第12話 剣聖⑤

◇◇◇





 これは私に課された罰なのだろう。





◇◇◇




 かつての話だ。

 数多の実力者を押しのけて、エリスを救ったのは彼女の師匠だった。


 実際のところエリス以上の実力を持っている人物というのはそれなりに存在していたが、だからといって、実力さえあれば誰でも彼女を救えたのかというと、無論そういうわけでは無い。


 彼女を救うには必要な何かがあった。

 だからこそ、彼女を助けることができたのは、彼女から最も身近な人物であり、それこそが王国騎士団団長であった彼女の父であった。


 今ならわかるが、王国騎士団にラグナ・グラディウスありと謳われるほどの父であったが、それでもその重責は重かったのだろう。彼にも周りが思うほどの余裕はなかったに違いない。

 そういうわけで、実の娘だからといって何かと気を掛けて積極的にかかずらうといったことはそれほど多くはなかった。


 それは良く言えば自主性に任せた教育とも言えるが、悪く言えば仕事第一の家庭や子育てをおざなりにした結果の放任主義と言えるであろう。


 とはいえエリスは、騎士団の団長を務めており、忠義に篤く、人格者としての父を素直に尊敬していたが、万人を助けるとうそぶくく父が、己に手を差し伸べてくれない現状に対し、本人も気づかぬ内に、孤独はおりとなり少しずつ、しかし確実に溜まり続けた。



◇◇◇



 四六時中、剣を握って生きてきた少女であった。その彼女が剣をやめようかと真剣に悩んでいた。

 己の半身、どころか彼女の魂と言っても過言ではない剣を捨て去るか、否か───そこまで思い悩んでいた彼女を救ったのは父ではなく師匠であった。


 それは何も、剣技に関することだけではなかった。彼と共に過ごした時間こそが、彼女の孤独を癒やしたのだ。


 彼女は気づいていないが(もっとも気付いたところで間違いなく否定するだろうが)、彼は師匠であると同時に、彼女の兄であり、父でもあった。


 彼は騎士団長の娘だというエリスに色眼鏡を一切持たなかった。厳しい訓練時には容赦なく叱咤を飛ばし、倒れそうなときには優しく激励をかけた。不思議だった。エリスは彼といるだけで、どこまでも限界を超えていける気がした。


 二人の時間は、何も訓練だけでない。

 共に料理をしたり、師匠の風呂の時間に飛び込んだり、二人で夜道を歩き語らったり───彼と過ごした時間、それこそが、彼女にとっての何物にも代えがたい宝であったのだ。 


 師匠にはきっとわからないだろう。

 己がどれだけ彼を敬愛しているかを。


 彼女は師匠と共に過ごす内にそれまでは一度たりとも感じたことのなかった感情の奔流を自覚するようになっていた。


 それはこれまでの何の変哲もなかった世界を、見たこともないキラキラとしたものへと変えた。


 こんなものはいつまでも続く感情ではない。世界はそんなに甘くはない。そう自身に言い聞かせるも、それでも、それを認識してもなお、彼女は師匠のことを、己の全てを捧げても良いほどに焦がれたのだった。


 彼との話で何度か「子供の数は騎士団を作れるくらい」という話をした。初めは天然からでた言葉であったが、二度目以降は意識しての発言であった。


 師匠は気づかなかったが、エリス自身は恥ずかしさで火が出そうなほどで耳まで真っ赤にしていた。そのセリフは冗談に包んだまことの気持ちであった。


 彼女の中ではとっくに彼と一生を共に過ごし、添い遂げる覚悟ができていたのだった。


 たとえ彼が嫌だと言ったとしても、たとえ彼が遥か遠い地へ行こうとも、絶対に、絶対に、絶対に離れる気はないという、ダイヤモンドの如き確固たる意志であった。





◇◇◇




 それはいつだったか。


 何かが変わった。


 変わった、ということを認識することができたのも、そこから大きく時間が経過してからのことであった。



 一つ一つ、記憶を辿る。


 勇者パーティが《刃の迷宮》を踏破し、激戦明けの休養期間ということで、長期療養をとっていた頃───


 ちょうどそれは、激戦明けの長期休養を大義名分とした勇者竜宮院が、次の迷宮のことを完全に脳内から抹消し、勇者の名声を最大限に浴び、大手を振ってこの世の春を謳歌していたときでもあった。


 それは同時に、勇者が剣の訓練や魔法の鍛錬などのそれまでは日々欠かさずにこなしていたはずのルーティンに、全く手を付けなくなった時期でもあった。


「剣を握ったり魔法を使うなぞ野蛮人のすることだよ。暴力が必要なときは、得意な誰かにやらせればいい。適材適所、だよ。それこそが上に立つ者のやり方さ」とは当時の勇者の弁であった。


 代わりに勇者が始めたことは、彼いわく『クリエイティブ』だとか『ビジネス』だとかいうものであった。



◇◇◇



 それからのことだ。

 エリスの導き手であった勇者は、己の訓練をしないどころか、彼女に手を差し伸べることもなくなった。


 それは彼女の剣の実力に大きな影を落とした。

 剣聖である彼女の強さは極限の訓練と、《刃の迷宮》という死線を潜り抜けた果てに獲得されたものであった。

 そしてその段階では、彼女が得た最強の剣士という称号は仮初めのものでしかなかった。


 どのような分野───それが例えば勉学であっても、スポーツであっても、武術であっても、難易度の高い技を一度成し遂げたからといって、今後もそれが永続的に可能というわけではない。最高のパフォーマンスをいつだって発揮出来るようにするには、成功の感覚を忘れぬうちに、何度も何度も繰り返すことこそが肝要である。


 エリス・グラディウスの成長はちょうどそのような時期に差し掛かっていたのだ。

 彼女自身、おぼろげながらもそれを自覚していたからか、《刃の迷宮》を踏破してからも己一人で、あのときの感覚が、あのときの感覚さえ掴めれば───と、常に何かの陰を追い求めるように鍛錬に励んでいた。


 彼女は不器用であるが聡明でもあった。

 彼女は自分の状態がどういったものなのか、早々に理解していた。

 師匠に断られ一人でがむしゃらに鍛錬を重ねていたが、己一人ではいただきへと至れないことも、己を導いてくれるのは師匠しかいないことも、悟っていた。



 彼女はかつてのように、何とか彼と剣を交えたいと何度も訓練をせがんだ。それはかつてのスキンシップも含めた彼女なりの甘え方でもあった。

 そうすると師匠はいつものように、溜め息をきながら「しゃあねぇなぁ! いっちょもんでやんよ!」と言ってくれるはずなのだ。


 ───そのはずだったのだ。


 勇者はエリスが声を掛けると、いつだって「忙しいから」「また今度遊んであげるから」「手を煩わせるなよ」とエリスを適当にあしらった。挙げ句、それでも「師匠! 師匠!」とうしろをついて歩く彼女へとその態度を豹変させた。



「君は、それほど成長も良くないし、うーん、顔だけだね」


 勇者が彼女の頭から爪先へと視線を向けた。

 細めた目に下卑た光が浮かんだ気がした。


「わかってる、わかってるよ。どうせ君は剣技か得意だって言うんだろ?」


 彼の吐息からアルコールの匂いがした。


「この際だから言ってあげるよ。この世界の人間は馬鹿だからそんなもんが評価されるのかもしれないけど、僕からしたら暴力なんてのはただのマイナス要素でしかないんだ。だって暴力がいくら上手くともせいぜいは見世物にしかならないじゃないか」


 心底小馬鹿にした表情で彼は語った。


「つまりね、僕からすると、君は顔が良いだけで発育も良くないただの暴力が得意な野蛮人に過ぎない。

 だったらもうわかっただろ? 僕の言ってることが。わかったなら黙って僕のトロフィーをやってろよ」



 これまで師匠だけが、己を導いてくれた。

 ───そのはずだったのだ。







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