10 対策してくれることになってありがたく
「このままだと帰らない、と書いてある」
「えっ」
頭を抱える伯爵に、メイド長は驚いた。
「すまないが、サリガンスとアデリー夫人をここに呼んでくれ」
サリガンスは執事、アデリー夫人は家政婦長だ。
かしこまりました、とメイド長は書斎を後にする。
「私の育て方に落とし穴があったのだな」
いえ、と私は手を挙げて制する。
「それは小父様のせいではございません。誰もが普通はそうだ、と思い込んでいたのです。私はたまたま大家族ですし、どうしてもこちらに比べれば細やかさが欠けますし」
今では大概の貴族が何かしらの事業だの商売をしている。
それでも、ここのように昔から書物を扱っているところと、青果卸売を主体としているうちでは、そもそも生活も気質も違うのだ。
「まあ…… 確かに、そうだな。思い込みとは怖いものだ。私もだからてっきり、ザンフォートのことを好ましいとまではいかずとも、相手として認めていた、と思っていた」
確かにそうだ。
私だってもう少しで、浮かれたままマーシュを送り出してしまうところだった。
「だがこれでは駄目だ。あの子が辛いだけだ」
私も手紙の内容は知っている。
どうしてもあの人は嫌、生理的にだめ、触れられるなんてぞっとする、そういう言葉がこれでもかと連なっているはずだ。
たった一人の、妻の忘れ形見でもある娘がここまで言えばこの方なら大丈夫だろう。
きっと話をつけてくれる。
「それで小父様、これは私の独り言なのですが」
「何だね?」
「もしこれで、しばらく実際の式だの何だのが流れることとなったならば、少し時間が空きますね」
「そういうことになるな」
「二つ、調べていただきたいことがあるのです」
「二つ?」
「はい。一つはそのザンフォートさんの金回りを。もう一つはマーシュの健康について」
「……君はずいぶん、以前会った時より、言うことが変わったな。金回りか?」
「見込んだ方ですから、何もないに越したことはないのですが、万が一、ということもありますし」
私は苦笑する。
「多少なりとも疑うことを覚えてみんな大人になっていくのですから」
まあこの程度にごまかしておこう。
「あと、マーシュのお母様は、妊娠で身体を壊し、出産で命を落としたと聞いています。マーシュにも同じ体質が伝わっていたら、と思うと私は心配で」
伯爵はとんとん、と指でしばらく机を叩いていたが、やがて大きくうなずく。
「マーシュリアは侯爵邸にいるんだな」
「こっそりと、ですが」
「確かスノウリー嬢はあの子のことが昔から大好きだったな」
「ええ。私から見ても妬けるほどに」
私は肩をすくめ、伯爵はふう、と一息。
「今日の宴はマーシュリアが謝恩会の席上で倒れて寝付いてしまい、予定変更して懇親会ということにしよう。君はそのことを伝えに来たということで。侯爵家にはお礼の手紙を書くこととするし、あれが『寝付いている』間については、よくよく頼んでおこう」
「ありがとうございます」
「ザンフォートについては奴に知られぬように早急に調べてみる。だがエーリシャ嬢、万が一とはいえ、何故それが気になるのだ?」
「マーシュが生理的に嫌がる人、というのが気になって」
「というと」
「第二でも、割と彼女は流されやすくて。あと、お父上にご心配かけては、と言わなかったようですが、街に出ると他校の生徒から言い寄られることが多かったんです。その時に割とあの子、見た目の良い生徒が礼儀正しい口調で爽やかに話しかけると、ちょっと危ういところがあって」
「危ういとは」
「一対一になったらふらっとついていきそうな」
「それは…… ふしだらな?」
「いえ、というより、撥ね付けることができないんです。ある程度ならいいかな、とも思ったんですよ。ふらっと来る相手は大概第一の品行方正な生徒ばかりだったし。だから、そんな彼女があれだけ嫌がるというあたりどうだろう、と思いまして」
「女の勘という奴か?」
「かもしれませんね」
私は苦笑した。
無論昔だったら、こんなことはいちいち分析していなかったろう。
全く、十年近い年月というものは大きい。
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