第11話
新藤は何度も如月に電話をかけたが、一向につながる様子はなかった。
猫に憑依され、俊敏になった宮崎を追いかけるので、精一杯なのだろうか。そうなると、新藤はただ夜の街を歩くだけである。途方に暮れる新藤だったが、突然声をかけられた。
「おい、君」
後ろに振り向くが、誰もいない。
「こっちだ」
声の発生源を探して、左右を確認した後、視線を上へ移動させた。民家の二階、そのベランダの手すりに、彼女は立っていた。言わずとも、宮崎静流の体を借りた、ミャン太である。
「あれ…如月さんは?」
「髪の赤い女か? 吾輩を必死に追っていたが、足が遅かった。待つ義理もないので、吾輩は勝手に走った。気付いたら、いなくなっていた」
如月は撒かれてしまったらしい。
「そうですか…。あ、そうだ。ミャン太さんの事情…聞かせてもらっても良いですか?」
「そのつもりで、君のところにやってきた」
「え? あ、ありがとうございます。でも、赤い髪の人に話してもらえば、それで良かったんですよ?」
「……あの女は、どうにも信用ならない」
「どうして?」
「以前も静流の体を借りて、外に出たことがあった。そしたら、変なやつに、こんな大きな刃物で、突然切り付けられた」
そう言って、宮崎は腕を広げた。
彼女が両腕で表した大きさをそのまま信じるとしたら、彼女の身長と同じくらい長い刃物、ということになる。
そんなものを持って歩いていたら、すぐに警察に捕まるだろうし、ニュースになっているのではないか、と新藤は思った。
「あの赤い髪の女は、そのときの変なやつに、どことなく雰囲気が似ている」
「そんな…如月さんは確かに変なところはあって、変なやつと思われがちではありますが、ミャン太さんのような人…いや、猫さんに突然斬りかかるような人ではありませんよ」
「それは吾輩にも、分かる」
「では、どうして?」
「分からん。野生の勘だ。飼い猫だがな」
冗談を言ったのか、少し宮崎の顔が緩んだように見えた。
「でも、僕はその如月さんの部下です。信じていいのですか?」
「うむ。それも分からんが、静流は君を信じているようだ。吾輩の野生の勘としても、君は悪いやつではない、と判断している。だから、話すつもりだ。駄目かね?」
「いえ、僕は静流さんに雇われた身です。静流さんを助けたいし、それは同時にミャン太さんを助けることでもあります。ぜひ、聞かせてください」
「それは助かる。では、少しの間…吾輩の話に付き合ってくれたまえ」
彼はもともと野良猫だった。親の顔は覚えてなければ、存在したはずの兄弟も、今はどこにいるか。とにかく、彼は孤独だった。生きるためには、自分の力だけが頼り。それを失ってしまえば、ただ惨めな死が待っているだろう、と考えていた。
しかし、五年前のある日、彼は怪我を負ってしまった。他の猫と喧嘩になり、右手を噛みつかれてしまったのだ。それは大変深い傷であり、菌でも入ってしまったのか、手が何倍にも膨れ上がってしまった。
常に痺れるような痛みがあり、歩く度に激痛が走った。おまけに大雨まで振り出して、絶体絶命の状態に追い詰められた彼は、とにかく屋根がある場所を見付け、ただじっと痛みに耐えるだけであった。
「猫ちゃん、猫ちゃん」
痛みの中に沈んで行くような、死の感覚すら意識し始めた彼に、何者かが呼びかけている気がした。何とか目を開いて、声の主を見たところ、人間だった。人間と言えば、でかい体で猫を追いかけ回す、恐ろしい存在だ。捕らえられたら二度と帰ってこられない、と噂で聞いている。これまでも、絶対に捕まるまい、と警戒していた相手である。
しかし、今回は逃げようにも逃げられなかった。手は痛いし、意識も何だかはっきりしないのだ。このまま、人間に捕らえられ、どこかで最後を迎えることになるだろう、と覚悟した。
「おいで、猫ちゃん。このままじゃ、死んじゃうよ」
その人間は、彼を抱き上げた。やはりここまでか、と諦めた彼だったが、人間の体温はなかなかに心地よく、悪い気はしなかった。彼は妙な場所に運ばれた。後で知ることになるが、動物病院という場所だった。そこで、注射というものを打たれ、包帯というものも巻かれた。そして、再び自分を拾った人間に抱きかかえられ、別の温かい場所に運ばれたのだった。
「私の名前はハルカ。貴方の名前は何て言うの?」
ハルカと言う人間が何を伝えたいのか、理解はできなかったが、きっと礼の言葉を求められているのだろうと、解釈した。だから短く礼を言ったのだが、ハルカには「ミャン」と聞こえたらしかった。
「そうなんだ。じゃあ、男の子みたいだし、ミャン太って呼んでいいかな?」
しつこく礼の言葉を求められている、と勘違いした彼は、もう一度「ミャン」と鳴くのだった。
「じゃあ、私と一緒に住んでくれるのかな?」
「ミャン」
「やったー!」
こうして、二人は一つ屋根の下で共に暮らす相棒となった。
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