23 従姉、大虎になる
みひろさんの引退配信が始まった。
みひろさんはいつもの戦闘用の服でなく、シンプルで品のいい、年齢相応に見えるセットアップを着ている。画面に、おめかししたうーちゃんが映る。
「さすが秋田美人、清楚なファッションも似合うね」
「んだすか? だばってあたしは本物の秋田美人でねんだすよ。秋田美人ズのは雄物川流域で採れた人のことで、あたしは米代川流域の」
「難しいね……。きょうはね、私の昔の仲間に会いにいきます。連絡したらぜひ来て、って言われたけど、もうずいぶん疎遠になってるからねえ」
そんな話をしているところに、車椅子の人が現れた。少しやつれているが蓮太郎さんだ。
「どうも、絶叫でお馴染みの蓮太郎です。ダンジョン配信はやめたんですけど、本業のネタにできるかと思ってノコノコ顔を出しました」
蓮太郎さんがそう言ったので、梶木さんに、蓮太郎の本業ってなに? と聞く。
「作家だよ。違う名前名乗ってるからわかんなくて当然だよね。前に勧めた面白い小説書いたの蓮太郎だよ」
「ええ!?」
ぜんぜん知らなかった……。
とにかくその3人は、のどかにおしゃべりしながらみひろさんの用意した車椅子対応のタクシーに乗り込んだ。
そのまま3人は、小ぢんまりとした一軒家の前で停まった。自律ドローンカメラが自動で配慮して、近所の風景をぼかしている。
「うわ、マジでわたしの家に来ちゃうの!? きょう乾燥機壊れて庭に洗濯物干してるのに!」
梶木さんが悲鳴を上げた。まあ悲鳴を上げるのも仕方のないことだと思う。
一軒家は東京23区内にある一軒家としては平均的なところではないだろうか。その「梶木」と表札の出た家のインターフォンを、みひろさんが押した。
「ちわ」
「みひろか。入って」
男性の声。梶木さんのお父さん、つまりカジーさんだろう。
うーちゃんが蓮太郎さんの車椅子を押して段差を乗り越えた。ドアから中に入ると質素で清潔な印象の家具や台所が目に入る。
「へいらっしゃい!」
そう声を上げたのはひこまろにーさんだ。ニコニコしながら手際よく料理をしている。さすがに持ち出せないのでダンジョン産の食材ではないが、驚くほど手際がいい。
「ひこまろにー! ひさしぶり! いまは料理研究家やってるんだって?」
「おう。さすがに板前やるには有名人になりすぎたからね」
そう言ってつきだしが出てくる。居酒屋か。
つきだしに出てきたのはキャベツの浅漬けだ。ジップロックに入れて持ってきたらしい。
向こうから車椅子のおじさんが現れた。梶木さんのお父さん、通称カジーさんだ。
その瞬間チャットが沸いた。
「カジーさんだ!」
「カジーさんがおじさんになってる!」
「カジーさん、あいかわらず優しそうなひとだ……」
「カジーさんとひこまろにーとみひろが同じ画面に映ってるとか奇跡? そのうえうーちゃんと蓮太郎もいるとか奇跡?」
「俺ダンジョン配信視聴初心者なんだけど、カジーさんってメタルゴーレムからみひろ守って大怪我して引退って認識でいいの?」
「それでいいと思う」
「いやあいいものを観ている」
そんなチャットをよそに、画面のなかではみんなでポリポリとキャベツを食べている。
「んーおいしい! これ何サ漬けたんだすか?」
「それは俺のチャンネル見て貰えばわかるから。あ、ひこまろにーのアーカイブじゃなくて『包丁人彦谷チャンネル』のほうね」
「蓮太郎くんの配信は娘が好きでね、絶叫するたび『最高……!』って言ってたよ。車椅子に仲間入りすることになって残念がってた」
カジーさんが笑顔で言う。僕の目の前の梶木さんは顔を真っ赤にしている。
「俺はいま義足の練習してるんスよ。病院から自由の身になったら家で趣味のゲーム配信でもしようかと思ってるとこっス」
「それならまだまだ絶叫が聞けるね」
「え、蓮太郎さん病院抜け出してきたんだか!?」
「もちろん外出許可は取ってるよ。看護師さんにもけっこう配信観てくれてたひとがいて、みひろさんの引退配信に呼ばれた、って言ったら泣きながら許可通してくれたよ」
僕の目の前で、梶木さんがボロボロと泣いていた。
ハンカチを渡す。梶木さんは遠慮なく目元を拭った。
画面のなかではみんなで、ひこまろにーさんの作った料理をぱくぱく食べ、それに合わせてやっぱりひこまろにーさんが選んできたお酒をくいくいと飲んでいた。日本酒だ。「北鹿」という酒蔵のお酒のようだ。
「これ、うーちゃんのガチ地元のお酒なんじゃない?」
ひこまろにーさんが笑顔で言う。うーちゃんは「んだす……! 近くの文化会館がネーミングライツで」とまで言ったところで、みひろさんに「実家特定されるから気をつけて」とツッコミを入れた。遅かった気がする。
とにかくダンジョン配信のレジェンドと若手ののどかな昼から呑んじゃう動画はとても楽しそうで、これがレジェンドのひとりの引退動画なら、その配信人生は幸せだったのではなかろうか、と思った。
梶木さんは、自前のハンカチを取り出しつつ、ひとつつぶやいた。
「父さん、すごく楽しそう。父さんがこんなにニコニコしてるの、幼稚園児時代以来で見た」
梶木さんは詰まりながらそう言う。
その日はなんだかんだ配信が終わる夜まで、喫茶店でコーヒーを飲んで粘った。喫茶店のマスターも、親切におかわりをただで飲ませてくれた。僕たちもフレンチトーストを注文した。
アパートに帰って少ししたら、みひろさんに送られてうーちゃんが帰ってきた。うーちゃんは清楚が崩壊した大虎になっていたのだった。
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