第15話


「実はさ、五十嵐くんに伝えたいことがあって」


 二人ともピザを食べ終わり、お酒も3杯目に差し掛かった頃、実里がかしこまった顔ですっと俺を見た。なんだか真剣な雰囲気だ。俺は手に持っていたグラスを置き、「なに?」と聞き返す。


「会ったばかりでこんなこと言うのもなんだと思うけど……私、記憶喪失なんだ」


 先ほどまで流れていたBGMの曲が途切れ、新しい曲が始まった。

 重大告白をした実里の表情は、固く強張っていた。


「そう……なんだ」


 薄々感づいてはいた。昔、恋人だった俺にここまで他人行儀な態度をとれるはずがない。俺は近くを歩いていた店員を呼び止め、水を入れてもらうようにお願いする。


「これ、どうぞ」


「ありがとう」


 水を一口飲んだ彼女は、ふっと肩の力を抜いた。


「こんなこと急に言われても意味わかんないよねえ。ごめんね?」


「いや、大丈夫。差し支えなければ、どうして記憶喪失になったか、聞いてもいい?」


 俺と別れたあとの空白の七年間に、彼女の身に何が起こったのか。とても気になった。


「大したことじゃないんだけど。大学三年生の時に、自転車で通学してたら交差点で車にぶつかって。自転車から投げ出された私は数メートル吹っ飛ばされたの。それで、目が覚めたら昔のこととか、親しかった人のことを忘れてた。幸い怪我は骨折と打撲程度で済んだんだけど。授業にもついていけなくなって一年留年したから、今私、25なの。それ以来、怖くて自転車に乗れないんだよねえ」


 自転車に乗っている最中に車に撥ねられたことを「大したことではない」と言える彼女もすごいが、俺の知らない時に彼女の身にそんな壮絶な不運が降りかかっていたことに、驚きを隠せなかった。


「……大変、だったね」


 どんな言葉をかければいいか分からず、俺は通り一辺倒なありふれた返事をしてしまった。


「ええ。まあそうね」


 彼女は事故当時のことを思い出したのか、遠い目をして頷いた。もし俺が彼女の立場なら、とても辛いし立ち直れているか分からない。昔の彼女の控えめな性格はなくなってしまったけれど、こうして普通に暮らしているだけでも、どれだけの努力を要したのか想像がつく。長く、暗いトンネルだったかもしれない。そう思うと、昔の彼女と今の彼女を比べるのは良くないと思った。

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