135話 激動の一夜が明けて
朧気な意識の中に、聞き慣れた声と足音が聞こえる。一日の始まりを察しながらも、強すぎる倦怠感が、そこに参加することを許してくれなかった。俺はそれを言い訳に、もう一度意識を深く沈めた。
一度、半端に意識を覚醒させたからだろうか。久々に、嫌な夢を見た。
病気になって以降、疎遠になった友人達。そのうちの一人が、俺に対して心を閉ざしたことを察し、それが徐々に確信へと変わっていった日の、生々しい再上映だった。
仕事を辞めてすぐの頃に俺から声をかけて、数ヶ月ぶりに会った場所は馴染みの喫茶店。昨日の続きみたいに話そうとしたのは、俺の方だけだった。
彼の表情は、不自然に硬い笑顔で固定されていた。会話は思うように続かない。合わない目線。無難に取り繕った受け答え。
俺は彼と、何をあんなに楽しく話していたんだっけ? などと、懸命に話題を選び始めた自分に気付いたあたりで、病状も相まって泣きたくなってきた。体調の悪化を口実にして、早々に解散した。
理由は今も分からない。悪い噂の影響か、貴族の力が怖かったか、精神疾患者で無職の俺が嫌だったのか。それとも、俺とは無関係に、彼の心境に変化があったのか。
なんにせよ、彼の中で、俺は『心を開くに値しない存在』になっていたのだった。
悲しかった。理由が気になったし、直せる部分は直したいと思った。以前のように仲良くしたかった。
……でも、彼は何も言わずに距離を取ることを選んだ。心を閉ざすと決めてしまったのだ。今日の誘いに乗ってくれたのは断りづらかっただけ、最後に残った情なんだ。今更俺が何をしたって鬱陶しいだけ。そう思って、何も言わなかった。
またな! ――二度と会わないだろうと思いながら、虚しくも、その言葉を選んだ。作った笑顔で手を振った。今までありがとう、さようなら、と今後の幸せを祈りながら、静かに別れた。
カルミアさんは……どうだったのかな?
もしかしたら、カルミアさんも、彼と同じだったのかな。俺から離れることを既に決めていたようではなかったか?
だとしたら、心を無理にこじ開けるような真似をしてしまった。結果的に彼は俺の体当たりを受け入れてくれたけど、あれで良かったのかな。俺のワガママだったんじゃないか。実際、重くて面倒だと言われたな。
――でも。カルミアさんは、元友人の彼とは違った。俺と話そうとしてくれていた。心の扉を閉じる理由を宣言してくれた。……あれはやっぱり、俺に与えられた最後のチャンスだったのだと思いたい。
そのチャンスを、俺は掴めたんだよな? あんなに虚しい別れを、繰り返さなくて済んだんだよな? そうだったら、いいな――。
次に俺の意識が浮上した時、聞こえる声の種類は多くなっていた。間もなく、そこにカチャカチャと食器の音が混ざり始めた。なんだか実家を思い出す、美味しそうな香りと調理の物音には、空腹感を煽られる。
温かく優しい刺激から連想される楽しげな雰囲気に混ざりたくなってきて、ようやく目を開けた。
視界に入ったのは、見覚えのあるローテーブル。食堂の懇談スペースの二人がけソファに横たわっているのだと認識するのに、そう時間はかからなかった。
記憶の途切れ方からするに、誰かに運んでもらったのだろう。毛布までかけて貰っている。
「う……っ」
起きようと身動ぎして、心身の強い疲労感に呻いた。謎の重苦しさが胸元に居座り、気力と体力を吸い取っている。昨日は限界を自覚してから随分頑張ったから当然ではあるが、かなりの不調だった。
顔を顰めながらなんとか上体を起こすと、ダンカムさんが気付いて駆け寄ってきた。昨晩、カルミアさんに意識を飛ばされたようだったが、元気そうで良かった。
「おはよう! もう昼食だけどね。起こしちゃったかい?」
「いや、大丈夫です。随分寝ちゃってたみたいで申し訳ない」
「ガハハ! 死んだように寝てたから、皆であれこれ想像して心配してたよ。そのまま休んでろ! 顔色も悪いぞ。準備は僕達六人で充分だ」
……正直ありがたい。強がるところじゃないだろうし、甘えさせてもらおうかな。
「助かりま――六人?」
ダンカムさんが嬉しそうに頷いた。
「今日の昼食は、久々に全員で食べられるぞ」
目が輝いたのが自分で分かった。
「ほ、ほんとに!」
キッチン方面を視界に収めると、確かにそこに他の五人が立っていた。彼らは俺に気づくと各々の好意的な反応を見せてくれた。
――手を挙げ微笑むカルミアさんと、申し訳なさそうに頭を下げるウィルルも含め。
疲弊した心に湧き上がった活力で、声が上擦った。
「わあ、皆いる……!」
「だろ? さ、安心して休んでな。出来たら呼ぶから」
「はい! ありがとうございます!」
そして耳打ちされる。
「ルークが眠っている間に、カルミアが皆を集めて前科を打ち明けたよ。皆、驚いてたけど受け入れてくれた。昨日、ルークが説得してくれたんだって? お疲れ様。本当にありがとう」
一瞬驚いたが、すぐに嬉しさで顔が緩んだ。
「……そうですか。良かった。御礼を言われることじゃないです」
「ううん。僕はカルミアの事情を隠すべきだと思ってたし、それでいて、退社の意思も変えられなかった。綺麗な形に収まったのはルークのおかげだ。マネージャーとして、カルミアの友人として、感謝感激だよ」
へへ、とはにかんだ。説得なんて綺麗な形ではなかった気がするけど、限界まで頑張った甲斐があったな。
ダンカムさんが俺の背をばんっと叩いて準備に戻り、ケインがおずおずと近づいてきた。
「ルーク。昨日はごめんね。心配してくれたのに噛み付いちゃった」
「あ、謝るのは俺の方でしょ!」
「ううん。……結局、ルークの言う通りだったの」
ケインは低い位置で両手の指を絡み合わせ、もじもじと言った。
「久々にぐっすり眠れたみたい。私、無意識で無理してた。出来ることが少ないのが悔しくて……。部屋まで借りちゃって、ごめんね。でも助かったよ」
失言はしたが、提案自体は間違ってなかったようだ。ほっとして、笑顔を向けた。
「全然お安いご用だよ。掃除も片付けもしてなくて申し訳なかったけど、眠れたなら何よりだ」
「あ、うん……」
彼女は気まずそうに目を逸らして唇を噛む。様々な嫌な想像が頭の中を駆け巡り、尋ねた。
「部屋、何かやばかった……?」
「……やばくはない」
「余計に怖い。何?」
彼女はぷいと顔を背け、早口で言った。
「…………安心する匂いがしたっていうだけ! ありがとうって言いたかっただけ! じゃあね!」
逃げるように去った彼女の背を、口を半開きにしたまま見送る。どう受け取ればいいか分からなくて、とりあえず換気と洗濯はもっと頑張ろうと思った。
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