10月16日 粗縫いの傷






 空に雲が生まれず、雨も降らない楽土ラクドの日照は、年間通して一日十五時間で統一されている。


 常に天中へと浮かんだ三連の太陽が五時から六時にかけて緩やかに点火され、十九時から二十時までの間に少しずつ灯を落とす。

 完全な点灯と消灯に要する各一時間を、それぞれ朝と夕として位置付けている。


 月は存在しないが、地球の一等星よりも明るい、目を凝らせば昼間でも見ることの出来る星々が満天に散りばめられており、夜半でも道を歩くことに苦労は無い。


 とは言え、総人口の少なさに加え、マリアリィが意図的に文明レベルを一定ラインで停滞させているため、現代の先進国と比べればどうしても娯楽に乏しい世界。

 そもそも楽土ラクドでは深夜に活動する習慣が無く、その治安の良さも合わさって、人口が集まった三つの街ですらロクに夜警もおらず、二十二時を回る頃には概ね街ごと寝静まる。


 夜通し起きているような物好きに至っては、ほぼほぼ皆無だろう。


 ただ一人を、除いて。





 短針一周が二十五時間となっている、楽土ラクド専用の時計。

 その針先が示す現在時刻は、四時五十二分。


 あと数分で三連太陽に火が入り、朝が訪れる。

 そんな頃合、レティシアは蔵人の寝室にて、水桶に浸したタオルを絞っていた。


「La……LaLa……」


 リラックス効果のある音波を緩やかに口ずさみながらタオルの水気を切り、寝巻きの胸元を緩めた蔵人の寝汗を拭い、また水に浸す。


 今夜だけでも幾度と繰り返した、レティシアが蔵人に仕えるようになってからほとんど毎夜、彼女が自発的に行っている奉仕。


「LaLa……Laaa……」


 動力源の魔力を頭部と胸部の核から自己補完できるよう造られた魔造メイドには、食事も睡眠も一切不要。

 長時間に亘って最大出力での活動を行った後は冷却と充填を挟まなければならないが、一般的な使用人の働き程度であればリソースの三割前後で十二分に事足りる。

 加熱状態にまで陥ったことは、今のところ一度も無い。


 故にレティシアは夜間も休まず勤めに従事し、家宅の状態を完璧に保っている。


 全ては、誰かに仕える存在ものとして造られたレティシアを使い、彼女のアイデンティティを満たしてくれる蔵人あるじのために。






「……う……あ」


 レティシアは、夜が嫌いだった。


「う……うぅ、あ、ぐ……っ」


 蔵人は眠る度うなされている。継承戦の直後は、特に酷い。

 その苦悶に歪んだ寝顔を見ていることしか出来ない夜が、レティシアは嫌いだった。


「クロード様……」


 溜息を吐くように主の名を囁いた後、レティシアは自身の顔を覆う白い仮面を外す。


 人知れず外気に晒された、膝に届くほど長い金髪と同じ、黄金の瞳。

 髪と目の色調こそ大きく異なれど、十代で変化が止まった創造主マリアリィを二十代前半まで成長させたような顔立ちを有する、魔造メイド壱號の基本デフォルト容姿スキン


「何故、そうも苦しんでおられるのですか」


 哀しげに眉根を寄せたレティシアが蔵人の顔を覗き込み、頬を撫ぜる。


「心を読めないわたくしには、教えて下さらなければ分かりません」


 蔵人は自分を語らない。

 それは血を吐く行為に他ならないからである。


「どうすれば、貴方様を癒して差し上げられるのですか」


 蔵人は過去を語らない。

 それは傷口をこじ開ける行為に他ならないからである。


「貴方様の痛みを教えて下さい。傷に触れさせて下さい」


 レティシアは蔵人あるじを愛している。

 マリアリィがそのように造ったためである。


「貴方様の望みを、わたくしに命じて下さい」


 そしてそれ以上に、レティシアは蔵人を憐れみ、案じている。


わたくしの機能が及ぶ限り、お応えします」


 自身を使ってくれる主を得たレティシアは、間違い無く幸福だった。


 けれど同時に、筆舌に尽くし難い口惜しさも抱えていた。


「それこそが、魔造メイドわたくしの存在理由なのですから」


 心を患った蔵人に、どのような機能を使えばいいのか分からない。

 そんな己の至らなさを、仮面の下で、常に呪っていた。






 朝鳥の鳴き声と窓から差し込む陽光を受け、いつも通りの時間に目覚めた蔵人。


 開かれた左目が最初に見たのは、黒基調のメイド服に身を包んだレティシアの背中。

 蔵人の起床に気付いた彼女は振り返ると、瀟洒な所作にて深く腰を折った。


「おはようございます、クロード様。ご気分のほどはいかがでしょうか」

「……まあまあだ」


 差し出された湯冷ましを飲み干し、そう返す蔵人。

 次いでベッドから起き上がると、レティシアが寝汗で濡れた服を着替えさせ始める。


 寝起きゆえ断る気力も湧かず、されるがまま世話を受けること暫し。

 肌着を脱がされ、露わとなった左腕が目に入り、ぼんやりと見遣る。


「(今回は、あまり変わらないな)」


 前腕の半ばから指一本分ほど広がった幾何学模様。

 蓄積された魔力も、五割近く増えている。


 どうやら戦闘を行わずとも、リンボに赴くだけで多少の拡張は見込めるらしい。


 とは言え数倍単位で飛躍的に跳ね上がった前回、前々回と比べれば緩やかな成長曲線。

 やはり候補者同士が衝突しなければ、劇的な進化は見込めないのだろう。


「朝食の支度は整っておりますが、いかがなさいますか」

「……貰おう」


 丁寧に、しかし手早く身繕いを整え、退室するレティシア。


 蔵人は一度ベッドに座り直し、やがて両手で顔を覆い、深く吐息する。

 そうして肺の中身を全て棄てた後、開け放たれた窓の外に、虚ろな眼差しを向けた。


「ああ、くそ──」


 その悪態に続く言葉を声には出さず、胸の内でのみ吐き捨てる。


 ──あと何度、両親の死がと思い知らされなければならないのか、と。






「本日の予定は、お決まりでしょうか」


 朝食を終えた蔵人に、食器を片付けながらレティシアが問う。


「特には」


 いつも通り愛想の無い、短文での返答。


 次いで。傍らに立て掛けたワンドを掴んだ。


「俺に用がある奴は、居るみたいだがな」


 そう言葉を続けて数拍。外の呼び鈴が、家宅内に鳴り響く。


 応対に向かおうと踵を返したレティシアを、蔵人が呼び止めた。


「俺が出る」


 硬さを帯びた語勢。

 席を立ち、玄関まで往き、扉を開ける。


 その先に居たのは、ゆるく波打つ薄氷色の髪の少女。


 昨日、リンボに現れなかった対戦相手、櫻ルカ。


「こんにちわ、下院さん」


 ルカは極彩色の瞳──深覗眼アビスを伏せ、蔵人と目を合わせないよう努めて視線を逸らし、眠たげに挨拶を囁く。


「訪ねるには、早過ぎたかしら」

「……いや」


 現在時刻は八時手前。

 少なくとも蔵人にとっては、特別失礼と思うほどの時間帯ではない。


「それなら良かった。日中は眠くて、あまり起きていられないの」

「……何の用だ」

と言ったでしょう? 言葉どおり、会いに来たの」


 一昨日の別れ際に紡いだ台詞を繰り返すルカ。

 対する蔵人は、強張っていた無表情の中に、訝しげな色味を薄く混ぜ込む。


 今のルカの口振りと態度に、あの時点で既に三回戦には顔を出すつもりが無かった、という意図が読み取れたからだ。


「少し、あなたと話をさせて貰っても構わないかしら」

「……上がって行け」


 家の中に向けて顎をしゃくる蔵人。


「ちょうど俺も、お前に聞きたいことができたところだ」

「ええ。分かっているわ」





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