キスの後のカデンツァ1


 二限目の講義が終わった後、スマホの通知を見ると瀬川からメッセージが入っていた。

 昼食の待ち合わせ場所の確認だと思ってアプリを見ると、メッセージの続きには友達連れていくけどいいか? と書いていた。

 人見知りはしないし誰が一緒でも気にならないので、二つ返事で何も考えずに了承した。

 スタンプを送ったあと、瀬川らしくないメッセージに、もしかして何か面倒なお願いでもされるのだろうかと頭に浮かぶ。


 ――バイトの助っ人とか?


 講義終了後の人の流れに逆らって別棟にある学生会館に向かった。

 学内にある自分のバイト先でもあるカフェテリアに着く。入り口近くの四人がけに座っている瀬川を見つけて手をあげ、先に昼食を買いに行く。

 いつも食べているお気に入りのラーメンに心惹かれながらも、毎日ラーメンをばかりもなぁと、券売機でふわとろオムライスを選んで引き換えた。

 瀬川とその友達が座っている席の前に腰掛けた。


「桃谷ごめん、本当に、ごめん!」


 席につくと瀬川に開口一番に手を合わせて謝られた。当然ながら結斗には謝られるような心当たりはない。

 瀬川の隣には、ギターケースを椅子に立て掛けた、いかにもバンドやってます感のある男が座っていた。


「なに改まって。お金は貸せないけどさ、バイトの助っ人くらいなら……たしか瀬川引っ越しのバイトとかもしてんだっけ?」

「そうじゃなくて、俺、お前の歌録ってただろ」

「歌、あぁ」


 酒と昨日の純とのあれこれで記憶がところどころ飛んでいた。確かに瀬川に録音を許可したのは覚えている。

 けれど瀬川が趣味で結斗の歌を録音、加工して個人的に聴いているのは昔からだ。

 今さら謝られるようなことでもない。高校の時からの付き合いだし物好きだとは思っていた。結斗の歌を好きだと言ってくれるのは純粋に嬉しかった。


「別に録ってもいいって言ったし、謝るようなことか?」

「じゃなくて、昨日俺、すげー酔ってて、こいつ学寮の同室で、軽音サークルの峰っていうんだけど」

「経済学部二年の峰でーす。すんません、瀬川に怒られて謝りに来ました」

「ども、現社二年の桃谷です」


 底抜けに明るい、キラキラした目の前の男に若干引きながらも、形式的に挨拶を交わした。バチバチに耳ピアス、指にはシルバーリング。脱色した短髪。頭の先から足の先まで社交性で出来ているように見えた。

 見た目はいかつい。でも音楽をやっている人間に対して、結斗は三割くらい贔屓目に見ているふしがある。音楽やってる人悪い人いない説? みたいな。

 友達になれるかもしれないと思った。


「ももくんでいい? 俺は、峰でいいよ」

「あ、うん。よろしく」

「ほんと、お前、反省してんのか。マジで情リテの講義取れよな、やっていいことと悪いことがあるだろ!」


 瀬川は呆れ声とともに峰の腕を肘で小突く。


「別に、名前出してねぇじゃんよ。匿名だし何がダメなの」

「それでも! ダメ!」


 目の前の二人の漫才みたいな会話に要領を得ないまま、オムライスを食べていると、瀬川がスマホで動画サイトを開き結斗の前におずおずと差し出した。


「俺、昨日酔ってて、こいつに絡んでお前の歌聴かせちゃったんだけど。それで、パソコンに入れてた動画こいつが勝手にサイトに上げて」

「俺の歌を?」

「も、もちろん! 名前も、顔も出してないけど、朝起きた時点で、もうすごい拡散されちゃって、消すに消せなくて。本当にごめんな!」

「絶対バズるって言っただろ! 俺、ももくんの歌聴いてめちゃ感動したし! 他にもなんか歌わないの?」

「え、え?」


 戸惑いの声しか出ない。


「俺、軽音部やってるんだけど、よかったら部室こない? 楽器やる人間はいるけど、歌える人マジでいなくて」

「お前は、ちょっと黙ってろ! ほんと、ごめんな桃谷。俺が聴くだけならいいよって言われてたのに勝手に上げちゃって」


 差し出されたスマホの動画と瀬川の話でやっと話の理解が追いついた。


「べ、別に、個人情報が漏れた訳じゃないし俺は構わないけど?」


 瀬川に頭を押されて峰は無理やり頭を下げさせられていた。それを慌てて制する。

 別に命を取られたわけじゃないし自分は怒っていない。


「まぁ、素人だし、ちょっと恥ずかしい、な、くらいで」


 結斗が「気にするなよ」というと瀬川は明らかにほっとしたような顔になった。昔からだが見た目から真面目を絵に描いたような男で律儀。

 きっと、おおらかすぎる峰と一緒にいてバランスが取れているのかもしれない。


「ほらー、だから言ったじゃん瀬川は気にしすぎ。あんなスゲェのお前一人で聴いてるとかもったいないだろ」

「ホントなんもわかってねぇなお前は」

「えー」

「次、勝手にパソコン触ったら、マジで絶交する」

「昨日はお前が、いいから聴けって絡んできたんだろ酔っ払い。俺は親切心で拡散したのに」

「それは親切じゃねーよ! 無断アップロード!」


 結斗は瀬川に差し出されたスマホで自分の動画を再生してみる。

 多少の加工はされていたが、それでも間違いなく自分の声だった。

 SNSへのシェア数とコメント欄をみて、瀬川がいうように、今から消しても同じだろうなと思った。

 動画自体はイメージイラスト。そのキャラクターは瀬川が趣味で描いているものだ。著作権的に問題なく瀬川が納得しているのなら、結斗がそれ以上何か謝罪や対応して欲しいこともない。

 これが、もし純のように全世界に顔を晒しているなら、もっと困ったかもしれない。


 ――純みたいなイケメンでもないし?


 カラオケの点数も評価も気になっていなかった。自由に歌えたら、それでよかった。

 動画、歌ってみたカテゴリ再生数、デイリーランキング一位。期待の新人ってタグ。

 信じられなかった。チャンネル登録者二百万人。


「うん。確認したけど、ほんと別にいいよ。にしても瀬川、絵上手いよな」

「ありがとう桃谷、俺もっと怒られるかと思った。チャンネル登録者数みてびっくりして」

「いいって、悪気があってやったんじゃないんだし」

「あ、やべ、俺、午後の講義あるから、そろそろ行くけど、ももくん、ほんと軽音部遊びに来るの考えておいて!」


 峰は、ギターケースを肩に掛けながら席を立ち結斗の肩を叩いた。


「バンドか、うーん。あんま興味ないけど、気が向いたら?」


 体のいいお断りのつもりだったが、峰は破顔して結斗の手を握ってくる。


「マジで! じゃあ、今度連絡するし!」

「え、あ……うん」


 流れるように言われるままアドレスを交換すると、峰は嵐のように去っていった。


「桃谷。峰ああいう奴だけど、ほんと嫌だったら俺に言って怒っておくから」


 ほんの数分だったが、瀬川と峰の関係性がわかった気がした。


「瀬川、なんかお母さんみたいだな」

「あんな奴の母親だけは嫌だ。同室ってだけで、色々面倒みてるけど」


 結斗は、自分の動画の詳細欄を見ながら、他人事のように見ていた。実際、結斗の名前が出ているわけでもないし、自分が上げたわけでもないので他人事には違いない。


「桃谷さ、一応言っておくけど、これ、スゴいことなんだぜ?」

「そうなの?」

「そう! 俺いつも言ってるのに、お前の歌すごいって、なんでそんな自信ないかなぁ」


「近くにもっとスゴいのがいるからなぁ」

「それ、もしかして『純』のこと?」

「うん。なんかあいつのピアノ聴いてると、俺、それだけでいいやってなるし、音楽は、純ので十分満足してるからなぁ」

「『純』とお前は違うのに? なんで満足なんだ?」

「それは……」


 答えは出なかった。


「ワカンねぇなぁ。ピアノと歌でジャンル違うじゃん?」


 改めて瀬川に言われて結斗は自分で言った言葉に首をひねった。

 ――まぁ、普通はそうだよな?

 純と結斗は同じ人間じゃない。一人と、一人。

 自分は自分だって分かっているのに、そう感じるようになっていた。多分根底には純の演奏家としての未来を奪った罪悪感みたいなモノも少しだけある気がした。

 だから、自分の音楽は、これで十分。このまま安定していたい。

 純と結斗の関係と同じだ。

 今が楽しいから。幸せだから。飢えとか渇きみたいなものがない。だから、その先なんて考えられない。

 けれど純は結斗が知らない間に、あっさりと外の世界へ目を向けていた。

 純は、あの満たされた部屋の外で何が欲しかったんだろう。何が足りなかったんだろう。

 それを知るのが怖い。


 ――じゃあ、俺は? この先、どうしたいの?


 それを考え始めると満たされていたはずの自分の音楽に飢えと渇きを思い出す。

 これじゃ足りない。

 ずっと蓋をしていた感情を思い出して、心がざわざわする。


「桃谷は、どうしたいとかないのか? 歌あれだけ歌えるんだし」


 夢ってなんだろう。ふと思った。自分のやりたいこと。自分だけの夢。


「歌手とか」

「いや、歌手とかないって。どうなりたいとか、全然」


 冗談のように笑って流したけれど、頭の中では必死に答えを探していた。

 酔っていたけど覚えている。昨日、同じことを純にも言われた。

 どうしたいの? って。


「確かに『純』のピアノはスゴいし、俺もファンだけど。お前だって、いい声もってるし比較するもんでもないだろ?」

「まぁ、そう、だけど」

「ピアノと歌は違うし、まぁ音楽は音楽だけど」


 瀬川の言葉は正論だ。

 自分が、どうしたいか、この先、どうなりたいか。答えは出ない。


「あとさ、今回の動画のこと」

「うん」


「俺自身悪いと思ってるけど、ごめん本当は、すごい嬉しかったんだ」

「え、嬉しい? なんで」


 突然告げられた謝罪とは対極にある感情に結斗は驚く。


「俺は、お前の歌が好きで、絶対スゴいって思ってる。だから、それをずっと証明したかった、みたいな?」

「なんだよそれ、峰くんと言ってること一緒じゃん」


 結斗はからかうように笑った。


「あーだよな……ごめん。本当。覚えてないけど、きっと酔ってて俺、峰にそんな話したんだろうな」

「……そっか」

「いつも、誰かに聴かせたいって思ってたし、だから、やっぱ俺が悪いのかも。マジで俺、酒やめよう」

「それ二十歳のセリフかよ? 飲み始めたばっかりじゃん」

「だよな」


 しきりに反省する瀬川を見て冗談を言う。

 酔ってたら色々ある。同じく、やらかした昨日の自分を思い出して小さく息を吐いた。


「俺は気にしてないし、瀬川も気にするなって、別に、大したことじゃないし」

「そう言ってくれると、ありがたいけど」


 結斗は、改めて自分のスマホの動画を見た。


 【歌ってみた】XXX アレンジMOMO

 結斗の歌った動画の近くに純の動画があった。最近、どこかの商業施設で弾いたらしい純のピアノ動画。

 純は、いつ演奏に行ってるんだろう? 何も知らない。純の動画を見て変な焦燥感に駆られる。


「なぁ、俺は絶対お前歌で食ってけると思うよ」

「なわけないだろ」

「もし、もしもだよ、桃谷も『純』みたいに、動画で活動したいとか思ってるなら言ってくれよな! 俺、協力する!」


 瀬川は、真面目な顔で結斗を見た。


「そんなの……俺は、全然」


 リアルタイムで更新されていく再生数、チャンネル登録者数。

 コメント欄をスクロールすれば、この前見た純の動画と同じような言葉が流れていた。

 かっこいい、すごい、好き! 神なんてコメントもあった。

 けれど、やっぱり周りがどんなに熱狂していても、自分は、ただ歌っていたいだけ。昔と同じで、どういうふうになりたいとか、音楽に対して目標みたいなものが見つからなかった。それでも、誰かに届いたら嬉しいって思う。


 純がピアノの動画をあげようと思ったきっかけを、まだ聞いていない。

 けれど、もしかしたら純もこんなふうに誰かに自分の音楽が届くのが楽しいと思っているのかもしれない。

 そうだったらいいなと思う。

 結斗のワガママのせいでピアノを辞めて。この先もずっと家の中だけでピアノを弾いているなんて、やっぱり良くない。

 外の世界には純のピアノを好きだと言っている人が大勢いる。


 ――結斗じゃない、誰か。


 それが、純の欲しかったものだとしたら。

 自分がいない方が、純のためだと思う。

 このままだと、純をダメにしてしまいそうで、ずっと怖かった。今の幸せが怖い。

 純の音楽を自分だけのものにしたくない。自分だけのものにしたい。

 結斗は相反する思いの間で板挟みだった。

 未来のことを考えると不安でたまらなくなる。


(じゃあ、俺も、純と同じことをしたら?)


 ――隣で歌ってくれたら、もっと楽しい。


 純が言っていた言葉を思い出す。


 どんなに長いあいだ近くにいても、純と何一つ同じじゃないと思っていた。

 けれど、並んでいた。

 同じサイトの中で。自分と純が。

 動画サイトのランキング一覧。純のそばに自分の動画が並んでいるのを見て、急に心が揺れた。


 純と同じことをすれば、まだそばにいられるんじゃないか。もっと、純の気持ちがわかるんじゃないか。


 純の本当を知るのが怖い。

 けれど踏み込んで、もっと純のことが知りたかった。

 純と一緒に音楽ができれば、この先、何か変わるのだろうか?


 結斗が音楽をしたいのは、この先も純のそばだけだ。間違っているかもしれないけれど、自分の歌声を届けたいのは、今も昔も純に対してだけ。

 それだけが、結斗の真実だった。

 歌うことが好きだった。


 今日までずっと消えなかった、たったひとつの思い。

 その気持ちを失わずにいられたのは、音楽を嫌いになりそうになったクリスマスのあの日、そばに純がいたからだ。


「――なぁ、瀬川」

「ん?」


「動画の活動の件ちょっと、考えてみる」

「おぉ! 前向きになった! 駄目元だったのに、なんか心境の変化?」

「とりあえず、その前に、やることある。そのあと返事する」


 ――純と話をする。


「ふーん。なんかよくわからないけど、決まったら、いつでも言えよ」

「ありがと」

「峰に連絡したら部室の機材とかも使わせてくれると思うし」


 結斗は、怖くてずっと純に聞けていないことがある。


 ――本当は、結斗のことを恨んでいるんじゃないか。


 あの時ピアノをやめなければ良かった。そう思っているんじゃないか。

 そのことを純に聞けない限り、ずっとこのもやもやした後ろめたい気持ちは消えない気がした。昨日の夜、純が決めた覚悟は何かわからない。

 結斗にとっての覚悟は、純の答えを聞くこと。

 長い付き合いだから、純の顔を見えれば、嘘を言ってるかどうかなんて分かる。

 だから、聞けないでいた。


 丁度、昼食を食べ終わったタイミングで純にスマホで呼び出された。

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