4-4 気付いてもらえない

「ヒメリンに出会ったのは、ちょうど一年前くらいのこと、でした」


 朝陽さんのことを語り出した陰山さんは止まらなくなったのか、自らつらつらと話し続ける。

 ニコニコ、いやニヤニヤと楽しそうに笑う姿は、それを遮る意思を失わせた。


「その時はまだデビュー前で。事務所には入ってたみたいですけど、まだ中学生だし。SNSとかで写真をアップしたり、動画サイトで歌唱動画を出したり、それくらいの活動でした。でも私には、とってもキラキラして見えたんです」


 胸の前で手を握り、その時の感動を思い起こすかのように湧き立つ陰山さん。

 私の手首を掴む手も、また力を増す。


「私は、昔から根暗でパッとしなくて、なんの取り柄もなくて、地味な女子でした。けどヒメリンは同い年なのに、すっごく可愛くて、沢山才能があって、光に包まれているみたいに輝いていて。こんな女の子になれたらなって、そう思ったのが、好きになったきっかけです」


 私は芸能人だったり有名人だったり、特定の誰かのファンになったりした経験がないから、その感覚は漠然としか理解できない。

 けれど陰山さんが朝陽さんに出会ったことで、人生の彩りが変わったということは、なんとなく伝わってきた。


「それから私、SNSの更新も、公開される動画も、全部全部チェックして、コメント送って、沢山応援しました。ヒメリンが頑張ってそれに結果が出ると、自分のことのように、いいえもっと嬉しくて。デビューが決まった時は私、一日中大泣きでした」

「すごく、好きだったんだ。元から」

「はい! ヒメリンは私の全てでした。私の生活の中心で、私の人生の一部でした。私はいつ何をやってる時だって、ずっとずっとヒメリンのことばかり考えていました」


 それを聞くと、まるで恋のようだと思う。

 それが、ガチ恋というものなんだろうか。

 身近ではなく、実ることはないと思っていても、熱烈に思い続けてしまう気持ち。

 それはやっぱり、恋に限りなく近い感情、なんだろう。


「ヒメリンの趣味は全部やったし、おすすめしてる商品は全部買ったし、写真に写ってた服や小物も全部揃えて。メイクなんてしないのに、使ってる化粧品だって買いました。自分にできるとか、似合うとか、必要とか、そんなの関係なくて。一瞬でも多くヒメリンを感じてたくて。私はずっと、そうやって生きてきました。たかが一年かと思うかもしませんが、私の人生の中で一番濃厚な一年で、一番幸せな一年でした」

「………………」


 ファン、オタクというのはそこまでするものなんだろうか、とちょっと疑問になる。

 好きな人と同じものを持ちたいという感覚はある程度わかるけれど、少し過剰な気もする。

 能力は関係なしに、元からそういうところがあるんだろう。


 そう思う私をよそに、陰山さんはとても楽しそうに話している。


「だから、ヒメリンが同級生だったって知った時、とっても嬉しかったんです。でも同時に、ただのオタクの私が、ヒメリンの人生に関わるなんて、あっちゃいけないって、思いました。私はただのファン。ただのオタク。日陰でひっそりでしゃばらずに、ヒメリンを応援しなきゃって」

「本当の恋に落ちた後も、それは変わらないんだ」

「はい。むしろ、本当に恋してしまったからこそ、私がヒメリンに関わって、余計な迷惑をかけちゃダメだって、思うようになりました。で、でも……」


 オタクとしてのプライドのような強い意思を見せつつも、しかし陰山さんは少し項垂れた。


「あの時、ヒメリンと話した、あの瞬間が忘れられなくて。あわよくば、また、ほんの少しでも、お話しできたらって、思うと……」

「朝陽さんを、追いかけてしまう……?」

「はい……」


 私の問いかけに、陰山さんは小さくなりながら頷いた。

 自分のストーキング行為を、やっぱりちゃんと悪いとは思っているようだ。


「それに、矛盾していると思うかもしれませんが。この能力を持っていると、確かに気づかれることなくヒメリンを眺めることはできるんですけど。でも、だから気付かれないんですよ」

「えっと」

「あわよくば、がないんです。どう頑張っても私は、もうヒメリンには気づいてもらえない」

「…………」


 そう項垂れる陰山さんの姿に、ようやく彼女の気持ちがわかってきたような気がした。

 朝陽さんのことが好きで、でも部を弁えて、叶わない恋だと受け入れて。

 でも好きだから、彼女を追いかけることがやめられなくて、能力を使って。

 けれど能力がある限り、万に一つも、もう彼女に気づいてもらえることはなくて。


 とても矛盾している。ややこしいくらいに、いろんな気持ちが。

 でもその根幹にあるのはとっても純粋な、好きという気持ち。

 彼女は本気で、朝陽さんに恋をしている。


「私、キモいですよね。やばいですよね。引きますよね。最悪の類のオタクですよね……」


 さっきまでの楽しそうな表情が嘘みたいに、陰山さんは縮こまって泣きそうな顔をする。

 朝陽さんを追いかけたり、語ったりする時は幸せでいられても、その後振り返った自分を嫌悪して落ち込む。

 これもまた彼女の矛盾で、恋。


「葉月先輩……私、どうすればいいんでしょう」

「私は……」


 陰山さんにとってどうすることが正解なのか。きっといろんな答えがある。

 選ぶの彼女で、私は選択肢を提示し、付き添うことしかできない。


「私は、異能力を消すことができる。けれどそうすると、元となった恋もまた、消える」

「それって……」


 私の言葉に、陰山さんはあんぐりと口を開ける。


「能力を消したら、私はヒメリンを、好きじゃ、なくなる……?」

「そうとも限らない。恋とは別の好意を持っている場合、その好意は残るから。そういう例を、私はいくつか見てきたし」

「そう、ですか……」


 私の答えを聞いて、陰山さんは心底ホッとしたように息を吐いた。

 恋する以前からアイドルの朝陽さんを好きでいた陰山さんなら、ファンとしての好意は残ると思われる。

 自分の全てだと言うほど彼女のこと思っているのだから、その全てを失うかもと怖くなったんだろう。


「ならやっぱり私は、能力を消してもらうのが、きっといいですね。そうしたら、ヒメリンを追っかけまわすなんてこと、したくてもできなくなりますし。もしかしたらいつかまた、ちょっとくらい話す機会ができるかも」

「……うん」


 それが一番ベストな選択だとは思う。

 陰山さんの能力は日常生活に影響を及ぼすものだし、彼女の気質に乗っかってストーキングをさせてしまうものでもある。

 それに、せっかく同じ学校に通っているのに、朝陽さんと関わる機会がゼロになってしまう。

 能力を失うことが、一番メリットの多い選択だと私も思う。


 ただ、懸念事項もある。

 今日話を聞いて思ったのは、元からHIMEに対する思い入れがとても強い、ということ。

 いちファンのそれだとしても、陰山さんの愛情ともいえる熱の入れ方は凄まじい。

 その好意から派生した今の恋は、本当にファンとしての好意と別物なんだろうか。


 癒着して、混ざり合って、一つの想いになってしまってはいないだろうか。

 もしそうだとすれば、陰山さんが恋を失えば、HIMEへの憧れもきっと消えてしまう。

 それは陰山さんにとって、生きる希望を失わせることになってしまうんじゃないか。


 けれど、陰山さんに恋を残せば当然能力も残って。

 そうすればきっと彼女は、今のようなストーキングをやめられはしないだろう。

 何が正しい? 何が陰山さんのためになる? わからない。


「陰山さんも、気持ちを整理する時間が必要だろうし。今はまだ、すぐ結論を出さなくてもいいから」

「は、はい。でもあんまり間を空けると、逆に決心が揺らいじゃうかもしれません。ヒメリンを追いかけるのをやめられないかも……」

「そう思えるだけでも、救いようがあると思うよ。後はその通りちゃんと自制できればいいけど」

「がんばり、ます……」


 私が言うと、陰山さんは申し訳なさそうに薄い笑みを浮かべた。

 頭ではわかってる。ダメなことはダメだって。

 けれどその理性を、恋の衝動が振り払ってしまうんだろう。


 私はやっぱり、香葡かほ先輩みたいに上手く導いてあげることはできない。

 でも私なりに、陰山さんに必要な言葉と選択肢を与えたつもりだ。

 後できることは、彼女を見守り手を差し伸べることくらい。

 私にはまだまだ、先輩は難しい。香葡先輩が必要だ。


「あれ、カンちゃんだぁ〜! やっほー!」


 そろそろ解散しようと思った時、校舎の方から甲高い呼び声が飛んできた。

 良くある展開というか。こういう時は春日部かすかべ 苺花いちかさん以外ありえない。

 声の方を向いてみれば案の定、そこには明るい髪を揺らす彼女の姿があった。


「あ、苺花先輩だ」

「陰山さん、春日部さんと知り合い?」

「はい。以前、私がヒメリンが表紙の雑誌を読んでいた時、興味を持って声をかけてくれまして。その時私が布教したら、好きなってもらえて。以降、ヒメリントークをする仲です」


 思わぬ繋がりに驚く私に、陰山さんははにかんでそう答えた。

 誰とでも仲がいいのが春日部さんだけれど、彼女との組み合わせは意外だ。

 いや、春日部さんに仲良くなれない人はいないのかもしれない。


「こんなとこで何してんの────ってうわっ! リリーいたの!?」


 ニコニコと近寄ってきた春日部さんが私に話しかける最中、陰山さんが彼女に触れた。

 そこでやっと陰山さんの存在に気づいた春日部さんは、大袈裟に飛び上がって驚きを見せた。


「カンちゃんとリリーの組み合わせ、なんか意外だなぁ〜」

「そっちこそ、本当に誰とでも仲がいいね」

「ま〜ね〜! そんなカンちゃんとはずっと友達なアタシだけど!」


 ニシシと笑う春日部さんに、私ははいはいと適当に受け流す。

 それを特に気にすることなく、春日部さんは私と陰山さんを交互に見やって。

 そして何かを察したようにポンと手を叩いた。


「リリー、結局相談することにしたんだねっ」

「は、はい。自分じゃもうどうしようもなくて……」


 どうやら陰山さんの情報源は春日部さんだったらしい。

 彼女の恋はまた特殊なケースだし、私に直接紹介するのではなく、彼女自身の判断に任せたということだろうか。

 いずれにしても、話すならちゃんと話しておいて欲しいものだけど。


「上手く何とかなるといーね。大丈夫、カンちゃんは頼りになるよ」

「はい。あ、そうだ。苺花先輩にはお世話になりましたし、実は黙ってたこと、お礼にお教えします」


 陰山さんはそう言うと、春日部さんにHIMEが朝陽さんだというくだりを説明した。

 二人の経緯的にその辺りは既に教えていたのかと思ったけれど、一般化されていない事実を彼女はちゃんと隠していたようだった。

 それを今話してしまっては意味もない気がするけれど、まぁ春日部さんはお喋りだけれど口は別に軽くない。

 信頼と感謝の印ということなんだろう。


「え? そうなの?」


 事実を聞かされた春日部さんは、意外にも大きなリアクションは取らず、とてもポカンとした顔をした。

 応援していたアイドルがあまりにも身近にいた衝撃に、流石の彼女も頭が追いつかないのだろうか。


「そっかー! それはすっごいなー! だから余計にリリーってば、ヒメリンに夢中だったんだなぁ〜! もうずっと隠してたなんてずるいぞ〜!」


 けれどすぐにパァッと顔を輝かせて、そう陰山さんを小突いて笑う。


「いっけない、アタシ友達と約束があるんだった! ごめん、もういくね! あ、カンちゃん、後でメッセするから〜!」


 ひとしきり陰山さんを囃し立てから、春日部さんはそう飛び上がった。

 そして何だか私に意味深な視線を向けて、けれど相変わらずの笑顔を振りまいて。

 突然やってきた春日部さんは、突然行ってしまったのだった。


 今のは一体何だったんだろう。

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