第7話 世界的なパンデミック

 今回の、

「世界的なパンデミック」

 にしてもそうである。

 罹った人は、もちろん、医療従事者に対しての差別も激しかった。

 家族に医療従事者、つまり、医者であったり、看護婦がいるというだけで、

 子供だったら、

「学校に来ないでください」

 といわれたり、旦那の方も会社に行って、

「濃厚接触者は出社してくるな」

 といわれ、ひどい時には、解雇されるということまで起きていたという話を聴いたこともあったが、その真意は分からない。

 しかし、それくらいのことがあっても驚くことなどないというほど、最初の頃はその情報の錯そうもであったが、内容としても、結構でたらめが多かった。

「あるうがい薬が効く」

 などというウワサが流れると、街の薬局から、あっという間に、それこそ、一瞬にしてといってもいいくらいに、その消毒液が消えているということもあったくらいだった。

 実際にはデマだったのだが、それだけ、誰も正しい情報を掴んでおらず、デマであろうが、とにかく飛びつくという輩がいかに多いかということである。

 冷静に考えれば。

「ただのデマであればいいが、その薬を使うことで、却って死に至るということが真実であれば、どうだというのだ」

 つまり、ウワサというものは、どのような伝わり方をするか分からない。本当は、

「危ないから絶対に使ってはいけない」

 という趣旨の話が、どこでどう変わったのか、

「その薬が効く」

 という風にならないとも限らない。

 テレビなどのバラエティでよくある、

「連想ゲーム」

 という遊びであるが、

「数人に伝達するのに、その内容はコロコロ変わっていることがある」

 というものなのに、世間のウワサなのだから、何人につたわることで広まってくるか分からない。

 中には、

「あれ? 他の人から聞いた時、違う話だったぞ?」

 ということだってないとも限らない。

 特に、何の情報もない中で、

「伝染病が猛威を振るっている」

 などという情報が伝わってくると、混乱するのは当たり前だ。

 当局や政府も、

「デマに惑わされないでください」

 と言いながら、政府の情報が錯そうしているのだから、どうしようもない。

「この間、公表したことに誤りがございました」

 などというのを幾度も聴いたような気がする。

 そんな状態で、発生する誹謗中傷なのだから、それはひどいものなのだろうということは、容易に想像がつくというものだ。

「何をいかに信用すればいいんだ?」

 ということであるが、実に難しいことである。

 それを思うと、今回の、

「世界的なパンデミック」

 というものに対しても、かつて流行した、

「エイズ問題」

 も似たところがある。

「エイズ問題であれだけ、医療現場のルールが変わったのだから、今回のパンデミックでは、医療現場だけでなく、市民生活のルールも変わるだろう」

 というのが、大方の見方だったのだ。

 梶原先生が、若先生を訪ねた時のことだった。若先生にも、彼女の自殺未遂の話はきていたのだが、その話はなぜか、イシダ病院内では、タブーの状態だった。

「喋ってはいけない」

 と決まっていたわけではないが、一種の、

「暗黙の了解」

 のようで、

 その状態になったのは、

「老先生が、決してこの話をしない」

 からであった。

「そもそも、鈴村美亜という女の子は、親父を慕ってくれていたはずなのに、その親父が美亜の話をしないというのは、何かある」

 ということだったのだ。

 若先生は、奥さんとこの話をした時、

「親父は頑固なところがあるんだよ」

 という。

「どういうことなの?

 と、奥さんがいうと、

「親父は、話をしたくないことに関しては、本当に一切話そうとしない。本当であれば、したくない話であっても、気になるということは結構あるはずなので、それをしようとしないということは、それだけ、気になっていても、話してはいけないことがあるのだろうから、余計に、何も言えなくなる」

 というのだった。

 もし、老先生がそれでも、聞かなければいけないと思った時は、それだけ、その時に起こった事件がセンセーショナルなものなのだろう。

 逆に、老先生が余計なことを言わなくなった時は、何があったか気になるところではあるが、それ以上に相手に気を遣ってのことなのか、それとも、相手を刺激しようと思わないことなのか、とにかく、相手にリスペクトしているのか、逆に、それだけ恐れているのかということになるのだろう。

 ということであった。

「親父が素村美亜という女の子と、どういう辛みがあったのか分からないけど、そのことも重要なのかも知れないが、彼女との間に溝ができたのか、逆に、大いに関わってしまうことができたのか、分からないけど、梶原先生から聞いた話では、彼女はちゃんと生きているということだったので、それでも親父が何も言わないということは、それだけ彼女との間の何かが気になるのだろうな」

 ということであった。

 その時、奥さんとは、そのあたりで話を終えたのだが、それ以上に今度は、梶原先生との話の方が厄介だった。

「美亜が毒を煽って自殺未遂をした」

 ということは事実として聴いた。

 ショックは残るかも知れないが、命に別状はない。

「彼女に一体何があったというのだろう?」

 ということが問題だったのだ。

 それを考えると、若先生は、彼女のことを実はほとんど知らない。ただ、

「親父の患者だ」

 というのは分かっているだけで、少々の精神的な悩み相談くらいには乗っていたということも分かっていたのだった。

「娘のような感覚なのかな?」

 とは思ったが、娘としては、年が離れすぎている。

 父親は、奥さんともそこまでハッキリ話ができるわけではない。

「話題についていけない」

 というのが正解であり、しかも、若い人に話を合わせるのが苦手なタイプだということは分かっていたのだ。

「だから、美亜という少女と話が合うということは、それだけ美亜が、年寄り受けをするのか、それとも、親父のツボに入っているということなのか?」

 ということを考えさせられてしまうのだった。

 お互いに、気まずさもあったので、それぞれの病院から離れたところで待ち合わせをするようにした。少し都心部の方がいいというとことで、しかも、都心部に近いところでの待ち合わせになった。

 もちろん、このことは親父に話せるわけもないし、奥さんにだけは、話をしておいた。

 奥さんからは、

「あまり深い話になったら、余計なことは言わない方がいいわよ」

 といわれたので、

「うん」

 といって頷いていたが、

「深い話になったら、少しは突っ込まないと、話が成立しないということで、敢えて話をし始めれば、突っ込んだ話になることは必至だ」

 と思うのだった。

 そのせいもあってか、待ち合わせで出向いた時、いつもであれば、

「予備知識くらいは自分の頭の中に入れておこう」

 と思うのだが。この日は、そんな気分にはなれなかったのだ。

 というのも、

「下手に先入観を植え付けてしまうからだろうな」

 と感じたのだが、その理由というのが、

「父親が、渦中の人として絡んでいるからだ」

 ということであった。

 それも、分かっていることが最初からもっとオープンになっているのであれば、まだ分かるのだが、実際に考えてみると、自分があまりにも知らないことが多すぎるということからであった。

 実際に、父親と、美亜という少女が、どれほどの話をしているのかも分からないし、それは自分が子供の頃から、そんなに父親からかまってもらえる子供でもなかったということ。

 かといって、構ってもらえなかったことを恨んでいるわけでもないし、それよりも、逆に、

「構われないで放っておかれることの方が気が楽だ」

 ということを教えてくれたという意味で、ありがかたったといってもいいだろう。

 それを思うと、

「美亜という少女が女の子である」

 ということが逆に気になるのだ。

 どちらかというと、

「親父は朴念仁だ」

 と思うところがあった。

 それは、母親がいたから、うまくバランスが取れていたというのもあるだろう。

 間違いなく、両親は愛し合っていたし、愛し合うということよりも、もっと別の意味での結びつきもあったということが分かっていた。

 それが、

「男女の間の友情」

 というものだろうか?

 と感じた。

 そもそも、

「男女の間に、友情などあるのだろうか?」

 と思うのだが、若先生にはないと思っている。

 というのは、

「夫婦としていいパートナーに出会えた場合、そこに、友情などというものが存在するというのは、ありえない」

 と思うのだ。

 だから、余計に、他のカップルの中に、友情というものがあるとすれば、それは、夫婦という意味では成立しないと思うのだ。

 そうなりと、別れは必須である。

「夫婦だって別れる時は別れるじゃないか」

 といわれるが、

「別れない場合」

 もあるというわけで、ただ、友情というものは、必ず別れが訪れると思うのだ。

 それは、男女間だからであって、同性同士であれば、絶対に別れることはないだろうと思うのだ、

「男女の友情は、別れが前提だ」

 ということになるのであれば、そもそも、男女間での友情など、絵に描いた餅であり、存在しないのではないかと思えるのだった。

 梶原先生と面会した若先生は、主に話として、もちろんのことであるが、美亜という女の子がどういう女の子なのかということを聞きたかったことと、毒薬についても聞きたかったようだ。

 一人の中学生の女の子が毒薬など、普通持っているわけもなく、それを所持している場合であれば、かなり限られていると思ったからだ。

 かといって、梶原先生は刑事でもないし、そんなことを知ったからといって、何かの特になるわけでもない。せめて、

「美亜と、どう接すればいいのか?」

 ということが分かるだけのことであった。

 しかし、美亜がどういう女の子なのかということも、ほとんど彼女と接しているのが、父親なだけに、分かるはずもない。

 だから聞かれた時も、

「申し訳ないんだけど、俺は、彼女のことをほとんど知らないんだよ。昔からの患者さんは、親父が見ることが多いからね。特に昔小児科として見ていた子は、彼女に限らず、俺はほとんど知らないんだよ」

 という。

「ところで、美亜ちゃんというのは、自殺ということを聞いているけど、本当にそうなのか?」

 と若先生が聴いたが、

「ああ、そういうことらしいんだけど、詳しい理由は知らないんだ。警察が頑なに理由を言わない。あるいは、警察でもその理由について分かっていないんじゃないかな?」

 と、梶原先生は答えた。

 確かに、遺書のようなものはなかったという。中には遺書のようなものを書かずに自殺をする人もいるが、その場合は衝動的な場合が多いというが、この場合は服毒である。毒を用意しておいたのだから、

「衝動的ということはないのではないか?」

 という意見が多かった。

 なるほど毒を持っていたのだから、衝動的ということはないともいえるが、

「いつ実行する」

 という意思もなく、ただ、

「死にたい時に死ねるように」

 ということで、毒を持っていたのだとすれば、ひょっとすると、自殺を思い立ったのが、その日だということで、実際に自殺を思い込んだ瞬間は、衝動的だったと言えなくもないのかも知れない。

 そんなことを考えてみると、

「衝動的じゃなくても、遺書を残さない人もいるからな」

 と若先生阿言った。

「どういうことだい?」

 と梶原先生が聞くと、

「自殺を試みるというのは、実際に本当に恐ろしいことで、死ぬぞ死ぬぞ、とずっと思っていると、怖さというものは、どんどん膨れあがっていって、死にきれないことも多いんじゃないかと思うんだ。ほら、よくいうだろう? 死ぬ勇気なんて、そう何度も持てっこないってね」

 と若先生が言った。

「確かにそうかも知れない。ずっと思っていることでも、思い立った時にできなかったら、どんどん現実に引き戻されて、死ぬのが怖いと思うようになるのかも知れないな。だから、リスカの時のためらい傷などというのも、そういうことなんだろうな」

 と、梶原先生は言った。

「そのああたりは難しいことだと思うんだよ。しかも、相手はまだ思春期の、それも女の子だろう? 何をどう感じたから毒薬を所持しながら、最終的に市を選ぶ気になったのかというところは、ちゃんと考えてあげないといけないことなんじゃないだろうか?」

 と若先生がいうと、

「そういえば、お前のところではどうなんだ? 美亜さんが自殺未遂をしたということは、当然、情報としては流れているんだろう?」

 と梶原先生にいわれた若先生は、

「ああ、そうなんだけど、家では、その話は出てこないんだ。親父が知らないわけはないと思うし、当然、警察だって、そのあたりの捜査をするだろうから、聞き取りくらいは、されていると思うんだ」

 という。

 確かに、最近、警察が訊ねてきたことはあったが、その時はまだ、

「美亜の事件」

 ということが分からなかっただけに、若先生も分からなかった。

 後から話を聴いて、思い返すと、

「ああ、あの時の警察というのは、美亜ちゃんのことを聞きにきたんだろうな」

 と奥さんと、このことについて、ほんの少し会話した程度のことだった。

 その頃は、どんな事件かも知らず、

「ただ、自殺未遂があった」

 というだけしか情報が流れていなかった。

 あの事件が、

「服毒自殺だった」

 などということを聞いたのは、だいぶ後になってからのことであって、

「服毒自殺だなんて、中学生の女の子でそんなことがあるとは、信じられないわ」

 と、奥さんも、本気で怖がっているようだった。

 若先生は、奥さんほどではないが、驚きは隠せなかった。しかし、その割には、

「正直、分からないわけでもないな」

 という思いはあった。

 どういうことなのかというと、

 元々、子供頃いじめられっ子だったことのある若先生には分かっていた。

 いじめられっ子といっても、小学生の頃だったので、そこまで陰湿なものではなかったが、それでも、正直に言って、

「死んでしまいたい」

 と思わなかったと言えば、ウソになる。

 苛めというものが流行ったというべきか、

「小学生の頃の苛めというのは、それほど陰湿なものではなく、ある意味、苛められるには苛められるだけの理由があった」

 ということも少なくなかった。

 時に、若先生の場合はそれであり、

「苛める側も、苛められる側も、そのことを分かっていなかった」

 ということであった。

 確かに、小学生の頃は、

「むしゃくしゃするから苛めている」

 という理由にならない苛めではあるが、苛める方にも。それなりに罪悪感のようなものがあるに違いない。

 中学生くらいになってからの苛めというと、苛める側にそれなりの組織のようなものができていて、そのほとんどが、

「親からの迫害」

 であったり、

「大人からの暴力というもの」

 があり、それらが、積もり積もって苛めに繋がっている。

 ひょっとすると、れっきとした理由をハッキリとは分かっていないまでも、苛めに走る理由を漠然としてでも分かっていて、

「分かっているからこそ、辞められない」

 ということを感じているのではないだろうか。

 そんなことを考えていると、

「中学生の頃、苛めを受けていた子が気になっていたが、なぜ苛められるのか、まったく分からなかった」

 ということを思い出した。

 何か理由があるわけでもない。

「なぜ、その子でないといけないのか?」

 ということも分からない。

「とにかく、思春期を超えての苛めは、わけが分からない」

 というものであった。

 それもそうだろう。

「理由などというものはない」

 ということなのだから。

「ただ、むしゃくしゃして、その時にいつも目の前に、そいつがいるから」

 という理由だということを聞いたことがあった。

「そんな無茶な」

 とは言ったが、何となくだが、分からなくもなかった。

「苛められるのに、理由がないのではなく、理由にできないことであることを自分で認めたくないからなのではないか?」

 と、若先生は、中学時代に理解したのであった。

 そんな苛められていた時代を思い出すと、どこか恥ずかしく、照れ臭くもある。

 それが、中学時代のことだったのだが、その頃に苛めが自分以外のところであったのは分かっていた。

 それがどれほどひどいものであったのかということも分かっているつもりで、そのひどさに舌を巻くほどだったようだ。

 というのも、その頃になっても、苛められていた頃のトラウマは残っていて、まわりに対しての変な遠慮があった。

 まわりの同級生に対しては、

「苛められないようにするには、どうすればいいか?」

 ということを考えるよりも、

「君子危うきに近寄らず」

 ということであった。

 変に近づけば、

「また苛められてしまう」

 という思いと、さらにまわりの大人たちに知られると、余計な騒ぎになり、

「黙っていれば、もし苛められたとしても、時間がくれば、自然と過ぎ去ってくれる」

 という思いがあることから、今度は余計に、大人に対して、

「自分に何かあるというような思いを抱かせないようにしよう」

 と思うのだった。

「自分が、苛められないようにするには、どうすればいいか?」

 ということを自分で分かるようになった時には、もう苛めがなくなっていたというわけであった。

 その割に、トラウマが残っているのは、厄介なことで、

「後遺症」

 といってもいいのか、夜夢を見ていても、たまに、ビックリして、目を覚ますことになるのだった。

 夢の中で、自分は歩いていた。

 どこに向かって歩いているのか、まったく分からない。見えているはずなのに、見えないというのは、実は見えていることが分かっているということでもあった。

 そんな中、見えていることを認めたくない自分がいて、その自分は、

「過去に苛められていた」

 ということですら、自分の中から、意識として消し去ってしまいたいのだった。

 夢の中で歩いていると、足元にはドライアイスを敷き詰めたような雲か霞のようなものが、風もないのに、たなびいているようだった。

 東西南北など分かるはずがない。まわりに、建物は何もなく、真っ青な壁が見えるだけだった。

 夢でなければ、

「無限の世界だ」

 と思うかも知れない。

 しかし、

「壁だ」

 という意識があることから、逆にそれを、

「夢の世界だ」

 と感じるのだった。

 あるで、

「タマゴが先かニワトリが先か?」

 という禅問答のようであるが、もし、その質問をされた時、私が答えるとするならば、

「最後に訪れたのが、タマゴであれば、最初はニワトリ。最後になるのがニワトリであれば、最初はタマゴ」

 と答えるだろう。

 しかし、そこには、

「但し書き」

 があり、

「あくまでも、それが最後だということを分かったのであれば」

 ということであった。

 つまり、

「そこまでくれば、世界の終わり。だから、生命の循環に終わりがくるのであれば、最後を誰も見ることはできない」

 といえるという考えであった。

 それを思うと、世の中の理不尽さも、

「循環によって繰り返されて当たり前なんだ」

 と思うのだった。

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