第12話
新藤がドッペルゲンガーである優花梨の姿を見失った、ちょうどその頃。
百地たち家族は、食事の時間だったが、陸の姿がなかった。夫が帰ってくると、逃げるように二階へ上がってしまう陸のことを考えると、百地は暗い気持ちになる。
ここ最近、自分の周りの空気がおかしい。
まず、夫が急激に冷たくなった。数カ月前までは、優しくて気の利く人だった。もちろん、陸にも優しく、週末は必ず三人に出掛け、陸が満足するまで一緒に遊んでくれた。そんな夫が突然、自分だけでなく陸に対しても、関心を失ってしまったかのようだ。
自分とは必要最低限にしか口を利かないし、
陸については、まるで存在しないかのように振る舞う。
そのせいで陸は完全に塞ぎ込んでしまった。優しくて尊敬していた父から、そんな扱いを受けてしまったのだから、当然のことだろう。
「ねぇ、最近…何かあったの?」
何度、同じ質問をしただろうか。夫は決まってこう返す。
「何もないよ」
何もない人間の態度ではない。百地は溜め息を吐くことしかできなかった。こんな夫婦生活…もう破綻している。
そして、追い打ちをかけるかのように、自分と同じ顔の女が現れ、さらにあの男が現れた。誰かが自分に不幸が起こるように、調節しているとしか思えない。
百地は頭を抱えたくなった。食事の準備を進めながら、溜め息を吐こうと、息を吸い込んだ、そのときだった。物音がした。
百地は顔を上げて、夫を見る。夫もこちらを見たので
「今の聞こえた?」
と確認した。
「いや、何も」
夫は短く答える。あれだけ大きい音だったのに、何かの勘違いだったのだろうか。しかし、再び物音が…聞こえた。
確かに異音がする。
「ねぇ、聞こえるでしょう?」
「……僕には聞こえないけど」
そんなことはない。玄関の方から何かが聞こえるではないか。リビングを出て、廊下から玄関の方を確かめてみた。
すると、鍵のかかった玄関のドアを、誰かが開けようとしているらしかった。強い力で、ガチャガチャと何度も捻られている。
「清司さん…誰かが外にいる! 無理矢理…ドアを開けようとしている!」
「……そんなわけないだろう」
夫は座ったまま、動こうとしない。
「ママ、どうしたの?」
音が聞こえたのか、陸が二階から降りてきた。そして、陸も激しく動く玄関のドアを見て、恐怖を覚えたようだった。百地はすぐに陸を抱き寄せ、もう一度夫を呼んだ。
「清司さん! こっちに来て! 本当に誰かがドアを開けようとしているの!」
夫は青ざめた百地に冷たい視線を向けると、呆れたように溜め息を吐いた。しかし、仕方なくと言った様子で腰を上げると、同じように玄関の方を確認した。
すると、何度もガチャガチャと動いていたドアノブが、ピタリと止まった。その光景を見て、夫も誰かが玄関の外にいると、流石に認めたらしかった。
震えた声で百地は夫に言う。
「清司さん、見てきてよ。それか、警察を呼びましょう」
「……ただのイタズラだろう。そんなことで警察を呼んだら、笑われてしまう」
「でも…だって、私の話、覚えているでしょう? 変な女が…何かしようとしているのよ!」
「大きな声を出さないでくれ。大事にすることじゃないんだから」
百地は夫に対し、養ってもらっていることに感謝しているし、知性の高さに敬意も払っていた。しかし、ここまで自分と陸に愛情を抱いていないとは、思ってもいなかった。
それを悟った瞬間、彼女は初めて夫へ怒りと憎しみを抱いた。そして、声を荒げる。
「大事にすることじゃない? どうして、貴方はそんなに家庭に興味がないの? 私と陸に何かあっても良いの?」
出てきた言葉はあまりに平凡だった。それ故か、旦那は嘲るように、歪んだ笑みを浮かべながら鼻を鳴らす。その仕草を見て、百地は自分の頭に火が昇って行くような感覚を覚えた。それはただの怒りではなく、殺意だったかもしれない。
しかし、幸いなことに、それが何らかの行動へ移されることはなかった。なぜなら、日常では聞かないような異常音が二人の耳を打ったからだ。それはリビングの窓ガラスが、割れた音だ。
カーテンがはためき、雨が降る冷たい風が、リビングに入り込んだ。さらに、外側から何者かの手が入り込んでくる。どうやら、窓の鍵を開けようとしているらしい。
「だ、誰だ!」
ここでやっと夫は、自分たちに何らかの異常が迫りつつあることを理解した。そして、その異常者は窓の鍵を開けてしまった。
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