03-18 承認




その頃、ヘルメスはと言うと。


「“承認”“承認”“承認”“承認”“承認”“承認”“承認”、しょべっふぇ!、“承認”……」


 指令室で承認に追われていた。たまに噛んでしまっていた。 ヘルメスの頭の中では、


(『490ポイントを使用して、排水路50センチを購入しますか?  傾斜角度を70度に設定しますか?  560ポイントを使用して摩擦力を0にしますか?  傾斜角度を70度に設定しますか?  490ポイントを使用して、排水路50センチを購入しますか?  傾斜角度を70度に設定しますか?  560ポイントを使用して、摩擦力を0にしますか?  490ポイントを使用して排水路を50センチを購入しますか? 傾斜角度を70度に設定しますか?  560ポイントを使用して摩擦力を0にしますか?……』)


 ステラの声がひたすら繰り返されていた。



「“承認”、“承認”、くそ、“承認”、なんで、“承認”、50センチ単位でしか、“承認”、買えねえんだよ、“承認”、めんどくせえ!」


 いちいち“確認”してくるステラの声に、わずらわしさを感じながら、ヘルメスはひたすら「“承認”」を繰り返した。


 なぜヘルメスはこんなことをしているのか?


 敵の誤魔化士チーターが放った凄まじい魔力の激流が、第4階層に迫ってきていたからだ。


 第4階層にはヘルメスのいる指令室を始め、ダンジョンにエネルギーを供給する魔導炉、魔物の卵を孵すための孵化室、来客を迎えるための転送魔法陣など、ダンジョンの核ともいえる重要な設備が設置されている。だからヘルメスは何が何でもこの階層を守らなければならない。 激流波は第3階層で食い止めなくてはならないのだ。


 ジンリンとステラは出払っているから、ヘルメスが1人で考え実行しなくてはならない。そうこれは言わばヘルメスがダンジョンマスターとしてやっていけるかを試す試練!


 幸いなことに、ステラのスキル〈導かれし者(※ダンジョンに何者かが侵入する度、ポイントのボーナスを得る。侵入者の強さに応じて得られるポイントも大きくなる)〉の効果で、約40,000ポイントを新たに入手していた。


 そのポイントを使う。限界まで使う。もう借金とかは後回しにして、何が何でもあの魔力の激流をなんとかする。そう決意したヘルメスは優秀とは言えない頭をフル回転させて、ダンジョン目録の知識をフル動員して、解決策をはじき出したのだ。その間、僅か5秒。


 ぶっちゃけてしまうと、思いつきだった。しかし、熟考している暇はない!


 考えている間にも、魔力の激流は迫っていている!


 間髪いれずヘルメスは策を実行しなければならなかった。


 まずヘルメスは第4階層の階段の前に、高さ10メートルの落とし穴を設置した。敵の放った巨大な魔術は第2階層から第3階層へと流れてきた。そのことから、おそらく高いところから低いところへ流れる……水に似た性質を備えているとヘルメスはヤマを張っていた。


 なので、一度落とし穴に魔力の激流を落としこんで、指令室を守る。これが第1段階。


 次に第2段階。敵の放った魔力の量は膨大だ。穴に落としこんでも、すぐに穴からあふれてダンジョンに広がってしまうだろう。だから、落としこんだ魔力は外へ排出しなければならない。そこでヘルメスは、落とし穴の底に「排水路」を設置した。この排水路、ただの排水路ではない。ダンジョンの排水路である。ダンジョンの排水路は重力の影響を受けず定めた方向へと流体を排出できる。この特性を利用し「激流波を下から上へと排出する」のだ。


 あとはこの「排水路」を地上まで伸ばせば作業完了。魔力の激流は“死の音がする森”へと流れ出ていく、という寸法である。


 落とし穴に落として外へ排出するシンプルな策。だからこそ効果は高いはずだ、とヘルメスは考える。 問題は「排水路」を50センチ単位でしか購入できなかったこと。落とし穴の底から地上までの高さはおよそ30メートル。


 単純に計算して、「排水路」を60基以上設置しなければならないし、設置する度に“承認”と唱えなくてはならない。しかも、傾斜角度の設定、摩擦力の設定もしなくてはならないから、60基×3回。180回も“承認”しなくてはならないのである。 魔力の激流の到達まで残された時間は30秒あるかどうか。つまり、ヘルメスは30秒で180回、1秒あたり6回のペースで“承認”を唱える必要があった。だからヘルメスは必死だった。



「“承認” “承認” “承認” “承認” “承認” “承認” “承認” “承認” “承認”、ショニショニショニショニショニショニショニショニショニショニショニ!」


 ヘルメスは頑張った。頑張るあまり、あのマンガっぽくなってしまっていたが、そんなことを気にしている暇はない。


 とにかく無我夢中で。顎が外れてもいい。舌が焼き切れてもいい。喉が干からびてもいい。涎が飛び散ってもいい。それくらいの気合で、それくらいの覚悟で“承認”を唱え続ける。 耳を澄ませば、ゴゴゴゴゴゴゴと爆音が轟いている。魔力の激流の到達が近いのだ。しかし、まだ「排水路」は完成していない。急げ、急げ、急げ、とにかくダンジョンを守るんだ。


「ショニショニショニショニショニショニショニショニショニショニ! WRYYYYYYYYYYYYYYYYY(ウリャァァァー)!!!」


 180回の承認を終え、絶叫。叫び終わるとヘルメスはキリッ、とドヤ顔を作り、ビっと指を立てると、


「アリーヴェ・デルチ(さようなら)!」


 イタリア語で締めくくった。


「ふうー」


 さあ、これで魔力の激流はなんとかなったはずだが……。ヘルメスが一息ついた直後、指令室の扉の向こうから聞こえていたゴゴゴゴゴという爆音が遠ざかっていき、しばらくするとピタリと止んだ。おそらく魔力の激流が落とし穴に落ちていったのだろう。


 ヘルメスは、水晶玉に視線を映し、状況を確認する。先ほどまで表示されていた、『CAUTION(注意)! 魔術攻撃が指令室に迫っています!!』との文章はすでに消えており、どうやら魔術攻撃の危機は去ったらしいと悟る。そこで、ヘルメスは「ほ」とひとまず胸を撫で下ろそうとした。


 が、心のしこりがそれを許さなかった。


「全滅、か……」


 ひどく口の中が苦い。魔術攻撃によって第2階層の植物型魔物は全滅してしまった。ようやく機能し始めた第2階層であったが、あっけなく全滅。こうなってしまってはぽつぽつ罠がある広々とした空間だ。ヘルメスの脳裏に、努力を振り出しに戻されたような徒労感と消滅した魔物への罪悪感があふれ出した。


 ステラとジンリンが生きていることが救いだが、死んでしまった生命はもう、戻らない。


「はあ」


 とにかく口の中が苦い。それに180回も承認したので、カラカラだ。とりあえず。気分を少しでも前向きにするためにヘルメスは水分を補給することにした。テーブルの上のコーヒーカップを手にヘルメスは「“承認”」と唱える。すぐさま、ヘルメスの頭の上の空間に光の球が出現し、光から落ちた水がカップの中に注がれていく。それを一気に飲み干すと、ヘルメスは水晶玉の画面を切り替える。


 ピ。


 電子的な音とともに、ダンジョンの断面マップが映し出された。


 瞬間、ヘルメスは戦慄した。マップには赤丸マーカー(侵入者)と青丸マーカー(味方)によって、敵味方の現在位置が一目でわかるようになっている。


 4名の侵入者を示す、4つの赤丸。


 そのうちの1つが、第4階層――つまり、ヘルメスのすぐ近くにまで到達していたのだ。 そして、その赤丸は先ほど仕掛けた落とし穴を軽々と突破すると、まっすぐに指令室を目指して進んでくる。それを確認した直後、


 どくん。


 ヘルメスの心臓が跳ね上がり、背筋に冷たい物が走った。


 どうなってんだ!?


  敵が、俺のすぐ近くにいるっていうのか。


 ぞわ。


 全身の毛が逆立ち、毛穴から冷たい汗が噴き出す。この状況はやばい。やばいぞ。


 ヘルメスの脳内で警戒音アラートが鳴り響き、視界がチカチカと点滅する。息をすることすら苦しい。体中の力が抜けていくようなこの感覚。


 ――恐怖。


 この感情もやばい。


 冷静さを欠いては生き残れるものも生き残れない。


 落ちつけクールになれ。と念じてみるが、一度溢れた恐怖心は止めることができない。壊れた蛇口から凄まじい勢いで噴き出す感情をコントロールできないのだ。こうしている間にも敵は近付いてくる。


 指令室までの距離は!?


 ――残り10メートル。


 どうする?  どうする?  恐怖に支配された頭で考えても逃げるという選択肢しか思いつくことが出来ない。しかし逃げ場などない。  


 ――残り5メートル。


 どうする。こうなったら、戦うしかない。しかし自分の戦闘能力の低さは痛いほどわかっている。


 ヘルメスの戦闘能力は死ぬ気で頑張ってステラの尻を撫でることができる程度。


 こんなに弱くて勝てるのか?


 侵入者がここまで到達した、ということはステラとジンリンの防衛ラインを突破したということ。つまり侵入者の実力は相当高いと見た方がいいだろう。


 勝てるわけがねー。


 とここまで、考えた時点で、ヘルメスは気がついた。


 いつの間にかちょっと冷静になってるじゃねーか。おれは。


 そう言えば、ステラの尻のことを考えた途端、恐怖心が消えた……ような?


 ふとステラの言葉が蘇る。


『魔物には魔物の、マスターにはマスターの戦いがあります』。


 ヘルメスは水晶玉を見る。その目には、うっすらと涙が滲んでいたが、しかし恐怖の色はすでに抜けていた――。


 ――残り1メートル。


 ヘルメスは小声で、「“承認”」と唱えた。 逃げも隠れもしない。おれは、おれの戦いから目を逸らさない。


 ヘルメスは、自分のへその辺りの筋肉がきゅっと締まって行くのを感じた。


 ――0。


 ぎい……。 指令室の扉がゆっくりと開いていく。ヘルメスは椅子に座ったまま、その様子をじっと見つめていた。

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