第2章
第11話
作業机の前に座り、次の公演に向けて紙面と向き合っていたヘンリエッタは、ソフィアの一声に顔を上げる。
「ウィリアス殿下じゃない人?」
「はい。可愛らしいお嬢さまでしたよ」
ソフィアがほのかに香る紅茶を淹れながら、考え込んだように空を見上げた。
他貴族の前で劇団員たちが華々しい演技を披露し、男爵家は王室から絶賛の声を贈られた。
話題をさらった一座と、若き脚本家も脚光を浴び、ヘンリエッタには依頼が殺到している。
一座への公演依頼だけでなく、王都の小規模な劇団からも、自分たちのために物語を紡いでほしいという懇願が多く、慌ただしい毎日だ。
ここしばらくは外出が多く、めったに屋敷にいない彼女に、昨日、来客があったという。
暇さえあれば、毎日のように訪れる第一王子、と思いきや、ヘンリエッタより年下と見える少女だというのだ。
原作小説の展開から察するところがあって、ヘンリエッタは焦って手帳を手に取り、予定を確かめる。
「また来るって言ってた?」
「そうですね。夕方から夜にかけてはだいたい在宅しているとお伝えしたので、その時間帯を狙ってくると思います」
「その女の子って、黒髪に碧眼の、ものすごく可愛い女の子だった?」
「ええ! そうです、人形みたいにとても可愛らしいお嬢さんで……、あら、お知り合いでしたか?」
「知り合いじゃないけど、ちょっと有名人かな」
ソフィアの話を聞いて、ヘンリエッタは手帳に一つの名前を記した。
黒髪碧眼に人形のような美貌。自分を護るために高慢な口調をまとった、劇団ルビィの天才子役。ネヴァ。
無邪気な幼女から、哀しみを帯びた美少女まで、見事に演じ分けるその姿は、ベテランの役者も見惚れるほどの技量を誇る。
エーデル王国には数多の劇団があるが、実際には労働条件の悪さで子役が不足しているのだ。そのためネヴァは、その才能も手伝って、劇団ルビィの看板ともいえる存在だった。
彼女は原作第2巻から登場する人物で、準主人公クラスのキャラクターである。
ヘンリエッタの脚本に惹かれたネヴァは、自分をさらに目立たせる脚本を書いてほしいと、彼女に頼むのだ。
(だけど原作のヘンリエッタは、ネヴァの高圧的で自己中な態度に、怒ってしまうのよね)
自分を主役に押し上げて、男爵家の一座を脇役にしてしまえば、もっと知名度が上がると考えるネヴァに、ヘンリエッタは断固として反対する。
初めは対立を続ける二人だが、次第にヘンリエッタはネヴァの過去を知ることになり、ついには彼女を主役にする脚本を執筆するのだ。
だが今の自分は、原作の展開を把握するヘンリエッタである。
ネヴァがなぜそこまでして、自分の名前を売り込みたいのか。それは母が想う父を捜すためである。
彼女の母は地方貴族の娘で、幼馴染と結婚の約束をしたが、両親が認めず他の男へ嫁がされてしまったのだ。悲嘆に暮れた幼馴染だったが、愛した相手と共にいられないなら、自分の夢に打ち込むしかないと決心し、実家を捨ててまで役者の道を選ぶ。
ネヴァは、娘と幼馴染が一夜の過ちで作った子供だ。娘はその真実が発覚したことで、嫁ぎ先からも実家からも見捨てられ、母子で父を探して、王都に辿り着いたのである。
そう、隠しようもないが、ネヴァとその母、ビビアンは、ノアの家族なのである。それを知っていて追い返せるはずもなかった。
(少しでも原作に近づくなら、会わない選択肢はない。西山先生に今後を相談しなくちゃ)
ヘンリエッタはソフィアと話をしながら、横目に便箋を見つめ、微かに息を吐き出した。
◇ ◇ ◇
(……って、思ってたのは、良いんだけど……)
夕食も食べ終えた夜の時間帯。
ヘンリエッタの予想通り現れたネヴァは、挿絵に描かれたネヴァそのままの、息を呑むほどの美少女だった。
くせのある黒髪に、猫のような碧眼が悪戯っぽく、深緑のワンピースもばっちり似合っている。自分の魅力をよくわかっている、と言っても過言ではない。
読者として興奮するヘンリエッタだったが、その隣でにっこりとしている男性に、思わず顔がひきつった。
「あなたが、あの風変わりな脚本を書いた女ね。さっそくだけど、あたしのために新しい話を書いてちょうだい」
「それはいいけど、あの、どうしてその男の人と一緒なの……?」
美少女が傲然と笑う横で、同じく笑みを浮かべているのは、ウィリアスである。
なんで、どうして、と疑問符が氾濫するヘンリエッタに、ネヴァは碧眼を細くしてウィリアスを見上げた。
「昼間、ここの劇団を見に来たら、殿下が視察にいらっしゃってたから、ごあいさつしたのよ。事情を話したら、殿下も一緒にお邪魔したいって」
「邪魔してすまない」
「い、いえ……」
(こんな展開、知らないんだけど……!?)
原作小説でネヴァは、この場面では一人で来るはずだ。母の目を盗んで、劇団ルビィの寮から抜け出してくるのだ。
ヘンリエッタが呆然とした表情でウィリアスを見ると、彼は目を見開いた後、何かに気づいたようにネヴァを見下ろした。
互いに笑みを浮かべる様子は、初めて会うとは思えず、さらに疑問符をまき散らすヘンリエッタに、彼はほんの少し声を潜める。
「内密にしてほしいのだが、実はネヴァ嬢は、遠縁にあたる令嬢の子供なんだ。事情を聞いたら、夜に君の屋敷を訪問すると言うし、まだ成人していない彼女を、一人で歩かせるわけにはいかないだろう?」
「し、……!?」
(そんな設定、知らないんだけど……!?)
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