第21話 コンプレックス

 買い出しへ行った次の日、葉山からメモ書きの手紙を渡された。


『藍田くんへ

 買い出しのときはありがとう。藍田くんのおかげで、文化祭がいいものになりそうです。こんなときに言うのは駄目なことかもしれないけど、私は藍田くんと、二人っきりでお話しできて、楽しかったです。文化祭まであと少しだけど、がんばろうね。


 追伸 みんなも悪気があった訳じゃないと思うので、許してあげてください』


 買い出しには、数人のクラスメイトと出かけたのだが、知らないうちにはぐれて、葉山と二人だけで買い出しを済ませたのだった。書かれていたのは、そのことへの葉山からのお礼だった。


 葉山の言葉は、俺にはむず痒い。緑川と似ているようで違っていて、葉山の方がもっと遠回しな言い方をするからだろうか? 真意が分からないというのも、理由の一つかもしれない。


「藍田くん、ちょっといい?」


 教室の内装を手伝っていると、葉山に声をかけられた。パーテンションにかけてあるカーテンの向こうから、手招きしている。葉山の周りには女子がいて、こちらを見ていた。


「藍田くんの意見を聞かせてほしいんだ」


 近付くと、カーテンから顔だけ出していた葉山がこちらに姿を見せる。


「これ、当日に着るメイド服。どうかな?」


 葉山は足首まで隠れる長いスカートの、クラシカルなメイド服に身を包んでいた。メイドキャップを被った葉山は恥ずかしそうに顔を赤らめ、居心地悪そうにキャップの位置を直している。


「……いいんじゃない?」


 何とか言葉を絞り出すと、周りの女子が、えー、それだけー? とはやし立ててきた。葉山は俯いたまま、


「緑川さんに比べたら、見劣りするかもしれないけどさ、そんなに駄目かな?」


 俺は、似合ってるよ、と言うしかなかった。


「宣伝ついでに、少し歩いてくるつもりなんだ」


 と葉山が言うと、周りの女子が、一緒についてってあげてよ、と言う。


 俺はメイド喫茶の看板を持たされて、葉山と一緒に廊下に出された。


「ごめん……買い出しのとき、二人でいたから、みんな悪ふざけしてるんだよ」


「俺は大丈夫だけど、葉山は迷惑だろ」


「そ、そんなことないよっ! 迷惑じゃない……」


 黙り込んだ葉山に、おれはうんざりしていた。


「さっさと済ませよう。一周してくれば、いいんだろ」


 うん、と頷いた葉山は俺のあとをついてくる。廊下はいつにない熱気があって、葉山と二人、黙ったまま廊下を歩くのはすごく場違いな気がした。


「あ、藍田くん! 少し待ってほしい……」


 振り返ると、葉山が背中を抑えて、しゃがみこんでいた。


「どうかした? 大丈夫?」


「その……リボンがほどけちゃったみたい」


 見れば、エプロンの肩ひもがたるんでいた。俺は仕方なく、葉山のエプロンのリボンを結び直した。大げさな葉山の態度に、俺は苛立っていた。


「これで大丈夫だと思う」


「あ、ありがと……。あはは、藍田くんの前だと私ダメダメだね」


 笑っているのに、葉山の表情は暗かった。それこそ口だけで虚しく笑った。顔をあげた葉山が、一度俺の顔を見てそれから、あっ、と声をあげる。


「君、楽しそうだね」


 声が頭の上からして、振り向かなくても緑川だと分かった。


「こんなに可愛い子を連れて、何をしてるの?」


 不機嫌な時の緑川の声は、とても丁寧になる。まるで怒ってないみたいに、穏やかで愛想がよく、むしろ上機嫌みたいに聞こえる。


 俺は、クラスの宣伝だと言おうとした。だけどそれより先に、葉山が、


「緑川さんに褒められるなんて、光栄だなあ。私たちのクラス、メイド・執事喫茶をやるんです。もしよかったら、来てみてください。私より可愛い子がたくさんいますよ」


 と言った。緑川は満面の笑みで、


「それじゃあ、ぜひ寄らせてもらうよ。葉山さんより可愛い子がたくさんなんて、楽しみだ」


 と返す。


「緑川さん、当日はお友達も誘ってきてください。少しくらいならしちゃいますから」


「いいのかなあ、そんなによくしてもらって。だけど、せっかくの好意だものね。お言葉に甘えさせてもらおうかな」


「ぜひぜひ。何だったら、緑川さんもメイド服、着ちゃいます?」


 緑川が、その綺麗な瞳で俺を一瞬見た。


「それはやめておくよ。葉山さんにはかなわないから」


 それから、緑川は俺に顔を寄せて、小さな声で、


「手伝ってくれたお礼をしたかったのだけど、いらないみたいだね」


 と囁いた。勘違いだ、と言おうと思ったけれど、瑠璃垣と約束する緑川が思い浮かんで、言葉が引っ込んだ。代わりに


「瑠璃垣によろしく言っておいて」


 という言葉が口をついて出た。


 緑川は一瞬驚いた顔をして、それから張り付いたような笑顔を浮かべた。じんわりと口角をあげて、細めた目で俺を見る。その瞳は、かすかに潤んでいるみたいに見えた。


「君が言うなら、そうする」


 その声は、どうしてか、すごく悲しげに聞こえた。


「藍田くん、そろそろ戻らないと……」


 葉山の声が遠くに聞こえた。緑川は、お邪魔したねと言って、静かに立ち去っていく。


 胸の奥がひどく痛んだ。今まで知らなかった、すごく強い痛みだった。

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