黒猫が一匹 第1話
葉が風に揺られさらさらと音を鳴らす。その心地よさに目を開けると、青色にきれいに塗られた空があった。そこには色んな食べ物が浮かんでいる。
――ああ、もう少し寝よう。そう思って目を閉じようとしたら、どこからか「ゆめみ」と言う声が聞こえた。
何度も聞こえる謎の声。いったいなんだろう、と小さく疑問が出たら、心の中で違和感になった。いったいなにが違うのだろう。
ゆめみ、と言われるたびに少しずつその違和感が形を帯びてくる。
それがきちんと形になる前に目の前が真っ暗になった。
「……ん…」
「あ、起きた。おはよう!昨日もだったけど、お寝坊さんね!」
「…ぉ…」
口の中も喉もからからでうまく話せない。口を閉じ、もう一度口を開いた。でも、おはよう、と返す前にマヌエラがお茶を渡してきた。
くいっと力を入れて蓋を回す。そしてそのまま口をつけ、ゆっくり、少しずつお茶を口の中に入れた。いつも飲むより少ない量、それが喉を通るたびに潤っていく。渇いた独特のいがいがな気持ち悪さが薄れていく。
「…はぁ、おはよう。あと、お茶ありがとう」
「いいのよ」
「ご飯よ!風香が来てるの。ゆめみが起きないからずーっと待っててくれてたんだよ、ほら早く早く」
と私の手を握る。優しく握る手からは、水で洗ったのか、冷えていて湿っている。
隣でマヌエラが腰に手を付き
「百合も寝坊して、さっき顔をあらったばっかりでしょう。お寝坊さん」
とくすりと笑いながら言った。
もー、言わないでよーと口をムスっとさせて、私の手を引っ張る。されるがままに合わせて歩き、贅沢に流れている水の前で立ち止まる。
「この川はきれいだから顔洗えるよ」
たしかに透明で透き通っている。変な臭いもしない。しゃがんで手をお椀の形にして水をすくう。起きた時の皮膚に優しい温度で洗いやすかった。こんなにあるたくさんの水を、ただ顔を洗う事だけに使うというのはなんて贅沢な事なのだろう。
すっきりしたところで、拭くものもないのでそのまま百合たちのところへ向かった。
坂の途中で風香の持っている弁当を覗いている。あの女性が作ったような食べ物なのだろうか、それともカフェと言っていたからカフェにしか出ない食べ物なのか。考えるだけで口の中に唾液がたまった。
百合の隣に立ち、同じように覗く…が全く中身が見えなかった。
「ゆめみちゃん、来たんだね。あの店すっごく美味しかったんだよ。特にサンドウィッチがからしが効いたマヨネーズでね、最高なんだよ」
風香はそう言いながら袋を百合に渡した。
その場に座って、マヌエラとはしゃいでいる。がさがさと袋から弁当箱を取り出して、地面に置いていく。サンドウィッチを見た瞬間、ひまりがそわそわし始めた。
サンドの中身はサラダや赤い実などが入っておりとても色鮮やかだ。起きたばかりで動いてるかも分からないお腹でもなんなく食べられそうだ。
百合が蓋を開け、一個一個みんなに配っていく。そして、誰も合図をしていないのに、「いただきます」と声を揃えて口に含む。
パンに水分がとられてもサラダと赤い実のみずみずしさでいくらでも口に入る。からしも良い具合に主張し全く飽きない。
あまりの美味しさにひまりが、トマト最高と言って食べている。
だからか全部を食べ終わるのにあまり時間は必要なかった。
いつのまにか最後の一口になっていたサンドを口に入れ、鼻や口の感覚に集中した。柔らかいパンの先にザクリと気持ちのいい音が鳴る。次に歯をおろした先では、トマトの感触があった。他とは違って酸味があり一番外側は嚙み切れるような切れないようなものがある。また歯を上にあげ、下におろす。まだサラダがざく、ざく、と音がする。全てが混ざると美味しさが増し、そこにからしが味に強弱をつけ完璧になる。鼻に通るころには複雑で美味しい香りが通り、思わず口角が上がった。
ごくり、と飲み込み、余韻を楽しみたいが行きたいところがあるのでお茶を何口か飲む。
ぷは、と言い、立ち上がる。
「ちょっと思い出した事があるから、行ってくる」
そう言う私にあわせて、ひまりも立ち上がった。
「ぼくもおやつ取りに行ってくる」
「あら、また雀?」
「そうなの?二人とも気を付けてね。私たちでご飯を用意してるよ」
「雀じゃないよ、ねずみだよ」
相当美味しいのかひまりは目をつむって、ほくほくとした顔をした。
「えっと、すぐ戻って手伝うから」
「慌てたら事故ったりケガするからゆっくりね!」
「そうよ、二人ともいってらっしゃい。それと風香さん、ありがとう。ごちそうさま」
マヌエラの最後の言葉に百合とひまりは慌てて、ありがとうと繰り返す。私も忘れていたので急いで、ありがとうと言った。
「どういたしまして」
と風香はにこりとして返す。
さて、と気を取り直し、坂を上がっていく。ひまりも同じ方向に行くらしい。風香は静かに私の隣を歩いていた。話しかけたらいいのか、と考えが浮かぶがすぐに消した。これから行く場所は百合がついてきたらだめだからだ。多分そのために風香も黙ったまま歩いているのだろう。
上の道に着くと風香がほんの少し足を速めて先を歩いた。何も話さずに着いていく。
朝の澄んだ空気が鼻の奥をくすぐり心が晴れ、体の中…頭の先からつま先隅々まで目が覚めた。寝坊したので遅い朝だが、それでも昼や夜とは違う空気だ。
ずっと歩いて行くと何かが止まっていた。一部が黄色くチカチカしている。
その何かに近づくと風香はその何かを軽く叩いた。そしたら、がちゃんっと音がして、後ろらしき扉を開けて「どうぞ」と言った。
よくわからないのでただ見ていると、ひまりが「車だよ。後ろに乗って座ってってことみたい」と教えてくれた。
何も話す事もできず、唯一思いついたお辞儀をして、頭をぶつけないように腰をかがめて中の椅子に座る。それを見届けるとひまりは逆方向へ走っていった。ひまりも色々と考えてここまで着いてきてくれていたのだ、それがわかると何とも言えない暖かさや涙が胸の中に広がった。
風香も頷いて扉を閉め、後ろを周って反対側の扉を開け、隣に座った。そして私の代わりに運転席の女性に住所を伝えた。
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