第4話
ヘンリエッタは父と共に、馬車に揺られていた。
車窓から見える街並みは、今日も賑わいに満ち、晴天も手伝って輝いて見える。
無事に配役を決め終わった彼女は、今日、劇場の視察に出かけていた。
一座は普段、男爵家が建てた中規模の劇場で活動している。だが、高位貴族向けに建てられた劇場は、王国一の広さを誇っているという。ヘンリエッタは父に頼み、大道具や役者の配置を考えたい目的があった。
(小説どおりに進んでいるなら、きっと劇場で別の劇団と遭遇するはず)
向かい側の席で脚本を読んでいた父は、顔を緩めてそっと紙面を閉じる。
「なかなか面白い題材だ。しかし、いつもと少し雰囲気が違うんじゃないかな?」
「そ、そう? お貴族様向けに気合を入れて書いたからね、きっと!」
爽やかな父の指摘に、ヘンリエッタは僅かに声を上ずらせながら、笑みを返した。
西山に脚本の概要を伝えた時にも言われたが、16歳という多感な年頃の少女を考えると、題材にやや憂いを感じるという。
未来へ夢や展望はあるが、主人公はきちんと現実を知っている。地に足がついた女性が紡ぐ、綺麗なだけでは終われない物語だ、と西山は総評していた。
それはある意味仕方がないだろう。ヘンリエッタの記憶はあれど、転生した『東谷あいり』の十代は、とうに過ぎ去っているのである。これでも頑張った方なのだ。
馬車が劇場に到着し、御者席にいたノアが、扉を開けて昇降台を下ろしてくれる。
父が先に下り、礼儀正しく片腕を差し出され、ヘンリエッタは苦笑して片手を乗せた。
「ノア。君は馬車を脇に寄せていてくれ。ここからは私と娘で向かうよ」
「お二人だけじゃ危険では?」
「なぁに、ここは王族御用達の劇場さ。きちんと警備兵もいるようだし、問題ないだろう。……そうだ、噴水広場の近くに、新しい菓子店が開いたと聞いたよ。そこのクッキーを買っておいておくれ」
「……了解です」
ノアはどこかホッとした表情で、深く頭を下げて御者席に戻っていく。
今までのヘンリエッタなら、このやりとりを聞いても、全くピンとこなかっただろう。恐らく父は、ノアの出自を知っているのだ。辺境伯家の次男として、ノアを知っている人間に
一座の皆が父を慕っている、その理由を垣間見たようで、ヘンリエッタは口角を緩めて父に寄り添った。
外観だけでも壮大な劇場に入ると、ロビーで待機していた案内役が進み出る。男爵家と言えど、王家からの命令だけはあって、対応も適切で快適だ。
劇場内の設備を説明し終わった後、ようやく両開きの扉が開かれ、舞台を案内される。
(……っうわぁ……! すっごい広い……!)
映画で観たオペラハウスのように、広い客席が階段上に連なり、天井付近までボックス席が階を成している。劇場内を彩る装飾や照明も美しく、ただ足を踏み入れただけで、物語の一幕に飛び込んだ気分であった。
舞台上では、どこかの劇団がリハーサルを行っているようである。
役者の動きを逐一止め、怒号じみた唾を飛ばしているのが、脚本家だろう。座席の一つに座ってふんぞりかえる、恰幅の良い男性だった。
(あの人が、
邪魔にならぬよう説明を受けつつ、様子を窺っていれば、その男性が気がついて振り返る。
そして父とヘンリエッタを見とめ、鼻で笑って舞台に一瞥を投げかけた。
「お前達は、ルビィ一座の名優であることを忘れるな!! いいか、ここは由緒ある劇場だぞ。
(えっ、あれ? ルビィ? ルビィって、2巻の?)
ここで2巻のメイン舞台となる劇団名を聞くとは。ヘンリエッタは驚いて、舞台上にいる役者に目をやる。小説通りに進んでいるのなら、ここで登場する劇団の名前は出てこないはずだ。
もしかしてヘンリエッタの脚本や配役に不備があり、小説とは違う道に進んでいるのだろうか。オーディション形式が裏目に出たのかもしれない。
西山の物語に沿うと決めたばかりなのに、危機的な状況であった。
(軌道修正が必要なのかな? ひとまず様子を見た方がいいの? それとも日を改めるべきなの?)
動揺し、あわただしく思考をめぐらせる彼女を置いて、脚本家の男性は席を立ち、こちらに近づいてくる。
そしてヘンリエッタを無礼に見下ろし、再び鼻で笑い父に視線を向けた。
「貴殿らが我々の前座だな。せいぜい私の一座を、引き立ててくれたまえ」
「これは厳しい。身が引き締まります。娘が書いた脚本が、王家の目に留まったことを誇りに、この華やかな機会を成長の糧と致しましょう」
ヘンリエッタの肩を優しく抱いて、父が明るく応戦する。台詞から滲み出るのは、愛娘が難関を突破していく、確かな自信と期待であった。
(お父さんの台詞に、そこまで差異はない……。なら、そもそもここに居たのは劇団ルビィで、1巻では名前が出なかっただけ、ってことかな)
互いに笑みを溢して頷きあうと、脚本家の男性はあからさまに嫌な顔をする。そしてヘンリエッタが父から預かっていた、彼女の脚本を見つけ、細腕から取り上げた。
「あっ、ちょっと! 何するんですか!」
「たかが小娘の書いた脚本で笑わせる。どれ、この私が添削してやろう」
誠意ある添削なら大歓迎だが、悪意しかないものは害にしかならない。
慌てて取り返そうとするヘンリエッタは、男性の様子に気がついて目を瞬かせた。
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