第37話 セリヌンティウスとメロス

 舞台袖に入り、衣装に着替えると実感が湧いて、だんだんと指先が冷えてきた。俺はこれから生徒会の演劇に参加するのだ。


 既に準備を整えた赤根崎が、俺の様子に気付いて、声をかけに来てくれた。


「どう? 緑川さんにいいところ見せられそう?」


「ぶち壊さないかの方が心配だよ」


「大丈夫だって。どうせ余興だもの」


「いや、それでも……」


 などとやり取りしていると、赤根崎は急に黙って、客席の方を見た。俺もつられて、そちらを向くが、何か興味を引くようなものはなかった。席の後ろの方に、伊織たちが見えるだけだ。


「何かあった?」


 と尋ねると、赤根崎は、いや、と否定する。


「考え事をしてただけだよ。藍田くんはさあ……」


 と俺に呼びかけておいて、赤根崎はまた黙る。何だよ、と先を促すけれど、赤根崎は口を閉じたまま、視線を右の方に逸らしている。


 俺は仕方なく、もう一度、赤根崎が見ている方に視線を移すけれど、やはりそこにめぼしいものはない。


「赤根崎、さっきから何を見てるんだよ」


「……全力を尽くすって、どうやればいいのかなあって、思ってさ」


 俺たちに見られているとは少しも思っていない伊織たちは、軽音部に渡されたペンライトを振り、バンドの演奏で盛り上がっている。伊織たちというよりは、伊織に促される形で、藤村や瑠璃垣が付き合っているという方が正確かもしれない。


 赤根崎はゆっくりとまぶたを閉じた。


「怖いなあ……失敗したらどうしよう。もっと練習しておけばよかった」


 伊織が立ち上がったのが見えた。藤村もつられて立ち上がり、両手をまっすぐに伸ばして、ペンライトをかざす。ここから見ても分かるくらい、顔が真っ赤だった。瑠璃垣は驚きすぎて、固まっている。


「ぼくは、何でも六十パーセントぐらいの力でこなすのがいいと思ってたんだよね。その方がかっこいいじゃん……!」


 俺は赤根崎が言いたいことが分かった。昔から、赤根崎は一歩引いた立場でいることが多かった。それは、赤根崎が冷めた奴だからではなくて、何にでも熱中しやすい性格だったからだ。


 よく言えば好奇心が旺盛で、悪く言うと周りに影響を受けやすい。赤根崎はそんな自分が嫌いだったのかもしれない。自分を否定するために、周囲からほどほどの距離を取ることを選んだんだろう。


「あーあ。どうしてぼくは天才じゃなかったのかなあ……」


 軽音部の演奏がすべて終わり、照明が落とされ、いったん幕も降ろされる。体育館は薄暗闇に包まれて、客席のペンライトがひときわ眩しく輝く。


 俺は赤根崎の背中を、思いっきり叩いた。


「しっかりしろ。メロスはお前なんだから」


 俺は舞台袖の小窓に赤根崎を連れて行って、窓を覗かせる。


 藤村がペンライトを小さく振っていた。


「待ってる人がいるんだろ」


 赤根崎が俺を見る。


「さっきまでビビってた人とは別人みたいだね」


「それは、お前だろ」


「うん、ありがとう。覚悟が決まりました」


 俺は、赤根崎に思いっきり背中を叩かれた。

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