第10話 灰になって
1月6日 7:00 金山県 灯島市 GSST本部ビル
4階に設けられた尋問室2つに、それぞれ上風とヨシカは拘留されていた。
どちらも何も言わない。ただただ黙ってベッドに寝転がり、天井を眺めていた。
尋問室は2つのブースで区切られている。マジックミラーで囲まれた内側の部屋と、そこに至るまでの普通の通路。
「まずは上風の方から始めるか。幸長、見学者の誘導を頼む。佐藤は私と来てくれ」
武田は部屋の側面に張られたマジックミラーから上風を見て部下の2人に指示を出す。そのまま武田は佐藤を連れて上風の部屋に入った。
ほとんど同時に、マジックミラーをへ何人かの子供たちが入ってきた。佐ノ介とマリである。
「あぁ君たち、見学はここからだけにしてくれ」
「わかりました」
マリの返事を聞くと、幸長は尋問室の入り口へ歩く。尋問室から廊下に出ると、入ろうとする子供たちが来ないか見張り始めた。
2人きりになった佐ノ介とマリは、何かを話し合う武田と上風をぼんやりと見つめていた。
「私があの人を連れて行ったとき、あの人ずっとお子さんと旦那さんの話をしてた」
マリが佐ノ介に呟くように言う。佐ノ介は黙って聞いていた。
「あの人は、未来の私なのかも」
マリの言葉に、思わず佐ノ介は振り向く。
「いつか佐ノくんと結婚して、子供が産まれて、幸せだったものを突然奪われて…佐ノくんも子供も失ったら…私だってきっとああいうことをしちゃうよ…」
マリは涙目だった。普段から2人の将来のことをよく話すマリだからこそ、思い描く悲劇の解像度が高く、だからこそ浮かべる涙がただの安い同情ではない。佐ノ介はよくわかっていた。
佐ノ介は黙って左手をマリの右手に伸ばす。そのまま力強くマリの右手を握りしめた。
マリが佐ノ介の方に振り向く。佐ノ介のいつもの鋭い眼は、優しさをたたえていた。
「俺は死なない。マリのために生きる」
「佐ノくん…」
「マリも、マリと築く未来も、いつか生まれてきてくれるであろう俺たちの子供たちの未来も、俺は生きて守り抜いてみせる。マリに悲しい思いはさせない」
佐ノ介は右手も添えてマリの手を握りしめる。佐ノ介の瞳は、真っ直ぐマリの目を見つめていた。
「約束だ」
佐ノ介が優しく言う。マリは目の前の男が本気で自分を愛してくれていると実感すると、感極まって佐ノ介に抱きついた。
「ありがとう…佐ノくん…!大好き…!」
「俺もだよ」
マリの言葉に佐ノ介も抱きしめて答える。
それとほとんど同時に尋問室のドアノブが回る音がした。
大慌てでマリは佐ノ介から離れ、佐ノ介は服を伸ばし、2人は背筋を伸ばして居住まいを正す。
ドアを開けて入ってきたのは暁広と茜だった。
「お?佐ノ介とマリじゃん、ヤッホー」
「ヤ、ヤッホー、茜ちゃん」
茜の声に、マリが答える。マリと佐ノ介が咳払いをしていると、暁広が佐ノ介に話しかけた。
「尋問の様子は?」
「ん?まぁボチボチだな」
佐ノ介は適当に返す。暁広は短く返事をすると、マジックミラーに張り付くようにして中を見つめた。
武田は淡々と上風に語りかけていた。
「我々としてはあなた方を警察に通報するつもりはありません。生活環境も提供させていただきます。どうです、悪くないでしょう」
武田は作り笑いを浮かべる。しかし上風はどこに焦点が合っているかもわからない目のまま、静かに声を発した。
「主人と子供たちに会わせてください」
「それはできません」
武田の食い気味の短い言葉に、上風はため息を吐いた。
「我々はあなたを殺すこともできた。それを保護して、警察相手にも犯人をでっち上げると言ってるのです。この事件のことを誰にも口外せず、ここに住み込むだけでいいんですよ?」
武田はまだ冷静だった。だが上風は茫然と宙を眺め、何も言わなかった。
武田はついにしびれを切らした。
「引き上げるぞ」
武田は佐藤に短く言いながら立ち上がる。
佐藤が立ち上がると同時に、佐藤が腰に差していた拳銃が、上風の瞳に映った。
佐藤が上風に背を向けた。
「佐藤さん後ろ!」
暁広が叫んだが意味はなかった。
上風は跳ぶようにして佐藤の後頭部に一撃食らわせると、すぐさま拳銃を奪って距離を取る。
異変に気づいた武田も振り向きざまに拳銃を抜く。佐藤も気絶はせず上風に向かって身構える。
「銃を置いてください、上風さん」
武田は冷静に言う。だが上風は聞こえているのか聞こえてないのかもはっきりとしないまま武田に銃を向けた。
「ふふ…ふふふ…」
上風が小さく笑い出した。
「セーフティー、これでしょう?」
上風は武田に語りかけながら拳銃の安全装置を外す。
武田の表情が鋭くなった。人差し指の感覚を研ぎ澄ます。
「わかります。これには弾が入ってる…先に行ったあの2人に教えてもらったんですよ…」
動こうとする佐藤にも銃を向ける。
「ここを引けば、弾が出るってね…!」
上風は佐藤に銃を向けながら武田を睨む。武田は指の力を強めた。
「ただいま…!!」
上風の銃口が動き出す。
「よせ!」
銃口は上風のこめかみに突きつけられた。
銃声が哭る。
重々しく何かが崩れ、倒れる音が尋問室に響いた。
一部始終を見ていた子供たちは、衝撃的な光景に言葉を失っていた。
一方の武田は再びため息を吐いた。
「仕方ない。望月」
武田は諦めた様子で携帯を取ると、この建物の中で唯一の医師に連絡し、死体の回収を命令した。
「だから生かす必要なんてなかったんだ」
武田は小さく呟くと、上風の死体から佐藤の拳銃を回収する。
「申し訳ありませんでした」
佐藤が頭を下げる。武田は佐藤の頭を上げさせると拳銃を手渡した。
「気にするな。手間が省けた。着替えて次に行くぞ」
武田は佐藤に短く指示を出し死体をそのままにして歩き出す。佐藤も少し遅れてその後を付いていく。
子供たちには自殺の光景も衝撃的だったが、それ以上に一切の情のない武田にも驚きを隠せなかった。
尋問室を出る武田と入れ代わりに、怪しげな大きな黒い袋を持った望月とその助手達が上風の下へ駆け寄っていった。ただの仕事として死体を片付ける望月たちから距離を取るようにして、子供たちは尋問室を後にした。
廊下に出た後も、彼らは言葉を失っていた。佐ノ介は短く暁広に別れを告げると、マリと共にその場を後にする。暁広は空返事をすると、茜と共にその場に立ち尽くした。
「ダメだよ、トッシー」
茜が暁広に言う。暁広は茫然としていたところを無理矢理現実に引き戻されたようで、少し驚きながら茜の方を向いた。
「私たちは絶対にあんなことしちゃダメだよ」
「茜…」
「私たちだって家族を皆殺された。でも生きてる。それは他ならぬみんなから託されたからだよ。それを忘れちゃダメ」
暁広は、心の内側を見透かされたようで、黙り込んだ。そしてすぐに優しい表情で茜に答えた。
「さすがだね、茜。俺、一瞬考えちゃったんだ。ああいう風に死ねば楽になるのかなって」
暁広の素直な本音に、茜はうなずく。暁広はそのまま続けた。
「でも、茜が言ってくれたおかげでわかった。そんなことないって。死んでも何にもならない。ここで俺が死んだら…父さんや母さん、兄貴たちが助けてくれた分が無駄になっちゃうって」
「そうだよ」
「俺は生き抜くよ。俺たちは誰よりも悲しい思いをした。だからこそ、もう悲しみを生まないために戦う」
「そう。それでこそトッシーだよ。もう誰かの大切な人を理不尽に奪わせない」
茜が微笑む。暁広も優しい笑顔でうなずいた。
「ありがとう、茜」
「お礼を言うのはこっちだよ。トッシーはいつも私を助けてくれるじゃん。だったら私だってトッシーの役に立ちたい」
茜の不意に見せた優しい表情に、思わず暁広が赤面する。暁広が反射的に目を逸らすと、茜は暁広に問いかける。
「どうしたの?トッシー?」
茜の質問に、暁広はしどろもどろになりながら目を泳がせる。
「あ、いやー、そのー….」
「何よ?」
「いや、なんでもない。一旦、ここを出よう、朝ごはんもあるし」
「…流石にあんなの見た後だと食欲湧かないけどね…」
暁広は動揺をごまかすために言う。茜は乗り気ではなさそうだったが、暁広が部屋を出ていくその少し後ろをついていった。
玲子は暁広と茜が仲良く雑談しながら出ていくのを、廊下の影から目撃していた。
「あ…」
「どうしたの、玲子?」
そんな玲子の背後から明美が声をかける。玲子は驚いたが、すぐに平静を装った。
「い、いや、なんでもない。それより、あんた何してんの?」
「あぁ、土方ヨシカさんっていたじゃない?彼女の尋問を見学に来た」
「なんだ、一緒か」
明美の話を聞くと、玲子は納得したように歩き始める。すると、玲子の後ろから桜と桃が合流してきた。
「玲子〜、置いていかないでよ〜」
「そんな焦らなくてもいいじゃない」
桜と桃がそれぞれ愚痴っぽく言いながら玲子に合流する。玲子は軽く謝った。
「ごめん。なんか嫌な予感がしたから、早足になってた」
「嫌な予感?」
玲子の言葉に桃が尋ねる。玲子はそれにはっきりと答えられなかった。
「なんとなく、だけどね」
「当たったかもよ?」
4人の先頭を歩いていた明美が言う。彼女が指差した方向には、数馬、竜雄、泰平の3人が歩いていた。
「…かもね」
玲子はそう軽く笑いとばすと、4人は男子3人と合流した。
「お?お嬢さま方、お揃いで」
玲子たち4人に気がついた数馬が早速軽口を叩く。玲子は鼻で笑いとばして流した。
「あんたらも尋問を見学に来たの?」
「あぁ。もしかしたら武田さんの本当の目的も垣間見えるかと思ってな」
玲子の質問に、泰平が答える。彼の言葉を聞くと、女子たちもうなずいた。
「確かに〜、武田さんも何か隠してそうだもんね〜」
「私もそれが知りたくて今回来たの。何か掴めるといいんだけどね」
桜と明美が言葉を発するうちに、数馬と竜雄が尋問室の扉を開き、7人の男女は尋問室の中に入った。
尋問室内の通路から、マジックミラー越しにヨシカの様子を見る。ベッドに腰掛け、大人しく下を向いていた。
「あの人は泰平の班が捕まえたのよね?」
玲子が泰平に尋ねると、泰平はああと答えた。
「結構激しい抵抗を受けたが、みんなの頑張りで捕まえることができた。後でみんなに改めて礼を言うつもりだ」
泰平が言うと、桜が意外そうに声を上げた。
「抵抗されたんだ。私たちのところは全然されなかったよ〜」
「そっちの方が珍しいよ」
桜の感想に桃が短く言う。竜雄が会話に加わった。
「俺たちの班も抵抗されて、数馬が倒してくれたな」
「竜雄のサポートもあったけどな。本当は泰平の意見通り殺したくはなかったんだが」
竜雄に言われると、数馬も後悔を話す。それに釣られるように、玲子も自分の後悔を語った。
「ウチらの班も…トッシーの作戦は完璧だった。私らがちゃんとしてれば火野も捕まえられた…」
「しょうがないよ。生きてるだけ儲け物。そのメンタルでいこ」
明美が玲子を慰める。玲子はそれを聞き、明美に軽く礼を言ってうなずいた。
その会話を横で聞きながら、泰平はヨシカの様子を見ていた。
「それにしても…大人しいな。もっと暴れているかと思ったが…」
「そんな凶暴なの?」
「少なくとも取り押さえた時は」
明美の質問に泰平が答える。すぐに数馬が素っ頓狂な声で尋ねた。
「あんな綺麗なお姉さんが?」
「顔は関係ない」
泰平が雑に切り捨てる。
そんな雑談を終わらせるように、武田と佐藤が新しいスーツを着て尋問室に入ってきた。
「やあ諸君、おはよう。尋問の見学か」
武田が明るく振る舞う。子供たちは軽くおはようございますとだけ返した。
「まぁそこで大人しくくつろいで見ていてくれたまえ」
武田は短くそう言うと、マジックミラーの内側への扉を開ける。佐藤も入ると、扉を閉める。
机と椅子、ベッドがあるだけの簡素な部屋である。一方で長時間拘留することは考えていないので窓やトイレがない。
「おはようございます。土方ヨシカさん」
武田は入るなり慇懃に挨拶をする。だがそこには何か思惑を隠している気配が漂っていた。
ヨシカはベッドに寝転んだまま武田を見るが返事をしない。武田と佐藤はそれを無視して尋問用の机に並べた2個の椅子にそれぞれ腰掛ける。
「あなたの今後についてお話をしたいのです。どうぞ席に着いてください」
武田が言う。ヨシカは一切の警戒を怠らないまま武田を睨みつつ席に着いた。
マジックミラーの外側の子供たちは固唾を飲んで様子を見守る。
ヨシカは静かに切り出した。
「私はあなた方のどんな要求も応じるつもりはありません」
「要求などしませんよ」
武田は小さく肩をすくめながら答える。
「むしろ私から提供するのです」
ヨシカの目が鋭くなる。子供たち、特に武田を疑っている泰平と明美も同様だった。しかし武田は一切怯まずに続ける。
「あなたは湘堂で大切な人を失った。そしてあの事件を起こした。私としてはそんなあなたが捕まってしまうのは嫌なんですよ」
「どうして」
武田は最初から犯人4人組が警察に捕まることを恐れていた。その理由は子供たちにも全くわかっていない。だからこそ子供たちは耳を澄ませた。
「どうしてもです」
だが武田ははぐらかした。
「敢えて言うなら、私の信念でしょうか」
「何も言ってねぇじゃねぇか」
泰平は小さく呟く。彼の言う通り、武田は全てをはぐらかしている。そのまま武田は続けた。
「生活環境は提供します。お仕事や学業も支援しましょう」
「そこまでして私に何をさせたいんです?」
「ではひとつだけ。この事件、誰にも口外しないでいただきたい」
「どうして」
「あなたには関係のないことです」
武田はヨシカの質問を短く切り捨てる。ヨシカは武田を睨む。武田は平然としていた。武田は声を1トーン上げて軽い雰囲気にして話し出す。
「どうでしょう。簡単じゃありませんか?」
ヨシカの表情が不愉快さを露わにしているのを、武田は見逃さなかった。
プランを変えてそちらへの追い打ちをかけにいく。
「事件のことも失った人のことも全部忘れて、新しく楽しく生きるんです。私としてはあなたにそう生きてほしいのですよ」
武田は笑顔だった。だがそれは不自然極まりなかった。
「最低だな…」
マジックミラー越しに泰平が小さく呟いた。そう思ったのはヨシカも一緒だった。
「ふざけんなよ…!このジジイ!誰がそんなのできるかよ!」
「勘違いしないでいただきたい。これは命令です」
武田の声のトーンが下がった。武田から出る気迫に、ヨシカも思わず黙り込む。
「元々あなたを殺すことなど容易い。現に火野と水茂は始末しました。あなたを殺さずにおいたのはひとえに私の温情に過ぎない。わかりますか?あなたは物を言える立場ではないのですよ。テロリスト風情が」
武田は淡々と語る。
ヨシカは急に現実を突きつけられ、動揺もできなかった。額に汗を浮かべ、震える両手をどうにか机の下に隠す。
「そんなテロリストでも助けようと言ってるのです。殺した人間も、殺された人間のことも思い出さない条件でね」
武田は優しい表情で言い放つ。
ヨシカの唇が震え出す。
「いやだ…」
ヨシカは錯乱したように頭を振りながら、蚊の鳴くような声で漏らす。
武田は笑顔で追い打ちをかけた。
「いいえ忘れていただきましょう。あなたを助けるために命をかけた、恋人の、こともね」
「イヤァアッ!」
ヨシカは完全に正気を失っていた。机から崩れ落ち、うわごとのように叫びながら床を這い回る。
「イヤだ、イヤだ、わすれたくない、イヤ、ぜったいイヤ」
「都合のいい事だけ覚えてるつもりですか?あなたは何人も殺したんですよ?金与、安藤、黒田、斉藤、山本、星野…」
武田が架空の人名を並べて追い打ちをかける。
ヨシカの目に、殺してきた人間の顔が浮かんだ。
「イヤあああああ!!!!」
襲ってきた良心の呵責。罪もない人間も大勢殺してしまった。
忘れてしまいたい。だがそうすれば誰よりも大切だった恋人のことも忘れてしまう。だが忘れなければ苦しむ。
ヨシカの脳内で繰り広げられる無限ループは、ヨシカを地獄へと引きずりこもうとしていた。
だがヨシカは、そこで弱々しく踏みとどまった。
「…違う…」
「違う?」
「…あいつらは死んで当然だった!」
自分を正当化することで痛みを和らげる。
だが武田は無慈悲だった。
「あなたの恋人を殺した連中もそう言ってましたよ」
ヨシカの心がそこで完全に砕けた。
誰よりも、何よりも憎んだ相手と、自分は全く同じことを口走り、挙句同じレベルにまで落ちていた。
「あ…あ…!」
ヨシカはもう声も出さなかった。声にならない声を並べて、涙をただこぼしていた。
武田は床に顔を埋めるヨシカにゆっくり近づく。
武田は腰のホルスターから拳銃を抜くと、そっとヨシカの横に置いた。
「これで楽になれる」
武田はそれだけ言うとヨシカに背を向ける。
ヨシカはそちらへ振り向いた。白い蛍光灯に照らされる黒光りする拳銃。
今のヨシカに残された、全てを叶える希望。
大切な人を記憶に留めたまま、全てを楽にする方法。
ヨシカは拳銃を取った。
「カズキ…」
最愛の男の名を呼ぶ。彼は優しく手を伸ばしてくれていた。
「ありがとう…」
血飛沫が舞った。
復讐の炎は、今ここで燃え尽きた。
「望月、頼む」
武田は淡々と、死体を見もせずに携帯に言うと、扉を開けた。
「この悪魔め!」
武田が扉を開けるなり、泰平の声と拳が武田の頬に飛んだ。
武田も不意打ち気味に食らったので、かなりよろけてしまったが、すぐに余裕を取り戻す。
「痛いじゃないか」
武田がそう言いながら振り向くと、泰平は数馬に羽交い締めにされていた。
「あなたに人の心はないのか!?最初からこうするつもりだったんだろう!なぜだ!」
「よせよ泰さん!」
「あれは説得する話し方じゃあなかった!自殺させようって魂胆が見え見えだった!あんなのは尋問でもなんでもない!ただの人殺しだ!」
泰平がいつになく熱くなって武田を責める。武田は平然として返す。
「さて、私は君のように尋問や説得が上手くないのでな」
「ふざけるな!最初からああするつもりでなければあんな誘導はできん!あなたの目的はなんだ!どんな目的でも許しはしないが、言ってみろ!」
「君に許しをもらう理由はない」
武田は短く言い捨てると、そのまま尋問室を出ようとする。直前、明美が声を発した。
「被害者が毎朝新聞だから」
武田の足が止まる。明美は続けた。
「毎朝新聞といえば反日的な紙面で有名。スポンサーにも隣国の支鮮華人ではないかという疑惑があるほど。武田さんの普段の考えからすればむしろ火野さんたちは英雄扱いでも良いよね。でも殺さなきゃいけなかった。理由があるとすればきっと口止め。彼らは何か握っていたんじゃないですか?武田さんにとって重要なもの」
明美の推理を、武田は背中で受け止める。
そして武田は少し口角を上げると、扉を開けた。
「ご想像にお任せする」
そのまま武田は部屋を出ようとしたが、思い出したように振り向いた。
「ひとつ言っておく。これは人生の先輩としてのアドバイスだ。感情、理屈、善悪、倫理、利害。この世の中に、それらのうち1つだけで正しく見れる物なんかない。だからこそ疑うんだ。自分の思い込みを、自分の目に飛び込んでくる全てを、その耳に聞こえてくる全部を」
望月たちが死体を入れるための袋を持って駆けてくる。彼らの人の波に消えるようにして、武田はその場を去った。
泰平は不機嫌な様子を隠さないまま数馬の腕を振りほどく。
「許せん」
泰平はひと言だけそう言い捨てる。数馬は乱雑に振りほどかれた自分の腕を振りながら、まぁな、と軽く同意した。
「お前は何も思わないのか」
泰平は数馬に尋ねる。数馬は少し宙を眺めた。
「んー、そうだな…」
少し時間はかかったが自分の考えをまとめると、数馬は自分の考えを話した。
「確かに武田さんのやり方はまずかったと思う。けど、ヨシカさんはどのみちああするしかなかったと思うな」
「それは武田さんに追い込まれたからか?」
「違う。ケジメの付け方の話だよ」
「ケジメ?」
「そう。どんな理由であれ、相手がどんなクズであれ、ヨシカさんは私欲のために人を殺した。そんな人間がのうのうと生きているわけにはいかないだろう。ヨシカさんもそう思ったんじゃないかな」
「それは武田さんが自殺に追い込んだことを正当化する理由にはならない」
「でも最終的に自殺を選んだのはヨシカさんだよ。ヨシカさんは忘れたフリして生き続けることもできたわけでしょ?それでもここに至るまでの道を選んだのもヨシカさん。武田さんは客観的にヨシカさんがしてきた事実を並べただけじゃないかな。そこで武田さんを責めるのは、あえて自殺という選択肢を選んだヨシカさんの気持ちを汚しちゃう気がするよ、俺は」
数馬の言葉に、泰平は考える。
「ヨシカさんが自発的に選んだことを、武田さんのせいにするのは、ヨシカさんに失礼だと」
「そう」
「そして自殺はヨシカさんなりの責任の取り方だったと」
「うん」
「武田さんは事実を並べただけで自殺には追い込んでいないと」
「そうは言ってない。選んだのはヨシカさんってだけだ」
泰平は数馬の意見を自分なりにまとめて解釈し、数馬のそれとすり合わせる。泰平はそうして呟くように声を発した。
「なるほど、参考になったよ」
泰平はそれだけ言うとその場を後にする。数馬は泰平を追わず、背中を見送った。
「喧嘩?」
桜が数馬に尋ねる。数馬は首を横に振った。
「いいや、ただの意見の違いだよ」
数馬は軽い雰囲気でそういうと、そのまま竜雄とともに尋問室を出て何処かへ歩いて行った。
「男子ってよくわからないね」
明美が言う。玲子は一連の流れを見て小さく笑った。
「あいつらは本気でお互いを理解しようとしてる。だからお互いに意見をぶつけ合って、対立して論争しても戦いはしないし、一方的に相手を責めたりしないのよ」
「そういうものなのかな」
「言い負かす気だったら細かいところを揚げ足取ったと思わない?特に河田なんて頭いいんだし」
明美が首を傾げると、玲子が言う。明美は納得していた。
「相手を理解するために、主張を真っ直ぐ受け止める、か」
「ただ批判しあってるわけじゃないんだね〜」
「そういうこと」
桜が玲子の意を汲んで言葉を発する。明美は真摯にその言葉を受け止め、ヨシカの亡骸を見ていた。
4人は運ばれるヨシカの亡骸とともに尋問室を出た。
1月6日 9:00
食堂に集まった子供たちの前に武田は立った。
「朝食が遅くなってしまい、すまない諸君。今日は小牧さんが旦那さんと喧嘩してしまって遅刻したんだ。彼女に代わって私が謝罪する」
武田はニコニコ笑いながら頭を下げる。おおよそすでに2人の人間が自殺したところを目の当たりにしたとは思えない明るさだった。
「さて、今日は君たちにいくつかお知らせがある」
武田が言うと、思わず子供たちは身構える。武田は笑って子供たちを嗜めた。
「そんな警戒しないでくれたまえ。私だって君たちにいい知らせを持ってくることくらいはある。まずひとつ目。今回の事件での君たちの活躍に感謝の意を込めて、今日、明日、明後日は訓練を休みとする」
身構えていた子供たちは、一瞬歓声を漏らす。
「さらに特別なボーナスとして1人1万円を支給する。加えて日給もこの3日間普段通りに支給する。灯島市内であれば自由に出かけてくれていいぞ」
「灯島から出てはダメですか?」
「そうだな。控えてもらいたい」
香織の質問に武田は答える。一見嫌な条件に見えるが、灯島市は金山県でも1番の都会であり、子供たちが楽しめる場所は十分にある。
子供たちは不意にもたらされた休みに歓喜していた。そんな中、不意に心音が手を上げて武田に尋ねた。
「我々が確保した犯人はどうなりましたか?」
真相を知ってる何人かは俯く。武田は残念そうに答えた。
「自殺を選んだ」
泰平が怒るのではないかと思って数馬は泰平の方を見る。だが泰平は冷静な表情で武田をじっと見ていた。
心音は静かに頷く。他の子供たちも静かに俯いていた。
「おっと、暗くなってしまったな。さぁ、朝ごはんを楽しんでくれ」
武田はそう言って後ろへ下がる。
すぐに食事班長の中年女性の小牧が出てきた。
「食事班長の小牧です!」
いつにも増して大きな声で小牧は話す。それをよそに毎朝のバイキングのように食事が並び始めた。
「今日はワタクシ、大変機嫌が悪いです!バイキング形式ですが食べ残しがあったら全員ぶっ飛ばしますので覚悟するように!残さず食べてくださいね!それではどうぞ!」
小牧が言い終えると、子供たちは配膳の列に並ぶ。子供たちの表情は和やかで、今日の午後のお出かけ先を相談し合うものも多かった。
数馬もタイミングを見計らって佐ノ介、竜雄、めいと合流し、泰平に声をかけながら配膳列に並んだ。
「いよう、泰さん」
「よう」
「この後どっか行くか?」
「そうだな、近所の地理は把握しておきたいから、何処か出かけるか。数馬もどうだ?」
「乗った。佐ノと竜雄も、午後どっかいこーぜ」
数馬は後ろの佐ノ介と竜雄にも声をかける。2人とも気軽に同意した。
「ちょっと数馬、私は?」
竜雄の後ろにいためいが尋ねる。数馬は答える前に泰平の方を向いた。
「いいすか?」
泰平は変顔をしながら両手でバツマークを作る。数馬はそれを見て頷いた。
「OKが出たわ。5人で繰り出そう」
「おい数馬」
泰平を無視して数馬はめいも巻き込む。めいは小さくやったーと笑うと、泰平に笑いかける。泰平は口をわずかに尖らせるが、来るなとはひと言も言わなかった。数馬も泰平に笑いかけると、泰平も呆れたように笑い返した。
そんな様子を見た竜雄は、佐ノ介に思わず感想を漏らしていた。
「数馬と泰さんさ、さっき意見が食い違ってたんだよ。一瞬すごく張り詰めた空気になってさ。それでも終わればあんなに仲良くしてる。すごいよな」
「自分の主張を通したかったわけじゃないからだろうな。お互いにお互いの考えまでは否定しない。だからすぐに笑い合える」
佐ノ介が言うと、竜雄もうなずく。少年少女たちは、微笑みをたたえたまま食事を始めるのだった。
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