【7章】敗北者たち

【第38話】Re:Boot

 午後十一時すぎ。

 その生放送は何の前触れもなく始まった。

 

 とある配信サイトにて、

 『いま最も勢いがある配信者ランキング一位』の座に六ヵ月連続で君臨する『櫃辻ちゃんねる♪』──その場で突如オンエアされた尺にして僅か三〇秒にも満たない配信の内容は、こういうものだった。



〝……えー、どうも。こんばんは。櫃辻ミライです……〟

〝今日は、リスナーの皆様に大切なお知らせがあります〟

〝わたくし櫃辻ミライは……本日を以て配信活動をやめ──〟

〝櫃辻様、すとぉぉ──っぷ!〟

〝え、なにゲットちゃ……ふぎゃッ⁉〟



 唐突に配信画面にフレームインした和装系バニーガールが、陰鬱な面持ちで会見に臨む配信者の後ろから見事ヘッドロックを極めて、そのまま彼女が座っていたゲーミングチェアごと画面外へと連れ去っていった……


 一連の映像はアーカイブに残ることなく消去されており、運よくそれを目撃した一部のリスナーの間では、『ヒツジちゃんバニフラ事件』としてちょっとした騒ぎになった。




 それと同時刻、

 櫃辻宅のリビングには配信部屋から拉致ってきた櫃辻本人の姿が──


「……あぁ、なんか全部どーぉでもいい……」


 否、櫃辻のような何かが、芋虫のような格好でソファに転がっていた。


「……夢も希望もないあたしなんて、このまま消えちゃった方がいいんだ……どうせこのまま続けたって、そのうちみんなに忘れ去られてオワコン化するんだぁ……」


 彼女のトレードマークであるお団子は解けており、髪はどんよりとした彼女の相貌と同様にくたびれきっている。服も下着の上にTシャツ一枚としどけない格好で、かつて陽の気に包まれていた彼女とは程遠い、真逆のネガティブオーラに沈みきっていた。


「んはは。これはまた重症ですねー」

「ああ、ホントに。まさか配信やめるとまで言い出すとは思わなかったよ……」

「です。このままではネガティブキャラで売ってきた波止場様の立場が!」

「……そんな不名誉な売り方はしてない」


 渡鳥とのゲームが終わったあと、

 新世界運営委員会から先のスパイ行為を咎められた櫃辻は、録画データの一切を削除された挙句に今後一切の活動に厳しい監視を課されることとなった。

 

 偶然にも世界の終わりを知ってしまったが故の、不運な巻き込み事故。


 そして総ての手続きが終わり、

 自室に引きこもったかと思えばさっきの引退配信だ。


 今そこにいるのは、

 女子高生ストリーマー・櫃辻ミライの抜け殻だった。


 それほどまでに奪われた〝ユメ〟は、彼女の大部分を占める〝核〟だったのだろう。


「──あぁーッ、もうサイアク! あいつら映像だけじゃなくて、関係ないデータまで持ってくなんてッ……記録したエルピスコードのログも全部消された……!」


 そしてもう一人被害を被ったのが、井ノ森だ。


 彼女もまた同罪との扱いを受けており、先ほど家に押し入ってきた白装束の集団によって電子機器から《KOSM‐OS》からあらゆるデータを検閲され、疑わしきは罰せよの精神で軒並み押収、あるいは削除されてしまっていた。


 クラッシュしたローカルネットの復旧が完了したばかりだったこともあり、その怒りは余人には計り知れない。


「自分たちもコソコソ他人の家覗いといて、中立組織が聞いて呆れるわ……!」

「あんまし悪口言うと、連中にまた聞かれてるかもよ」

「聞かせてるのよ。それであいつらの目と耳が腐るなら、いくらでも罵ってあげる」


 今にも世界を転覆させかねない形相の井ノ森に、波止場は引き気味に諸手を挙げる。


「……ごめん、全部俺のせいだ。俺の問題に君たちを巻き込んだ」

「何? 覗き魔同士結託して、あたしたちを陥れようとでもしたわけ?」

「そうじゃないけど……でも、ほら。俺って〝不運〟なわけでしょ? きっとそれが悪さをして、君たちにとっても最悪な展開になったんじゃないか、って」

「……ふん、そうね。きっとこの世界が終わるのもあんたのせい」


 井ノ森はソファの肘掛けに座ると、表示窓ディスプレイを操作し残ったデータの整理をし始める。


 ……不運と幸運。

 それぞれの機能を担う〝世界の設計図グランドソース〟の断片──

 

 井ノ森が盗み聞いた話の内容は、噂が本当だったことを裏付けるものだったが、そこに世界の終わりなる秘密が隠されていたのは、彼女にとっても想定外。大きな誤算だった。


 今回の騒動の原因は、結局のところ総てそこに帰結する。


「──で、世界が終わるってのは。本当なの?」

「……多分、としか言い様がない。でも俺は、世界がバグる瞬間をもう二回も見てる」

「まぁ実際、管理塔サーバーのメインシステムがバグってるなら、いずれはパンドラそのものが崩壊してもおかしくはない。けど、そのバグをあたしたちは認識できない、と」

「です。どうやらエルピスコードを持つ人間様と、その脳に付随する《NAV.bit》だけは静止世界を認知できるようですね。エルピスコード自体がメインシステムのコードを書き記した設計図という話でしたし、それ故になんらかの耐性が得られるってことでしょう」


「だからこそ、あいつらはその断片を集めたがってる。筋は通ってる」


 そしてそのための方法がパンドラゲームによる強奪。そのための駒として、新世界運営委員会は波止場を利用する腹積もりなのだろう。


 しかもよりにもよって〝不運〟な少年に協力を仰ぐ辺り、彼らも相当切羽詰まった状況にあると見える。


「で、あんたはあいつとの取引に応じるつもり?」

「……そうした方がいい、とは思ってる」

「あたしたちを人質に取られてるから」

「そうじゃない、とは言えないけど……一応世界のため、って大義名分はあるし」

「じゃあ何を迷ってるんです? 波止場様は」

「……解らないんだよ。俺の〝不運〟が、次にどんな最悪を引き起こすのか」


 DDとはもう一度だけ会話を交わす機会があった。


 彼は波止場の過去を協力の対価として提示してきたわけだが、そこにさらに〝櫃辻と井ノ森への不干渉〟も追加してきたのだ。

 逆に言えば、協力を拒めば彼女らに更なるペナルティが課される可能性もある。


 彼の提案には、そういう含みがあった。


 選択肢はない。

 そうと解っているのに、どうしても最悪な想像が頭をよぎるのだ。


「……善かれと思って君たちの許を離れようと思ったけど、そのせいで俺を助けようと櫃辻ちゃんは渡鳥ちゃんと戦って、ユメを失った。その前だって俺は記憶を取り戻そうとしてたはずなのに、今ではその記憶すらどうでもいいだなんて本末転倒な状況になってる。


 俺が何かをしようとすると、必ず最悪な方に転がっていくんだよ。もしかしたら連中に協力することで、もっとよくない結果に陥ることだってあるかもしれない。


 だから俺は、これ以上なにもしない方がいいんじゃないか、ってさ……」


 路地裏で目覚めて、記憶を失って、何もないところから始めて。ようやくこの世界にも馴染んできたと思った矢先、それは足元から崩れ去った。


 この先もきっと希望を懐いては絶望に落とされての繰り返しなんだろうな、という予感だけがある。最悪の先にまた新しい最悪があって、最悪だけが肥大化していって、いずれはその最悪に圧し潰されるのだ。


 そしてこんな愚痴を聞かせている今の自分はもっと最悪だな、と波止場は自嘲する。


「……ヒツジは──」


 それを聞いて井ノ森は、反射的に彼女の言葉を思い出していた。


「この世界にどうにもならない最悪はない。ヒツジは最期にそう言ってた」

「……え、あたし死んだ?」


 井ノ森の後ろでソファに突っ伏したままの櫃辻が呟いていたが、そんな友人の姿などまるで目に入っていないかのように、井ノ森は遠い目をして壁の隅を見やる。


「あんたがその様子なら、あいつは結局……それを証明できなかったみたいね」


 井ノ森は表示窓ディスプレイを閉じると、はぁ……、と溜息をついて自室の方へと歩いていく。


「あいつの名誉のために言っとくけど、櫃辻ミライがそこでそうなってるのは自業自得。ゲームに負けたせいであって、どこぞの不運なんかに負けたわけじゃない」

 

 スライド式のドアが静かに閉じて、井ノ森は部屋に閉じ籠ってしまった。

 僅かな静寂のあと、リビングに取り残された波止場は意外そうな顔で目を瞬かせる。


「……もしかして井ノ森ちゃん、俺のこと励ましてくれてた?」

「んはは。きっと一ビットくらいは」


 厳しい言葉ではあったが、その僅かな心遣いには幾分か救われた気持ちになる。


 いま思うと、こんなにも不運な人間が井ノ森や櫃辻のような好人物に出逢えたのは、ある意味では奇跡と言っていいのではなかろうか。


 そんな感慨に耽りながらソファに深く腰を下ろした波止場は、体内の空気を入れ替えるためにもう一度深く、息を吐く。

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