第14話 二人の約束
「君、化学の教科書、持ってきてる?」
休憩時間、緑川が教室に顔を出した。
「昼休みまでに返してくれると助かる。五時限目、化学だから」
「分かった」
昨日の出来事が嘘みたいに、緑川は淡々としていた。
緑川が去ったあと、赤根崎が話しかけてきた。
「喧嘩したんじゃなかったの?」
「何で知ってるんだよ」
「藍田くんが瑠璃垣さんに絡まれてるとき、緑川さんを呼びに行ったのは誰でしょう?」
瑠璃垣と口論していた時、階段を下りてきたのは赤根崎だったらしい。
「でも、余計なことをしちゃったみたいだ」
「悪いのは俺だからなあ……」
「自覚はあるんだ」
俺は瑠璃垣に嫉妬した。その結果、二人を傷付けるようなことを言ってしまった。それはどんなに後悔しても、変えようのない事実だ。
「緑川さんは何ともないって感じだったねえ」
「前回の反省が活きてるんじゃないか?」
「前回?」
前に緑川と喧嘩したときは、一週間ほど口を利かなかった。あの時は、緑川が悪いと思っていたから、こっちも意地になっていたけれど、さすがに今回は気持ちが重い。
そんなことを赤根崎に話していると、藤村が駆け込んできた。
「藍田さん、伊織ちゃんに何したんですかぁ!?」
赤根崎がびくっとなって、俺の後ろに回った。藤村がすごい剣幕で続ける。
「今日は朝からずぅっと、溜め息ついてます! 元気もないし、上の空だし、伊織ちゃん病気になっちゃいます……!」
「昨日、緑川に叱られた」
「叱る!?……じゃ、じゃあ早く伊織ちゃんに謝りましょう。早い方がいいですよ」
「それは分かってるんだけどね」
「言い訳してる場合ですか!」
俺は苦笑いを返すしかなかった。
赤根崎が興奮した藤村を落ち着かせようと、俺と彼女の間に入る。
「まあまあ、藍田くんも考えがあるんだよ、ね?」
と助け船を出してくれるが、それに乗るつもりはなかった。
「謝れば、多分緑川は許してくれる」
「だったら……!」
「でも、それじゃ意味がないんだ。緑川に許してもらうだけじゃ」
藤村は疑問符を浮かべながら、はっきりしない俺に対して、怒っているみたいだった。
「藤村、悪いけど、緑川のことをよろしく頼むよ」
「言われなくても!」
ぼくには何かないの、という赤根崎は無視した。
「何か言ってよぉ」
「そうだな、昨日はありがとう」
それだけ!? と赤根崎は叫ぶように言った。
+++
瑠璃垣がなかなか捕まらず、結局、放課後になってしまった。
部活終わりに、図書室の前の廊下で待っていると、彼女が階段をのぼってきた。
瑠璃垣、と声をかけると、
「ちっ……」
と舌打ちが返ってきて、彼女は顔をそらした。
「昨日は悪かった」
「……何が言いたいんだよ、おまえ。さっさと緑川と別れろ」
「そのことで話があるんだ」
「はっ、やっとあの人から離れてくれるのか?」
「いや、緑川がそう望まない限り、俺から離れてくことはないよ」
瑠璃垣が尋常じゃ無い剣幕で、俺を睨んだ。
「緑川にふさわしくないって、おまえ、昨日自分で言ったよな? それから、あたしになんて言ったっけ? 緑川には何を言われた? 誰もおまえのことなんか好きにならねえよ!」
「緑川は、俺には確かに出来すぎた恋人だ。だけど、やっぱり見捨てるようなことはしないと思うんだよな」
だから、どんなに至らなくっても、ふさわしくなくても、緑川の隣にいたいと思うなら、俺はそのための努力をするべきだったんだ。
「あ?」
「瑠璃垣、お前はどうして緑川に関わりたがるんだ?」
俺は、瑠璃垣のことをもっと知らなければいけない。俺が口にしてしまったことが、どれだけ彼女の気持ちを踏みにじったのか、理解するために。
「おまえに教える訳ねえだろ!」
どれだけ彼女の真摯な思いを、軽んじてしまったのか。
それを理解できるとは言わない。だけど、理解しようとする努力はやめたらいけないものだった。
「もしかしてお前も、緑川のことが好き……なのか?」
瑠璃垣が大きく息を吸う。女子にしては背の高い彼女の身体が、もう一回り大きくなったように感じた。
「ばっっっっかじゃねえの!!!」
そのまま彼女は踵を返し、階段を駆け下りていってしまった。
俺の背後で、図書室の扉が開く。
「あれ? 君、どうしてここに?」
そこには、緑川が立っていた。図書室に差し込む夕日を背景に、彼女の瞳が、鮮やかに輝いている。
「それに、瑠璃垣さんの声もしてなかった?」
耳鳴りと頭痛を振り払うように、言葉を整える。俺は何から話し始めればいいだろう。
「ま、待った! 今回は私が先に言わせてもらうから!」
口を開きかけた俺を、緑川が止める。もし、もしもの話だけど、と前置きを置いて、緑川は話し始める。
「もし君が別れたいと言っても、私は絶対に頷かないから……!」
「頷かないだけ?」
「は、離れてやらないし、忘れてもあげない……!」
必死で言う緑川がかわいくて、つい笑ってしまい、さっきまで何をしていたか気付かれてしまった。
「瑠璃垣さんと話していたの?」
「昨日のことを謝ったんだ」
「そ、それで、何か言ってた? 昨日は余計なことを言ってしまったから……」
「緑川が心配するようなことは何もなかったよ」
「……君は? 君は瑠璃垣さんと何を話したの?」
緑川は心配そうに俺を見ていた。また、昨日みたいなことを言ったんじゃないか、と思われているんだろうか。
「緑川に伝えたかったのは、それなんだ。謝ったから許してもらえるわけじゃないけど、瑠璃垣とは、もう少し話してみたいと思う。それが済むまで、緑川とは一緒にいられない」
「……そう」
緑川が唾を呑み込む。
「昨日は、緑川の気持ちを決めつけるようなことを言って、ごめん。瑠璃垣にも、緑川にも失礼なことだったと思う。俺は、緑川にふさわしくなかった」
そんなこと、と緑川は否定しようとする。だけど、それは俺が止めた。
「君にふさわしい俺になれたら、また隣にいてもいいか?」
もちろんだろう、と彼女は言ってくれた。
夕日がきれいな放課後のことだった。
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