繋がっていたイヤホン

炭石R

繋がっていたイヤホン

 ワイヤレスイヤホンの片割れが落ちている。

 俺は善人じゃない。普段なら無視するだろう。しかし、見覚えのあるオレンジ色に手を動かされた。


 持ち主に心当たりはある。でも、連絡先は知らない。俺は歩いてきた道をそのまま進む。

 日が傾いてきて、ただでさえ寒い空気に影が差す。俺はイヤホンを掴んだまま、ポケットに手を入れた。こんなことなら制服を着替えてから来ればよかった。


 久しぶりに歩く住宅街には靴音が虚しく響き、一年前よりも静かに感じる。

 どこからか晩ご飯の匂いが漂わせる家々は、どれも同じように見えて個性がある。玄関先に置いてあるのは、水の入ったペットボトルや金魚鉢、犬の置物や正月飾りなどなど。あの正月飾りは片付け忘れだろうか。こんなことを考えながら歩くのは初めてだ。




 ふと、指先に微かな振動を感じた。


 ポケットからイヤホンを取り出して、耳に近付ける。

 聞こえたのは、坂道を走る青春の曲。夏にピッタリでこの時期には合わない曲。でも、懐かしい曲だ。


 靴音が大きく響き、顔に吹き付ける風が強くなった。ワイヤレスイヤホンの接続がどこまで届くのかは分からないけど、そう遠くない筈だ。あの角を曲がれば、


 ――居た。


 鍵の閉まったケーキ屋の前で俯いている、俺とは違う高校の制服を着ている女の子。最後に会った時は短かった黒髪が胸元まで伸びていて、雰囲気も変わったように感じる。


「………………えっと。これ、落ちてたんだけど」


 言葉が上手く出てこない。

 息が切れているけど、それだけの理由ではない。俺はどうしてここに居るのだろう。どうして話し掛けているのだろう。分からない。


「…………久しぶりだね、律茎りつき


「……そう、だな」


 イヤホンを受け取ろうとはせず、もう片方のイヤホンを外して話しかけてきた。俺の名前を呼ぶ姿が一年前と重なる。


「……ずっと話したいと思ってたから、会えて嬉しい。私ね、律茎に謝りたいことが」


「――もう終わったことだろ」


 自分でも驚くほど冷たい声だった。

 悪いのは全て俺だ。それを理解しているからこそ、もう二度と会いたくなかった。

 過去の男として消えたかった。


「……なら、どうしてここに来たの?今日は火曜日だよ?」


「…………ただの散歩だよ」


 ここのケーキ屋は火曜日が定休日だ。近くにはコンビニすらなく、あるのは住宅街とトンネル工事中の山だけ。

 わざわざ来る理由は、無い。


「嘘。律茎が散歩なんてしないでしょ。……付き合ってた時も、お家デートばっかりだったよね」


「……っ」


 言葉が喉に詰まった。

 何でそんな風に笑うんだよ。

 俺がプレゼントしたイヤホンを着けて、二人で聞いた曲を流して、俺達が出会った時と同じ場所、同じ日に。何がしたいんだよ。

 もう、終わった話だろ。


「私は律茎に会いたくて来たんだよ。もし同じ理由なら、嬉しいな」


「……違う。本当はもう会いたくなかった。居るわけないと思ってたし、もし定休日じゃなかったら来なかった」


 自分のことが分からない。

 スマホの1月14日という表示が目に留まって、気が付いたら歩き出していた。

 胸の中には罪悪感しかなかった。でも、イヤホンを見て溢れてきたのは、幸せだった日々。彼女と付き合っていた一年間の思い出。

 懐かしさと罪悪感が絡まり合って解けない。


「それなら、どうしてイヤホンを届けに来たの?会いたくないなら拾わないでよ……!」


「……ごめん」


 本当に、その通りだ。

 思い出に浸る資格なんて、俺には無いのに。


「期待、させないでよ…………」


「…………ごめん。でも、もう終わったんだよ。俺がくだらないことに固執して、壊したんだ。本当に、ごめん」


 震えた声を聞いて、胸の奥が解けた。

 幸せだった日々を懐かしむ気持ちを縛り付けて、罪悪感だけが吐き出される。

 彼氏として相応しい男になりたかった。だから受験勉強を必死でやって、同じ高校に行こうとして、でも、俺には無理だった。それどころか二人の関係を壊してまで勉強に固執してしまった。


 勉強はただの手段で、大切なのは彼女だったのに。

 俺が馬鹿でも、彼女はずっと隣に居てくれたのに。


「後悔してるならちゃんと私の目を見て……!前みたいに名前を呼んでよ……!!」


 震えた声が響いて、頬に氷のように冷たい手が添えられた。

 彼女の目を見ると、涙が浮かんでいた。それは少しずつ大きくなり、耐えられなくなる。


 本当に、俺は馬鹿だ。馬鹿だった。


叉衛こまえ。ごめん。今度こそ、ちゃんと向き合うよ」


 縛られていた気持ちが動き出す。別に、あの日々を忘れる必要は無かったんだ。

 罪悪感に縛られて、また大切なことを見失うところだった。


「うん……!律茎……!」


 叉衛が抱きついてきて、身体を震わせて泣き始めた。離れようとしないので抱きしめると、俺まで目が潤んできた。

 涙と幸せだった日々の思い出が溢れてくる。






 初めてこのケーキ屋で会った日。二年前の今日。

 最初は俺の質問に一言で返すだけだったから嫌われているのかと思ったけど、会話が苦手だっただけで、甘い物好きという共通点からすぐに打ち解けられた。

 いつの間にか夕方になって、二人でゆっくり歩いて、それでもまだ話足りなくて。連絡先を聞いた時の叉衛の笑顔は、今でも鮮明に覚えている。


 学校ではそれまで通りに過ごしたけど、家に帰ればすぐに連絡を取り合って、ずっと話をしていた。自然と惹かれ合い、俺は告白して、二つ返事で恋人になった。

 それからはケーキ屋を巡ったり、曲を聞いたり、布団を被って夜遅くまで電話したり。柄にもなく誕生日にサプライズプレゼントをしたこともあった。人生で、最も幸せな時間だった。


 でも、受験が近付くにつれて叉衛との学力の差を感じて焦り始めた。必死に勉強をしているうちに二人の時間が減って、叉衛のことを無視するようになった。

 初めは集中するために勉強中だけ通知を切った。それが常に切るようになり、スマホの電源を切ることも多くなった。

 学校では交際を隠していて、別のクラスだった俺達の関係は、壊れた。






「……律茎。謝りたいことがあるから聞いてくれる?」


「分かった。ちゃんと聞くよ」


 どれくらい経ったのだろうか。

 お互いに落ち着いた頃には、日は沈みきって、街灯の少ない住宅街は暗くなっていた。


「律茎が勉強に固執するようになったのは、私にも原因があるの。気持ちを言葉にするのは苦手だったけど、それでもちゃんと伝えられてたら違ったと思う。律茎はそんなことないって言うだろうし、許して欲しい訳じゃない。だから、そう。これは決意表明」


「決意表明?」


「うん。私は律茎のことが好き。髪を切って、高校デビューして、部活に入って友達も出来た。でも、どうしても忘れられなかったの。だから聞かせて欲しい」


 叉衛はそこで区切ると、深呼吸をしてから再び口を開いた。


「……私のこと、好き?」


 卒業式の後。

 勉強に固執して、叉衛のことすら見失った俺には答えられなかった。

 そして、振られた。


「……今は、まだ答えられない。だから少しだけ待ってて欲しい。今度こそちゃんと叉衛と向き合って、答えを出すから」


 だからこそ今は答えられない。

 幸せだった日常に浸りたいからと安易に答えれば、また後悔を繰り返してしまうかもしれないから。


「うん。待つよ。でもそれだけじゃなくて、早く答えてもらえるように頑張る。高校生になってからメイクとかファッションの勉強もしたから、覚悟しててね?」


「……っ、分かった」


 初めて見る捕食者のような笑みに、思わず動揺してしまう。

 本当に、叉衛はこの一年で大きく変わったみたいだ。目的もなく勉強だけしていた俺とは違う。

 でも、不思議と焦りはない。


「嬉しい。……もう、すっかり暗くなっちゃったね。律茎さえ良ければ、二人で帰りたいな」


 叉衛はそう言ってスマホを取り出した。時間を確認するのと思いきや、両手で持ったまま俺のことをじっと見つめている。

 ……そういうことか。


「もし良かったら、連絡先を交換しない?」


「うんっ!」


 二年前と同じ笑顔が、夜の中で輝いた。

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繋がっていたイヤホン 炭石R @sumiisi

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