04-50 修羅の駆け引き その④




 悪いことは重なる――と誰かが言っていた。誰の言葉だったかしら? しばらく逡巡したが思い出すことができない。一体誰の言葉だったのだろう―― 思い出せない。苛立ち任せにアフロの少年の腕を思い切り握り潰した。ボキィッと骨の砕ける感触が掌に伝わる。「がっ」と少年が短い悲鳴を上げる。


「はっ、飽きたんじゃなかったのか?」


「たしかにそう言いましたネ……ですが」


 もともとリコリスに敵をいたぶる趣味は無い。互いに必殺の技を繰り出し合い、刹那の一瞬に決着する死闘――それこそが彼女の求める戦いだった。少年を拷問をしたのは増援が来るまでのヒマつぶしにすぎなかった。


「どうして増援が来ない……?」


 しかし、彼女にとって誤算だったのは、30分経っても一向に増援が来ないことだった。少年もステラも無力化した。あとは増援が到着次第、こいつらを牢獄に連れて行くだけのだというのに、誰も来ない。何が起こっているのだろうか。


「あのさあ、あんた仲間を待ってるみたいだけど」


 と少年が口を開いた。


「来れるわけねえだろ。土砂がこの部屋の出入り口両方とも塞いでるんだからさ」


「なるほど、そういうことですか」


「ああ。言っちゃ悪いけど気付くのが遅いんじゃねえか? あんためちゃくちゃ強いけど、ひょっとして頭の方はそうでもねえのか」


 なるほど増援が来ないわけだ。部屋いっぱいに詰まった土砂を除去しない限り、この部屋に増援が辿りつくことは物理的に不可能なのだ。それにしても、


「なれなれしい口を利きますネ」


 リコリスはアフロの少年の骨を折った。


「がっ」


 と悲鳴を上げつつも、


「そういやおれが逃げてった魔物を一網打尽にしたときも、あんた何もできなかったもんな。というかおれの浅知恵さえ見抜けてなかった」


「うるさいですヨ」


 ボキッと骨を折る。少年はひるみもしなかった。


「図星を突かれて怒ったのか?」


「怒ってません!」


 ああ、もう。でも冷静ではなかったかもしれない。この少年は人を無性に苛立たせる。


「なあ、あんたヒマなんだろ」


 特にやることがないと言うのは事実だったが、彼の言うことを認めるの癪なので「忙しいですワ」と答えておく。


「はは、そうか忙しいか。ちょっと質問させて欲しいんだよ。すぐ終わる」


 また口八丁のペテンにかけようとしているのか……?


 リコリスは警戒をした。しかし、少年が今度はどんな手を思いついたのか、気にならないでもない。最大限に警戒している相手を騙す方法なんてあるのかは疑問だが、この少年が何をしたところで、リコリスには『見切り』がある。どうにでもなるだろう。


「質問の内容によっては答えられませんが……まあいいでしょう」


「大丈夫、質問というか確認だから。おれの中ではもう答え出てるのさ。あんたの反応が見たいだけなんだ、まあヒマつぶしだな」


 そう前置きすると少年は、


「なあ。あんたらガレキの城のやり方ってさ、なんかぬるくねえか?」


「は?」


「もちろん殺されかけたりはしたんだけど、本気じゃなかった。もっと効率のいいやり方があったんじゃないか。あんたらが本気を出せばおれらなんてすぐに殺せたんじゃないか?」


「……」


 どう答えればいいのだろう。この少年は……ガレキの城にダメ出しをしている? たしかにやりようによっては被害を最小に留めることもできただろうが……。


「問答無用でおれたちを殺せばそれで終わりだろ。なのにあんたらは取り囲んで『動くな』だの『投降しろ』だのと回りくどいやりかたをした。ミノタウロスがおれたちを殺そうとしたとき、あんたはおれたちを助けた。今だってあんたは、さっさとおれを殺せばいいのに、拘束してるだけだ」


「それは」


「おかしいじゃないか。『あんたらには、おれらを殺す気がない』――そう言っているようなものじゃないか」


 そう、バアル様からの命令は「殺すな」。その命令を忠実に実行した結果、だいぶ回りくどいやり方をとる羽目になってしまった……。


 リコリスたちにとってダンジョンマスターからの命令は絶対だ。殺すなと言われれば、絶対に殺してはならない。それをこの少年は見抜いたのだ。


「ンー」


 リコリスは答えに詰まった。ああ、しかし、もうこれはアウトだ。答えに詰まった、というこの反応がそのまま答えだ。


「いいよ、なにも答えなくて。もうわかった」


 そう言うと少年は、「おい」と呼びかけた。誰に?


「ということだそうだ。ステラ」


「御苦労さまでした、マスター」


 意識不明にしたはずのステラが答える。むくりと上半身を起こしてこちらを見る。目が合った。顔色は悪く、口の周りは血で汚れ、目の下にはクマができている。明らかにダメージの影響は残っている。しかしステラはにこりと笑った。


「なに笑ってるんですカ?」


 リコリスは率直にそう思った。殺すな、というバアル様の命令が侵入者に知られてしまったことは、たしかにこちらにとって不利に働くだろう。しかしだからといって、彼らが現状を打開できるとは思えない。


 アフロの少年はこの通りがっちり拘束しているし、なにより拘束の必要さえないくらい弱い。彼については放っておいても問題はない。意識が戻ったステラが戦うにしても――リコリスは逡巡する。


 それは確かに脅威かもしれない――しかし、ダメージが残った体で自分に勝てるはずがない。単純な戦闘能力ならば、リコリスが彼らに後れをとることはあり得ない。


 なのにステラは笑っている。まるで勝利を確信しているかのように。それが気に入らない。


「なに笑ってるんですカ、ステラ?」


「……」


 ステラはリコリスの質問には答えず、体育座りの姿勢からゆっくりと立ち上る。重心を前にシフト、尻を浮かす。両手を膝に当てた中腰の姿勢。そこから曲げた膝を少しずつ伸ばしていく。足が伸びきった。すらりとした長い脚が強調される。ステラはスタイルがいい。膝から手を離し、上半身を起こす。そこでフラついた。


「あっ」


 あぶない、こける! リコリスとアフロの少年が同時に声を上げた。「おっとっと」と崩れかけた体勢を立てなおすステラ、姿勢が安定すると両手を上げてアピール。リコリスは「ほっ」とため息をはいた。


 ステラはふらふらだ。それはそうだろう。リコリスがステラに与えたダメージは生半可なものではない。普通なら一か月は動けないようなダメージのはずだ。


 それだけのダメージを負って動けているのだからたいしたものだ。だが。


「そんなふらふらで、どうするつもりなのですカ? まさか、戦うつもりですか?」

「そうだよ」


 ステラは即答した。リコリスはため息をはいた。正直、がっかりした。


 間違いなくステラは、リコリスが『殺すな』という命令を受けていることに気がついている。それを踏まえたうえで再度戦おうとしているのだ。ということは――どうせ殺されないのだから、戦っても無事でいられるのだから――それを前提とした戦術を組み立てたということ。


 ふらふらの体でもいっしょうけんめい頑張れば勝てる可能性はある。大丈夫、例え負けても死にはしない。勝てるまで何度でも戦いを挑めばいい。


 と、そんな稚拙な考えを実行に移そうとしている、ということだ。


 リコリスは再度ため息をはいた。自分も甘く見られたものだ。


「あのですネ。たしかにわらわはあなたたちを殺すことはできません。しかしそれで、あなたたちがわらわに勝てるとお思いになったのなら、勘違いだと言わざるをえません。冷静な判断力を失っている証拠です。あなたたちとわらわの間には、埋めようの無い実力差があります。どんなに頑張ったところであなたたちはわらわには勝てませんし、それに――」


リコリスはそこで一瞬の間を溜めた。


「『殺されない』ということが『無事』でいられるということだと思っているなら、それも勘違いです。死なずにすむいうことが『死ぬ』より辛いことだってあるのですヨ? 例えば――あなたが二度と動けないように四肢を切断するとか、神経系を切断して首から下を麻痺させるとか。こちらがその気になれば、そういう野蛮な方法であなたを戦闘不能にすることもできるのですヨ」


 とりあえず恫喝しておく。これで頭が冷えて投降してくれればいいが。


「ふうん」


 しかしステラは止まらなかった。ふらふらした足取りで歩いてゆき、床に転がっている刀を拾い上げる。ひゅん、ひゅんと片手で刀を振る。素振りによる動作確認だろう。問題ない、そう判断したらしいステラは刀を鞘に納める。ギラギラ光る刃が滑るようにつうっと黒い鞘に飲み込まれ、ちゃきんと鍔が鳴った。


「あくまで戦う、というのですネ」


「そう言ったはずだよ」


 刀の柄に手を掛け、重心を落とすステラ。例の居合抜きか。出来る……のか……あの体で。勝算があるというのか。とリコリスが思っていると、ステラは、


「ただし」


とつけ加えた。


「あなたとは戦わないよ、リコリスちゃん」


そして走り出した。


「お願いマスター!」


「あいよ。土砂のポイント還元を“承認”」


 リコリスには目もくれずドアの方へ向かっていく。隣の部屋に逃げる……それがステラの策なのだろうか? ダンジョンマスターを置いて? わからない。ステラはリコリスの横を通り抜け、ドアへと到達した。


「言っとくけどリコリスちゃん、私、死にかけてるからね。ちょっとでもダメージを受けたら死ぬかもしれない。――だから、守ってね?」


ドアを開く。するとドアの向こう側から、


「うおおおおおおお、開いたぞぉ!」


「どこだあああ侵入者あああ! よくも仲間を殺しやがったなああああ!!」


「絶対に殺す! 絶対に!」


 という怒声が聞こえてくる。侵入者を倒すため、またリコリスの救助のため、土砂の撤去に当たっていた96階層の魔物たちが隣の部屋に殺到しているのだ。仲間を殺された怒りで煮えくりかえって我を忘れているように感じる。そんな彼らが死に掛けのステラが戦ったりしたら―― 死ぬ。


「そうか、あなたたちの狙いは……」


 ステラが死んだら『殺すな』という命令を完遂することはできない。ステラを死なせないためには、ステラを殺そうと押し寄せてくる魔物の大群を倒さなければならない―― それはだれが?


 死に掛けのステラは十分に戦うことはできない。魔弾の一発、あるいは一発の拳で死に至るかもしれない。このアフロの少年は戦闘能力が低い、低すぎる。この2人は魔物たちと戦うには弱すぎる。だれかが守らなければならない。それは、だれが?


「ああ、おれたちは祈ってる。『おれたちを殺すな』っていう命令を、あんたがちゃんと守ってくれることを」


「守ってくれるんでしょ? リコリスちゃん。私たち友達だもんね」


 そう、こいつらの狙いは――殺し合わせることだったのだ。仲間同士で。

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