第46話 緑川伊織のパラドックス

「りんねを泣かした!」


 と伊織は怒った。正直言えば、どの面下げて言っているんだと思わないでもなかったが、そういうことは伊織には関係ないんだろう。


「緑川、いいよ、大丈夫だよ」


 瑠璃垣は必死に涙を隠そうとしながら、伊織を引き止めている。


「いいわけない! りんねは泣いてるじゃないか」


「大丈夫だよ、大丈夫だから……」


 伊織に縋りつくようにしていた瑠璃垣が、ゆっくりと崩れ落ちて、床にへたり込んだ。りんね!? とそばにしゃがみこんだ伊織に、瑠璃垣は大丈夫と手で合図する。だけど、顔を覆っている手の間から、ふふ、ふふふ、と笑い声が漏れてきた。


「りんね?」


 瑠璃垣は笑いをこらえているようだった。だけど、次第にこらえきれなくなって、大声を出して笑い出した。


「ど、どうしたの? どこか痛くなった?」


 と伊織が心配そうにしているけれど、瑠璃垣はお腹を抱えて、我慢できないといった様子で笑い転げる。


「ご、ごめん。ほんとは……笑うところじゃ、ないのに……」


 涙も笑い泣きに変わってきたころ、息継ぎのように、瑠璃垣がぽつり、ぽつりとつぶやいた。


「でも、おかしくって……。緑川が、こんな風に、あ、あたしの心配、してくれるの。あたしは、ふたりを、別れさせようとしてたんだけど?」


「それとこれは別問題だ」


 と伊織は言い切ってしまう。


「それと、これは、別問題!」


 伊織は腕を振り回して、叫ぶ。それを見て、瑠璃垣は我慢しきれなくなったように笑う。伊織だって分かっているんだろう。自分が矛盾していることに。瑠璃垣を擁護しようとしている自分のおかしさに。


 俺は、瑠璃垣にとってただの恋敵だけれど、伊織はそうじゃない。


 伊織は、瑠璃垣の告白を振ったのだ。瑠璃垣を拒絶した。


 それでも、伊織は瑠璃垣と一緒にいたいと思っている。その手を離したくないと思っている。葉山が言っていたように、それはすごく残酷なことなんだろう。求めに応えることはなく、けれど、伊織は求める。


 俺に瑠璃垣と仲良くしろと叫び、瑠璃垣にそばにいてほしいと頼み、葉山に俺を好きでいてくれと話す。


 それはどれも矛盾している。


 けれど、伊織は気付かない。伊織にとって、それは全て一貫していることだから。


 伊織は自分の気持ちに正直なだけだ。だから、矛盾する。


「瑠璃垣」


 俺は言う。


「これが伊織だから。気にすることない」


 俺がこう言うと伊織は怒るだろうけれど、俺が言っておかなくちゃいけない。


「伊織は結構ぶっとんでるよ」


何言っているんだ、と伊織が怒る。ふはっ、と瑠璃垣が吹き出す。


「それが、緑川の可愛いところだよな」


 俺は全面的に同意した。

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