第54話 二人は戯れ古書店に向かう
日曜日。芳佳はすっかり元気になっていた。俺がきつねうどんを作り、芳佳がまどろむ傍らで古新聞を縛っていたのが昨日の事だから、一日で芳佳は元気を取り戻した事になる。
急に芳佳が元気になった事には少し驚いた。だけど、彼女は元々からして妖狐である。身体の造りはもちろんの事、生命力とかも人間とは違うのかもしれない。それに、
そんな訳で、俺たちは古本チェーンのブック・インに向かっていた。芳佳が漫画を買いたいとの事だったからだ。
なお、芳佳が買おうとしている漫画というのは、猟犬たちが人畜を襲う熊や敵対する悪しき野良犬集団と肉弾戦で闘う様を犬目線で描写した内容である。犬の絵の可愛らしさとは裏腹にシリアスかつ漢の生き様を見せつけるかのような展開は、青年誌での掲載が相応しいと思わず頷いてしまうほどだった。
それまで芳佳はその漫画を見るためだけに青年誌(しかも年配のサラリーマンが読みそうな雑誌なのだ!)を購読していたのだが、それならいっそ漫画を買おうと思い立ったらしい。まぁ、雑誌も値段がじわじわと上がっているし、読む作品が少なかったら、漫画単体を買った方が良いだろうな。
芳佳は妖狐だけど、チワワのスコルを妹分として可愛がっている。だからまぁ、犬へのネガティヴな印象も抱いていないし、犬の漫画だって楽しんで読むのかもしれない。
「本屋さんでも良いんだけどね、ブック・インだったら立ち読みも出来るし、何より安いから良いのよ」
「まぁ古本屋だから安くなるよね。それに漫画とかは、小説と違って本屋ではラッピングされてるから、立ち読みなんて出来ないし」
あ、でも。上機嫌で告げる芳佳に対し、俺はふとある疑問を抱いた。
「だけど芳佳ちゃん。ブック・インだとさ、芳佳ちゃんが欲しいと思った巻が必ずあるとは限らないよ。まぁ大阪市内の店舗だから、規模が大きいだろうしそう言う事は無いだろうけれど……」
もしここで、芳佳が「それなら書店に行くわ」と言ったのならば、漫画を買う代金を俺が肩代わりしようと思っていた。芳佳は色々と頑張ってくれているし、何というか慎ましく暮らしていたのだから。
男があんまり女の子に貢ぎ過ぎると破滅する、という話もあるにはある。だけど千円足らずの漫画ぐらいならば大丈夫だろう。そんな風に思ってもいたのだ。
芳佳はしかし、それでも大丈夫だと首を振ったのだ。
「良いの。私は今ブック・インに行きたい気分なんですから。それに、無かったら無かったで、また別の日にブック・インに遊びに行く機会が増えるでしょ。そう言う事も見越してるから、私は大丈夫だよ」
芳佳はそう言うと、やにわに俺の手に手指を絡ませた。俗にいう恋人結びの形である。芳佳の妙に大胆な動作に、俺はびっくりして歩みを止めてしまったほどだ。いや、一瞬振り払おうかと思ってしまった。だけど芳佳が握って来てくれたのに、そんな事をするのは違うと思いとどまった。思いとどまる事が出来た。
俺の逡巡と不穏な手の動きは、もちろん芳佳にも伝わっていた。彼女は不思議そうに首を傾げ、上目遣い気味に俺を見つめた。俺より芳佳は背が低いから、どうしても上目遣いになってしまうのだ。
「どうしたの直也君。手を握ったくらいで恥ずかしがるなんて……何か学生さんみたいで可愛いね!」
「え、ちょ、可愛いって何だよ……」
気付けば芳佳はいたずらっぽく微笑んでいる。からかわれたのだと気付いた俺は、いやいや可愛いのは芳佳ちゃんの方だろうと言い返しつつも笑っていた。
まぁ傍から見ればお熱いカップルに見えたかもしれない。だけど握りしめた芳佳の手は暖かくて、それが心地良かったのは紛れもない事実だ。
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