02-6
加能はシルクハットを斜めに被り直し、小さな身体をぷかぷかと浮かばせながら、穏やかな語り口調で話し始めた。
「浜中剛史様、七瀬平司様、お二人様は、直近の過去に起きてしまった出来事に対して強い後悔の念を抱いておられますね。もし過去に戻れるのなら、なんてことを思っているでしょう。そこでわたくしからのご提案なのですが、七十二時間の過去へのご旅行に行かれてはいかがでしょうか?」
過去への旅行。このワードに反応した七瀬は、「いやいや、あんなことがあったのに。行けませんよ」と断る。そして、「二人で旅行って・・・、ね、浜中さん」と、純粋な瞳で言い、同情を求めてきた。七瀬がどういう思いで訊いて来たのか分からない以上、返答ができない。そう困っていると、加能が髭を整えながら上品に笑う。
「そう言われると思っておりました」
「え」
「誤解しないでいただきたいのですが、これは単なる旅行ではありません。過去が目的地となる旅行です。浜中様と七瀬様が抱いていらっしゃる感情は同じ方に対する怒りと哀しみ。それをこの旅行を通じて少しでも明るいものに変えてはいかがでしょうか」
「過去が目的地って。そんなバカな・・・。それに、過去に行ったら戻れないでしょ」
「規則とタイムリミットさえお守りいただければ、過去に戻られたとしても、今現在にご帰還ができるのですよ。どうでしょう、お二人で過去に戻ってみませんか?」
七瀬は呆れ、そして怪訝な顔をしている。そんな七瀬に、こんなに面白い話はないと思うが、と前置きしておいてから、加能の説明を聞いた上での気持ちを伝える。
「七瀬は今、松野と容疑者にどんな想いを抱いてる?」
「どんな想いって・・・。まぁ、悔しいですけど」
「悔しい・・・か。七瀬の気持ちが分からんでもないな」
静かに頷く七瀬。隠れて泣いているのか、洟を啜る音が静かな空間に響く。
「まぁ、これはあくまで私の推測に過ぎないが、悔しいだけじゃないんじゃないか? 松野を事故によって失ってしまった哀しみや、何もできなかった自分への怒り、ひき逃げ事故を起こした容疑者への怒りの感情も抱いているんじゃないか?」
「それは・・・」
「七瀬、私も同じなんだ。同じように悔しいし、哀しい。怒りだって覚えてる。でも、一番は自分の無力感に呆れているんだ。
「浜中さん・・・」
「二人して強い後悔の念を抱いていて、しかも、過去への旅行に案内してくれる支配人の加能さんだって現れた。こんなチャンス二度とないだろうから、私と一緒に過去へ戻らないか?」
七瀬は俯くだけで、うんともすんとも言わなかった。そのことを見兼ねた加能が口出しする。
「浜中様の言う通りでございます。余談になるかもですが、わたくしは、浜中様と七瀬様の前へ二度と現れることがないのです。このタイミングを逃してしまえば、お二人ともに過去へ戻られることができません。同じことでどんなに苦しい思いをしたとしてもです」
加能の発言に頷くことしかできなかった。七瀬の気持ちに寄り添ってやりたいが、なんと声をかけてあげればいいのか、今はよく分からない。そんな時だった。「浜中さんは戻りたいですか」と一本調子で訊かれた。
「戻りたいと思っているが」
「どうしてですか」
「過去の結末を変えてやりたいんだ。笑顔で松野のことを生かしてあげたいんだよ。それに、容疑者に罪を負わせることができなかった。だから、せめて取り調べだけでも・・・ってな」
「あぁ。過去を変えられたら、松野は警察官として働くことができるんですもんね」
「あぁ、そういうことだ。松野はまだ署に配属されてから一年も経ってない。だからこそ、警察官として色んな経験をさせてやりたいんだ」
「なるほど」
七瀬に希望の光を見せることができたタイミングで、加能が少し申し訳なさそうに「あのー」と口を開いた。
「お二人様、勘違いをされていらっしゃいます。過去の結末を変えることは許されていませんよ」
「え、変えられない?」
「変えたらどうなるんですか」
「はい。変えてしまった方は、今現在に帰ってくることができません」
「帰れなかったら、どうなるんですか」
「すみません。そのことに関しましては、わたくしの口からは何も言えないのです」
「なんだ、言えないのか」残念そうに言った七瀬。
ただ、加能の話す声色から、本当に口を開くことは許されていないのだろうと推測した。
「どうされますか?」
「結末を変えられなくても、戻ってみたいです」
以外と前向きな考えをしていた七瀬。これなら、二人して旅行に出かけることができる。
「私も、過去へ戻りたいです」
そう言った途端、顔がぱっと明るくなった加能。この人は怪しい人物ではなさそうだと思えた。
「そうですか。かしこまりました。ではお二人に過去への戻り方と現在への戻り方をご説明しますから、よくお聞きください」
心の中で燃え続ける闘志。それは、また七瀬も同じようだった。
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