

 拡張人型骨格の知識と操縦と戦闘技術。


 どれも、コウイチには無かったはずのものだ。


紋章これは、何なんだ? ……俺は、一体——」


 ——

 その疑問は、言葉にすることはできなかった。それを口にしてしまえば、自分の推測だけじゃない、本当のことになってしまう気がしたからだ。


 コウイチの必死な顔を、シーラが真っ直ぐに見つめている。


 シーラが記憶喪失なのは知っている。

 だが僅かでも知っている可能性があるのは、シーラだけだ。


 縋れるのが藁でも、縋るしかなかった。

 コウイチは、先日の戦闘で、自分が決定的に変わってしまったことを等々自覚させられた。


 あの時——血まみれの通常宇宙服を脱ぎ捨てた時から、薄々勘づいてはいたのだが、後回しに、考えないようにしていた。


 だがこうして、後少しで帰れる段になって、考える時間が出来てしまった。

 そうなればもう、逃げることは出来なかった。


 そんなコウイチの視線をシーラは受け止め——俯いた。


「わから——ない」

「…………!」


 コウイチにとってその返答は、自身の疑念と不安が解決されないと決定したも同然だった。

 その事実に、コウイチは少なからずショックを受けた。


(俺……は……)


 自分は一度、死んでいる。

 そんな根拠のない実感が、コウイチにはあった。


 本来死ぬべきだったはずのコウイチが、何か魔法のような力で生かされている。


 だが、この世に魔法はない。

 コウイチを生き返らせた力が——生かしている力が、無くならないという保証はない。


 何の前触れもなく、無くなるかもしれない。

 次の瞬間には塞がっていた銃痕が開き、血が溢れ出すかもしれない。


 自分が、正体不明の力に命を握られている。

 命綱を握っているその何かが気まぐれで手を離せば、あっけなく死ぬ存在。


 極寒の湖の上に貼られた薄氷の上に、体一つで立たされているような、そんな感覚。

 それが、コウイチにとってたまらなく怖かった。


 コウイチが何も言えずに俯いていると、シーラがポツリと呟いた。


「私には——何も——ないから」

「…………」


 シーラが自発的に口を開いたことへの驚き。

 そしてその声音に、感情のようなものが乗っている気がして、コウイチは顔を上げた。


 しかしシーラは顔を三度、ヒューゴの擬似映像へと向けており、その瞳に惑星を写したまま呟いた。


「ヒューゴ——故郷——


 単語だけを繋げて話すシーラの口調は、辞書から言葉を引っ張って出力するアンドロイドのように拙い。だがその言葉一つ一つに、シーラの感情が確かにあった。


「私は——」


 シーラはそこで言い淀み——コウイチを見た。

 その目は子供が母親に尋ねるような、純粋な色をしていた。


「私は————いいの?」

「——!」


 コウイチは、身体に電流が走ったような衝撃を受け——次いで、自分の余りの身勝手さに吐き気がした。


(俺は……)


 シーラの帰るべき場所。

 記憶を失っている彼女にとって、それはどこにもないに等しい。


 コウイチが出会ったのは、ローバス・イオタの地下施設。

 マグナヴィアがあった、謎の研究施設。誰もない、人の温もりのない、冷たい機械だけの暗い地下。


 ——あんな所が、シーラの帰るべき場所?


(……そんな訳ない)


 そう否定しつつも、コウイチはどうすればいいのか分からなかった。

 シーラがあの研究施設に——恐らく軍に関係しているのは確かだ。


 もし、このままヒューゴに帰ればどうなるだろう。

 多分、ローバス・イオタの生徒達は保護されるだろう。元々身分が明らかでないと学園には入れない。


 だが、シーラは?

 多分、軍に連れていかれるだろう。


 記憶がないということは、シーラから自発的に身寄りを探すことはできない。

 そしてそれは、何の情報も持たないコウイチにとっても同じことだ。


 じゃあ、自分が引き取る?

 馬鹿な。それこそ許されないし、叔父夫婦に引き取られている自分に、そんな権利はない。


 シーラの子供のような瞳から目を離せない。

 離せないまま、コウイチは何も言えなかった。


「私は——どこに——いればいいの?」


 シーラもまた、何かに縋るようにコウイチに尋ねた。


「おしえて——コウイチ」

「…………」


 シーラの表情に変化はない。

 だが、その瞳は僅かに揺れていて——はぐれた親を探す迷子の子供のように、不安の色を示していた。


 しかしコウイチはシーラの問いに答えることは出来いまま、重い沈黙が流れた。


 コウイチが無理矢理にでも言葉を吐き出そうと、拳を握ったその時——闖入者が現れた。


「……コウイチ?」


 闖入者はアイリだった。

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