第13話 剣聖⑥

◇◇◇





 今の内に───いずれ完全なトロフィーとなりさがる前に、どれだけの苦痛を伴おうとも思考をやめてはいけない。





◇◇◇



 エリス・グラディウスはテントの中で気取られぬように二人へと視線を向けた。

 ミカもアンジェリカも疲労から(それが肉体的なものであれ、精神的なものであれ)ぐっすりと眠りに落ちているように見えた。

 三人はここに到るまでに多くの雑兵を片付けてきた。ただでさえ疲労困憊であったが、ボスとの戦闘はとりわけ三人───とりわけ聖女ミカとアンジェリカの精神に、非常に大きな爪痕を残していた。

 

 一方でエリスは強い疲労を感じてはいるものの、何故だか目が冴えていた。もちろんこの迷宮探索においても頭痛はやまないどころか、その頻度を増していたが、それ以上に、己の心の奥深くにある何かが、思考を続けろと、思考することをやめてはいけないと、ことさらに導くように彼女に命じたのだった。



◇◇◇



 それにしても、エリスは驚いたのだ。

 聖騎士である彼に助けられた聖女ミカが、素直に感謝の言葉を述べたことに対して。助けてもらったのだから当たり前ではあるが、それでもその事実は驚嘆の一言に尽きた。


 そもそもの話、久しぶりに顔を合わせることになったくだんの聖騎士はどうしようもないロクデナシなのだという。

 迷宮探索の報酬は全て酒池肉林に浪費し、それに飽きたらず恥知らずにも何度も何度も懲りずに金の無心にくるような、どうしようもないロクデナシ───それこそが勇者の言う聖騎士の正体なのだそうだ。


 エリスは実際には当の聖騎士とは、ほとんど顔を合わせたことがなかったので、彼に関しては何も知らないに等しかった。


 けれど勇者がいつものように、自信たっぷりに彼のことを悪しき様に罵ると、なるほど、不思議なことに、実際に聖騎士はそのような人物であり、勇者パーティの足を引っ張ることしかできず、周囲に迷惑を振り撒く人非人にんぴにんであったのだと、その度に認識を強くし、確信するに至った。


 実際にそれはエリスのみならず、聖女ミカやアンジェリカにも言えることであった。


 いつも、勇者が「ヤマダって奴はさぁ」「聖騎士の本分を忘れてさぁ」「あいつは本当に厚顔無恥で」「同郷の者として恥ずかしいよ」と悪し様に罵り始めと、それを呼び水とし、勇者の罵詈雑言に同意し、頷き、何かのスイッチが入ったかのように、パーティを抜けた聖騎士に対し、彼女達二人も厳しい言葉を用いて悪しき様に罵ったのだった。


 彼女達が聖騎士を罵ると勇者は何かに満足した様に、いつも穏やかに破顔する。そして「こらこら、女の子がそんな言葉を使っちゃいけないよ。可愛らしい顔が、ほら、台無しになってしまうよ」と嗜めるまでがお決まりのパターンであった。


 そういうわけなので、蛇蝎だかつの如く嫌っている聖騎士に対し、聖女ミカが真摯に謝辞を述べるというのは、エリスにとって、驚天動地の出来事と言っても過言はなかったのだった。


 けれど、今ならわかる。


 もしかすると───もしかするのかもしれなかった。


 勇者が言えばそれは、エリスにとって真実なのだ。どんな戯れでさえも勇者が真実だと言えば、真実に思えてくるのだ。それはもちろん現在エリスの隣にいる二人も似たことを感じているに違いなかった。


 勇者が近くにいればいるほど、彼の全てを肯定するべきという、妙な気持ちが浮かび上がってくるのだった。そして彼が言葉を重ねれば重ねるほどに、それがどのようなことであれ、真実に思えてくるのであった。


 例えば彼が、馬を指差し「これは鹿だ」と主張すれば、エリスを含めた三人にとってそれは鹿なのだ。

 例えば彼が、リバーシの白を「これは黒だ」と主張すれば、それは何をどうとったとしても彼女達には黒となるのだ。


 それほどにあり得ないことがあり得るのが、勇者パーティであり、勇者であり、彼女達三人であった。


 であるのなら、真実の聖騎士というのはもしかすると……。


 もちろん、それらはすべてエリスの妄想なのかもしれない。


 とそこまで考えて、エリスは、自身が正気でいるという自信がないことに起因する寄る辺のなさと、それ以上に自身がすでに狂気に取り憑かれているのではないかという想像に、小さな肩を震わせた。


 パッパッパッと魔導具の灯りが燃料を切らすと点滅し、消え失せた。



◇◇◇



 暗闇の中、エリスは二人の隣に身体を横にした。

 漢字でいうところの『川』の字であった。


 妄想ならば妄想で結構だと、挫けそうなエリスは自分を鼓舞した。


 三人が勇者の元を離れてしばらくが経つ。

 そのためである、とは断言出来ないまでも、聖女ミカやアンジェリカが勇者パーティで活動しているときとは異なる様子───もっというと、彼女達に人間味を感じる様になった。


 それはもちろん、己にも言えることであろう。

 勇者パーティにいるときは、三人の行動は全て勇者のためのものであった。三人は常に全ての決定を勇者に委ねた。

 そして勇者のあらゆる指示を、たとえそれがどれほど不可能なものであったとしても、彼の指示こそが崇高な任務であり世界を救うためであるとして、エリスを含めた彼女達三人はそれを遂行すべく動いてきたのだった。


 なら、これまで通りにそのままでも構わないのではないか? という考えが一瞬浮かんだとき───聖剣が一際強い輝きを放った。


 光に合わせるように、眠った二人が苦悶の表情を浮かべた。



◇◇◇




 そういえばと、エリスは思った。

 聖剣が鈍く輝き出すようになったのはいつ頃からだったか───


 あの忌まわしき悪夢時の迷宮を探索したときには既に、彼女は聖剣を使用することができなくなっていた。


 ならばいつ?

七番目の青セブンスブルー》のオルフェリア・ヴェリテに敗北を喫したとき?


 そう言えば。

 エリスはふとあのときのことを思い出した。

 どうしてこれまで、そんな大事なことを忘れていたのだろう。


 ───あそこで倒れてるアレはあなたの師匠ではないわ


 勇者を指して、オルフェリアは確かにそう言ったのだった。


 もしも、もしも、これは誰が聞いても一笑に付すような馬鹿げた話ではあるが、それが万が一、いや億が一、事実だとすれば、勇者とはいったい何者なのか。


 その疑問以上に───

 

 ならば、私の師匠はどうなったのか。




 ───これこそが、この世に存在する疑問の内、もっとも恐ろしいものの一つに違いなかった。



 どうしてかはエリスにもわからない。

 全身が粟立ち、ぶわりと急激に涙が溢れ出した。もはや彼女にはそれを止めることはできなかった。


『もうやめろ』


 彼女は誰かの声を聞いた気がした。


『何も考えなくていい』

『どうしたって無駄なんだよ、全部』


 声は優しく、彼女に諦めるよう嗜めた。 

 それと同時にかつてないほどの強烈な頭痛が彼女を襲うと、聖剣がこれまでで一番の輝きを放った。目も眩まんばかりの光が魔導具の灯りが消えたテントの内を照らした。


 そして───


「もし」とテントの外から彼女達三人に呼び掛ける声がした。

 勇者の指示に従い、《是々の剣アファマティブ》を奪取しに封印の祠へと足を運んだ際に相まみえることとなった聖騎士───アシュリー・ノーブルの声であった。


 エリスは涙を拭うと自然と戦闘態勢に移行したが、


「私達は十分に休めた。これから下の階に向かおうと思う。君達はどうする?」


 聖騎士の彼女の問い掛けは、敵意のない柔らかな声音であった。





 

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