146話 第一関門
宵闇の中、緑の光の円が地面に広がり、薄く消えていく。次いで、冷たい風が集まってきて、ケインのブレスレットを光らせた。
「入口に見えてる一人以外に見張りはいないみたい。後は風属性じゃ何とも」
深呼吸で不安感を宥めながら返事をした。
「お疲れ様。中の探知は後で俺がやってみる」
「ルークって、探知できたの?」
「事件の時カルミアさんに無茶振りされて初めてやったけど、形にはなったよ。多分できると思う」
カルミアさんはきょとんと小首を傾げた。
「ルークが探知出来ないの忘れてたな」
「えぇ……」
俺達は安いマントに身を包み、装備をなるべく隠して、仮設アジトへ向かうログマを追っている。怪しい見た目だが、スラムにおいては、小綺麗な武装集団が歩いているよりは目立たなくて済むそうだ。
古くて大きめの木造二階建て住宅が見える位置で瓦礫の陰に身を隠した。この住宅――廃屋が、今回の仮設アジトだ。
俺達はここからログマを遠目に見守ることにした。あからさまな携帯連絡機や見抜かれるであろう盗聴器は使えないので、ケインの風術を頼りに音声を聞く。俺達三人の耳にだけ届くようにするのは高度な力の制御が必要になるが、彼女は頼もしくピースサインを見せた。
玄関前で壁に寄りかかり煙草をふかす、壮年のくたびれた男に、ログマが寄っていく。腰元に剣を携えるその男が訝しげに話しかけた。
「こんばんはお嬢さん。どうした?」
「お仕事のお話だ」
「驚いたな。――『ところで昨日の晩飯は?』」
「……『蜂蜜をかけたウナギのゼリー寄せ』だった」
狂気のメニューは今回の合言葉である。俺達が会社で虐待を受けている訳ではない。決して。
「ふーん。どうぞ。ちょうどあと五分くらいで説明が始まる。名前は?」
俺達は慌てて目を合わせるが、彼の頭の回転に託すしかなかった。
「……ロ」
「うん?」
「キャロル」
離れた俺達が聞いているのは声だけ。妙な間が生じたが、疑われているのか、興味を持たれているだけなのか、判別が付かない。
「聞いたことねえな。あんたみたいなべっぴん戦士、話題になりそうなもんだが」
「……ど、どうも。最近引っ越してきたから」
「そうか。まあゼフキも出入りの激しい時期だもんな。――入りな。身体検査は中でする」
胸を撫で下ろす。第一関門突破だ――と思ったが、ケインはちょっと狼狽えていた。
「身体検査……体型がバレちゃう」
カルミアさんがあっと慌てて言った。
「あの偽巨乳、防弾なんでしょ? ガチガチだったりしない?」
「それは大丈夫。作った時に揉んでみたから。凄く良い出来だった」
「ああ、ならまあ。他は誤魔化せるでしょ」
何それ、俺も揉んでみたい。とか考えてる場合じゃなくて……。ちょっと散らかった頭を軽く振って作戦に戻る。
「玄関ドアまで行ければ探知できると思う。あの男――」
「あっ、待って!」
突然耳に集中して風を纏ったケインが、少しして唇を噛む。
「……ログマから伝言。霊術力封印の腕輪を付けられそうだから、今後連絡出来なくなる。合図は声で出すから、聞こえる位置にいろって」
後ろ向きな不安を押し殺し、俯こうとした顔を上げた。
「あいつなら大丈夫。強いのは精霊術だけじゃない。何より心が強い奴だ。俺達も続こう」
二人は強い頷きで応えてくれた。
あの後、他に入っていく人間はいなかった。ログマが入っていって五分が経過した頃、玄関の男が懐中時計を見て背伸びをした。そして煙草の吸殻を足元で踏み消し、ドアへと踵を返す。彼の仕事はここで一区切りなのだろう。
その無防備な背中へカルミアさんが声をかける。
「やあ、ご同輩。仕事の話をしたい」
残業かと言った雰囲気でダルそうに振り向く男。
「今日はもう締め切りだ。また――うっ!」
マントの陰から差し出されたハルバードの槍先が、男の弛緩した口に突き込まれる。端と中が切れたらしい彼の口からはだらだらと血が流れ出すが、相手が口元で指を立てているために、僅かな悲鳴も上げられないようだった。
「中の様子、教えてくれない? 断るならこのまま突破させてもらうから、どっちでもいいけどさ」
男は強ばった顔で諸手を挙げ、必死で了承を示した。
その様子を見て俺とケインも駆け寄る。槍先を口から抜かれ、首元に添え直された男は、小声で懇願した。
「金を受け取ったら後は帰るだけなんだ。一旦中に戻らせてくれ……」
それなら戻らなければ不審がられる。とはいえ、告げ口は警戒したい。どうすべきか。
しかし幸い、初手で植え付けた恐怖は強かったようだ。
「嘘なら――」
「分かってます!」
男は、カルミアさんの脅しを聞きたくないとばかりに良い返事をしてくれた。
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