一ヶ月が、たった。

四時間目の授業が終わり、教室に安堵と喜びの空気が流れる。各々が弁当やパンを取り出して食事を始め、私もそれに習い昼食を取り出す。今日はサンドイッチだ。

私はこの時間が好きだ。それぞれがそれぞれのことに集中し、どこにも注目が集まっていないこの瞬間が、たまらなく愛おしい。


ちらり、と、左の席の様子をうかがう。

雪乃は自作しているらしい弁当を頬張っている。あまり楽しそうじゃない。変わっていなければ、彼女はおかずを交換したりだとか、くだらない会話だとか、そんなものが飛び交う賑やかな食事が好きだ。彼女の魅力なら、そんな関係を構築するのも容易いはずだ。ならなぜしないのか。それは、きっと、

守り続けているのだろう。私との約束を。


雪乃とは、決別したあの日からほとんど会話していない。

言葉を交わすこと自体は、ないわけじゃない。英語の音読とか、グループ学習とか。でも、

あれらを会話と、認めたくない。

あんなもので関わったと、思いたくない。

会話をしないのは、きっと彼女なりの責任の取り方なのだろう。でも、それだけじゃダメだなのだ。それは、私が去年に戻るだけだ。

結局のところ。

私に友達はできていない。

去年一年間で、ボッチ根性が染み付いてしまった。

雪乃も雪乃で、あまり声を出さなくなった。大方私に気を遣っているのだろう。心揺さぶる声が聞こえないのは嬉しくもあるが、同時に雪乃のことを私が縛り付けているようで、ちょっとモヤモヤした気持ちになる。

あの出来事の前は、雪乃の低めの落ち着いた声は嫌いでは...いや、むしろ好きだったのに。

増える考え事と反比例して、手元のサンドイッチはどんどん減っていく。悩みも食べて減らせればいいのに。...あ。

私より一足先に食べ終わったようで、雪乃が教室から出ていく。


「...あれ?」


おかしい。彼女は私と一緒で人との関わりを絶っている。だから基本的に昼休みはスマホをいじるか本を読むかして過ごしている。

トイレに行ったのだとすれば右側に進まなければならないのに、今日の雪乃は左側に足を進めた。...なにか用事があるのだろうか。


「う...よし」


食べ終えたサンドイッチの袋をゴミ箱に叩き込み、廊下に出て左に進む。雪乃は...いた。人を避けながら、距離を保って彼女を追う。


いや違う、これは断じて、ストーカーとかではない。

雪乃の普段しない行動は、私の生活に負の影響があるかもしれないから、だから、そう。

しかたない。しかたないのだ。








雪乃がたどり着いたのは体育館裏。昼休みにはほとんど人が来ない場所。先に来ていた女子...別のクラスの子だ。体育のときに見た覚えがある。ふわふわとした髪とふにゃっとした笑顔が特徴の、可愛い子だ。

明らかに緊張した面持ちで待ち構えていた彼女が次に言いたいことは、に疎い私にも分かってしまった。

分かっているはずなのに、思考がしびれて頭が回らない。何かを考えなければならないのに、その何かが分からない。


「笹原さん、好きです!付き合ってください!」


そこから先のことは、あまり覚えていない。

唯一頭に残っているのは、「考えさせてくれ」との言葉だけだった。







気がついたら、教室で授業を受けていた。

時計を見ると、六時間目の半ばごろ。5時間目の記憶がまるまる無い。

ちらりと、左の席を盗み見る。雪乃は至って普通に授業を受けている。告白されたことなんて、存在しないかのように、いつも通りに。

...受けるのだろうか、雪乃は。

雪乃は頭の回転が早い。人気もあったから、告白というイベントは初めてではないだろう。経験不足からくる迷いではない。それなら──────


ぶんぶんと、頭を振って思考を飛ばす。何でそんな事を考えているんだ私は。関係ないじゃないか。受けるか受けないかなんて。

雪乃とのかかわりを絶ったのだから、どうなろうと知ったことではない。それなのに、どうしてこんなに思考が歪むのか──────

知らない。わからない。予想もつかない。わかんないったらわかんないんだ。無駄なことを考えるな、どうせわかんないんだから、考えるだけ無駄──ああ、くそ。


いつの間にか、授業は終わっていて


「ねえ、


その言葉は、自然に口からこぼれ出た。


「今日、家、来なよ」








道中、会話はなかった。お互いに、なんの意味もない世間話をしたいと思わなかったから。

家につき、扉を開ける。誰もいない家に、ただいまとお邪魔しますが空虚に響く。


「...こっち」


雪乃に先に自室に入らせ、内鍵を閉める。

これで、準備は整った。


「それで、さ。なんのつもりなの、優。あんな事があったのにまた私を呼んで。誘ってんの?」


ひどくうざそうに、雪乃は言う。

久しぶりに声を聴いた気がする。相変わらず頭にすっと入ってきて心に染み込む。それが機嫌の悪そうな声でも、やっぱり好きだ。

本当に機嫌が悪いわけではない...と、思う。雪乃は「やらなきゃいけない嫌な事」をやるときはグチグチ言う。それはもう凄く。それがないということは、本気で嫌がってるわけではない。と、信じたい。


「そこ、座ってよ」


問には答えず、ベッドを指し示す。

雪乃は私の声に含まれる「何か」を感じ取ったのか、大人しくそこに腰掛ける。


ごめん、雪乃。卑怯だけど許してね。


雪乃の膝に跨り、肩に手を当てて体重をかけると、意図を汲み取ったのかゆっくりと彼女が倒れていく。

私ぐらいの力なら、強引に振り払う事もできたはずなのに、大人しくされるがままになっている。そのことに信頼を感じている間に、雪乃の背中がシーツにくっついた。

...これは、卑怯な私の僅かな抵抗。

これから言うことは、本来今の私では言ってはいけないことだから。せめて見た目だけでも優位に立たないと、この言葉を口にできそうもないから。


「ねえ、今日、告白されたよね」


しびれそうになる舌を、無理矢理に動かして。雪乃をシーツに強く押し付けながら、続く言葉を絞り出す。


「...あれ、断ってよ」


空気が、雪乃の纏う雰囲気が、一瞬で冷たくなった。まだ何も言われていないのに、白旗を上げたくなる。


「なに、それ、今更、」


ああ、そうだ。


「なんでよ、なんで、優に今更そんな事言われなきゃいけないの?」


こんな事、言う権利なんて無いのに


「わ、私を拒絶しといて、都合、良すぎ...」


でも、だって。そんな言葉は浮かぶのに、あとの言葉が続かない。そんな思考とは裏腹に、口は勝手に言葉を紡ぎ出す。


「だ、だって、私達、まだ、別れてない」


「...ぇ」


ああそうだ。わたしたちは別に別れようとして別れてない。ただ、なんとなく疎遠になっただけ。きちんと別れたわけじゃない。

なら、私はまだ雪乃の恋人のままで、


「恋人がいるのに、新しく作るのは、浮気、だから。浮気は、よくない、から」


「なんでよ、私のこと怖いって、言ったくせに。だからもう近づかないようにって、思ったのに」


自分でも何を話しているのかわからない。一つわかるのは、考えたら止まってしまうということ。だから私は口が動くままに話し続ける。


「私が、雪乃を怖く思っていることと、雪乃のことが好きなことには、なんの関係、も」


言葉は最後まで紡げなかった。

雪乃が動いたと思った瞬間、さっきまでとは全く逆のポジション...彼女が上で、私が下になっていた。顔が熱くなる。心臓が高鳴る。...幸せが、止まらなくなる。


「そんなこと、言ってさ。何されるか、分かってんの?」


うん。分かってる。今から始まるのは、きっと、


「あの日の、続き」


あのとき拒絶してしまった行為を、もう一度。


「...いいの?」


「いいよ」


あのとき、私が怖かったのは、性欲を向けられること───だけではない。


私が、雪乃に性欲を向けること。

あのとき、私が逃げなかったら、私は触れるだけのキスでは我慢しきれなくなっていた。

拒絶されるのが、怖かった。

でも、お互いの気持ちがわかった今なら、


「もう、怖くないから」




その日、私達は。


一年越しの、キスをした。

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苦手で、怖くて、──してる。 魔導管理室 @yadone

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