第5話
目を通していた彼は、次第に顔色を不審に変え、視線がじっくりと文字を追い始める。そして時々ページを巻き戻しては、また読み進めて行った。
もしかしたら建設的な意見をもらえるかもしれない、と期待したヘンリエッタは、両手を胸の前で組んで男性の反応を待つ。
しかし男性は、片手で口元を押さえ小さく唸った後、鼻で笑って脚本を座席の間に投げ捨てた。
(待ってた自分がバカだった!!)
「ふざけるな、まるで素人の書いたものだな。ただ難しくすれば良いと思っているのか。芸術性のかけらもない。登場人物も設定も、ただ詰め込めば良いというものではないのだぞ。わかっているのか、
拾い上げた脚本を胸に抱いたヘンリエッタは、息を吸って男性に向き直る。
劇団名が出たことで動揺したが、脚本家の台詞も大して変わらなかった。しかし読者として活字を黙読するのと、当事者として罵声を聞くのとでは、天地の差があることを彼女は悟る。
ヘンリエッタとして、感情が訴えるのだ。
愛する家族を侮辱した男を、許してはならないと。
何より、西山はるの描く大切な彼女たちを傷つけられ、平穏に済ませてはならない。
男性は視線を合わせず、真っ赤な顔でしきりに文句を口走っていて、彼女は大股で近づくと男性の腕をぐいと掴んだ。
「わたしたちの大事な一座を、馬鹿にしたわね……!?」
「なっ、何をする!!」
「あなたなんて、公爵様の権威を盾にしてるだけじゃない!! 演者の努力なんか無視して、評価を強要して宣伝してること、知ってるんだから!」
「なっ──」
2巻に登場する劇団ルビィの脚本家が、今の脚本家と同一であるなら、小説でも同じくヘンリエッタを軽視していた。それまで王都随一の脚本家として名を馳せていた彼は、少女の台頭を面白く思っていなかったのである。
だが実際、劇団ルビィの総評は、背後についている公爵家の影響が大きい。それ故に脚本家の男性は、どんな物を書いても評価され、どんな舞台でも称賛された。
王都に住む以上、王族と親族関係である公爵家を、誰も敵に回すことが出来ない。その傲慢さを逆手にとっていたのだ。
ヘンリエッタは、読者であるからこそ知っている。劇団ルビィの脚本家が、2巻の本文中で終始、彼女の脚本に嫉妬していたことを。
彼はヘンリエッタの脚本に、自分の脚本にはない独創性と深みがあることを感じていた。芸術性という観点で評価は低くとも、若人として自由な未来を描き出す。その可能性を肌で感じ、恐れていたのだ。
彼が挿絵として登場することはなかったが、2巻では脚本家の心情が何度も描写されている。
それでも彼は終始、気がついていなかった。彼の脚本が芸術の形骸化したものであることを。
ヘンリエッタは男性の腕を放し、仁王立ちのまま片手で胸を示して、眉間の皺を深めた。
「確かにわたしの脚本は素人で、多くの場数も踏んでないし、あなたから見れば、お遊び程度に見えるかもしれない。だからってあなたが、わたしたちの一座を馬鹿にしていい権利なんてないわ!」
小娘に強く出られるとは思わなかったのだろう。相手の脚本家は真っ赤な顔で口を開閉させる。
「お、お前、何を言っているのだ! この私は公爵様のお墨付きを受けた、王国最高の脚本家なのだぞ! お前のような商家の娘が、私に逆らうとは何事だ! この劇場に来る資格もない! さっさと出て行け!」
「言われなくたって、出ていくわよ! 前座だって馬鹿にしたこと、後悔させてあげるわ。あなたのような、公爵様のお気に入りになるために、演者を蔑ろにする人になんて、絶対に負けないんだから!」
ヘンリエッタは力強く宣言すると、父の手を引いて踵を返した。腑が煮えくり帰って仕方がなく、あまりの怒りに頭から火を吹いてしまいそうだった。 父は驚いた顔をしたが、すぐに娘の気持ちを理解して、笑顔で後に続く。
劇団ルビィの脚本家がわなわなと震え、怒鳴り散らしていたが、ヘンリエッタは振り返らなかった。
◇ ◇ ◇
(ああもう、なんでこう、短気なの……!!)
馬車の中で頭を抱え、ヘンリエッタは思わず窓枠に頭部をぶつける。
本来ならもう少し冷静に対処し、劇場内を探索してから出るはずだったのだ。しかしヘンリエッタという人格よりも、原作ファンである『東谷あいり』が優先してしまったせいである。
大好きなキャラクターを侮辱されて、我慢できなかった。と言えば聞こえはいいが、もっと大人として振る舞うべきであった。
自分の行動で、大好きな原作の展開が変わってしまったら、それこそ許せない。
ノアが買ってきてくれた包み紙を開けながら、父が優しく愛娘に菓子を差し出す。
「そんなに落ち込まなくてもいいんだよ、リタ。ほら、美味しそうだろ、食べてごらん」
「ごめん、お父さん……」
受け取った菓子はガレットに似ていて、口に含むと甘い生地が、口内でふわりと溶けていく。
父は同じく菓子をかじりながら、車窓から外を眺めて目を細めた。
「一座への愛情が伝わってきたよ。落ち込むことはない。ただ……そうだな、我々は男爵位を授かったことを、少しだけ意識するべきかな」
ヘンリエッタが上目に父を見ると、過ぎゆく景色を眺めていた瞳が、穏やかに彼女の方へ向いた。
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