第9話
高校時代の新藤は、ろくに友達も作れず、教室の隅で本を開いては、そこから視線をずらすこともないような人間だった。
「何を読んでいるの?」
そんな新藤に初めて声をかけてきた人物が、百地優花梨だった。
「実は私、ずっと新藤くんと話したいと思っていたんだ。本の話、できる人って意外に少ないよね」
新藤は教室で本を読んでいたが、それほど読書家と言うわけではない。ただ、高校生活があまりに退屈だったため、身に着け始めた趣味だった。
そんな新藤に、百地優花梨は親しみを持って、頻繁に声をかけるようになったのだ。百地に勧められた本を読み、新藤が自力で見付けた本を渡して、放課後に感想を言い合うこともあった。
クラスの人気者だった百地の友人たちは、二人の関係に対し、よく思っていなかったことを知っている。
「どうして、あんなやつと仲良くしているの?」
新藤の耳にも入るくらいの声で、誰かが彼女に質問していた。それに対し、彼女は心底不思議そうに質問を返した。
「何でそんなことを聞くの? 新藤くん、このクラスで一番面白い人だよ」
そんな彼女に、新藤が仄かな恋心を抱くまで、殆ど時間を必要としなかった。ただ、その想いを伝えることはない。
なぜなら、百地優花梨に交際相手がいることを知っていたからだ。
木戸康弘。
隣のクラスにいる、学校一番の不良。
それが新藤の認識だった。
しかし、百地優花梨から聞く、彼はそういう人物ではないらしい。
「黙ってるから怖いように見えるけれど、意外に良いやつだよ」
と彼女は言うのだ。
不良と言われることについては、彼女はこのように説明した。
「ヒロは背が高くて、目付きも良くないから、歩いているだけで絡まれるんだって。喧嘩を吹っかけられて、自分を守るためにやり返しているうちに、この辺りで一番の不良って言われるようになったらしいよ」
それは、新藤が聞く彼の噂とは少し違う。彼はとにかく喧嘩っ早い。
肩が当たった、なんていう下らない理由で喧嘩になる、という例を代表として、とにかく暴れ回っているそうだ。
「確かに、怒りっぽいところはあるかもしれないね」
百地優花梨はそんな風に笑った。
そんな木戸の気性によって、彼女がトラブルに巻き込まれる瞬間を、新藤は目の当たりにすることになった。高校二年のときだ。
放課後、新藤がいつもの帰り道を自転車で走っていると、公園の前で立っている百地優花梨を見かけた。何があったのか、声をかけてみると、どうやら切迫した状況だったらしい。
「新藤くん、どうしよう!」
公園の奥では、木戸が別の高校と思われる男子数名に囲まれていた。経緯を聞いたところ、木戸と百地が並んで帰っていたら、別の高校の不良にちょっかいを出され、トラブルに発展したらしい。
「ヒロが横にいるのに、あの人たちが私にナンパって言うか、しつこく声をかけてきて…。それでヒロがうるせぇ、って言ったら囲まれちゃって、あんな感じに」
慌てた百地は言う。
「け、警察呼んだ方が良いのかな? でも、絶対…ヒロも捕まっちゃうよね」
「捕まりはしないと思うけれど…」
そうコメントしながら、新藤は不良たちに目を向け、観察する。すると、知っている顔が多くいることに気付いた。
「先輩、何をやっているんですか」
と新藤は不良たちに声をかける。
中学のときは、それなりに交友関係が広かった新藤は、悪い先輩にも多少は可愛がられていた。
「お、新藤じゃん。久しぶり」
「お前、こんなところで何やってんだよ」
新藤は適当なことを言って、不良たちを宥め、見逃してもらうように頼むと、彼らはすぐにその場から立ち去って行った。
あまりに簡単に退いてくれたため、新藤も驚いた。恐らくだが、彼らも木戸のような、見るからに危険な男を相手にしたくはなかっただろう。
「ありがとう、新藤くん!」
百地優花梨は何度も礼を言ったが、木戸は新藤を一瞥しただけで、特に何も言わなかった。
その後、二人の交際経緯について、少しだけ聞いた。中学二年生の時、木戸は何度も、百地優花梨に交際を申し込んだ。その度に断ったが、折れない木戸に百地が根負けするような形で付き合うことになったらしい。
そのためか、木戸は百地にかなり入れ込んでいた。常に怒りの沸点が低い木戸だが、百地のことになると、さらに興奮してしまうらしく、今回のようなトラブルは過去にも少なからずあったそうだ。
いつか、百地優花梨が酷い目に合わなければいいのだけれど。
新藤は常日頃から、そのように考えていたが、木戸の傍にいる限り、そうはいかないのだった。
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