第38話 幕が上がる

 赤根崎が舞台上でメロスを演じている。場面はちょうど街へやってきて、市民に話を聞いているところだ。この街には、暴虐な王がいる、と。


 じきに俺の出番もやってくる。俺は――セリヌンティウスを王の前に引き立てる兵士役の生徒会庶務と、舞台袖で待機していた。


 メロスはいよいよ王の元へ参上し、その身を捕らえられる。妹の結婚式のため、処刑の日にちを遅らせるように頼み、その身代として、セリヌンティウスが召される。


「行きますよ」


 兵士役の庶務が言う。


 応、と俺は答えた。兵士は乱暴に俺の手を引き、歩き出す。しょっ引かられるセリヌンティウスはつんのめりながら、舞台へ出た。


「――!」


 空気がぐっと重くなったように感じた。観客の視線が痛いくらいに集まるのを感じる。一瞬、顔を上げられないかと思うくらいだった。背筋を伸ばして、赤根崎――メロスを見た。


 台詞。メロスとセリヌンティウスが久々の再会をたたえ合う場面。


 舌がもつれるような感覚があって、口だけがぱくぱくと動いた。台詞を、飛ばしてしまった――!


 あっ、と思う間もなく、赤根崎が距離を詰めて、俺に抱き着く。


「おお、懐かしい友の顔に声も出ないか、セリヌンティウスよ!」


 アドリブだった。俺のミスをカバーした赤根崎はそんなことを欠片も感じさせないまま、劇を進めていく。


 悔しい、と思った。


 上手く出来るつもりはなかったけれど、迷惑をかけることになるとは思ってもなかった。俺はそれでも、せめてセリヌンティウスらしく、胸を張った。赤根崎はすごい奴だ。メロスのように。


+++


 王の退席とともに、俺も舞台袖へはけていく。ステージには変わらず、赤根崎がいた。


 王役の生徒会長が、声をかけてくれた。


「ははは、台詞飛ばしたね! よくあることだよ、気にするな!」


 豪快な笑い声をとばしながら、生徒会長は奥の方へ引っ込んでいった。俺は慰められて、余計惨めな気分になった。


 だけど、どうすればいいのか分からず、漠然と台本を開いて、読むことしかできなかった。


「君、落ち込んでる場合?」


 伊織の声だった。顔を上げると、彼女が舞台袖にいた。


「しっかり赤根崎くんを見ててあげるんだよ。君の友人だ」


 どうしてここに? という言葉は出なかった。分かりきっていたからだ。


「私の恋人の初舞台、手伝わせてもらうよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る