第6話 How to survive a pandemic
緊急事態宣言の発令時点で、沢山あった留学に関するハードルは、早期修了が無事にできるかということだけになっていた。修士論文についても、数学的にはほとんど完成しており、あとは執筆を終わらせるだけ、という段階まで来ていた。締め切りまで丸二ヶ月あるので、時間をかけて完成させればよい。
年始からここまで、毎日のように英語の書類を読んで関係者に連絡し、英語学習を一日四時間行い、さらに修論の問題についても考える時間をとる、という生活を続けていたので、それに比べれば一気に暇になったわけだ。友人と出歩こうという心の余裕が出てきてようやく、世の中が最早そういう状況にはないということを知る。
といっても、ただごとではないという感覚は共有されつつも、皆あまり悲観的ではなかったように思う。この時期には周りでDiscordサーバーがポコポコと立ち上げられ、サーバーに入り浸って通話を繋ぎながら各々の作業を進めたりオンラインゲームをしたりという生活が始まった。僕はむしろ年始から通して最も人と喋る時間の増えたタイミングだったと思う。英語学習の四時間が免除されたのはあまりにも大きかった。
Discordのサーバーとは大きなLINEグループのようなものだが、その中に並行した目的別のテキストチャンネルがいくつもあり、参加者が自由に書き込めるようになっている。またボイスチャンネルの存在が特徴的で、同じチャンネルに入った複数人で通話を繋ぐことができる。外から誰が入っているのか分かるので後からでも気軽に入りやすい。オンラインゲームをする人々に愛用されているツールである。僕は普段学科で立ち上がったボイスチャンネルに入って黙々と作業し、人が集まってきたら会話やオンラインゲームに参加するなどして、やり過ごしていた。
三月ごろには、英語の勉強もかねて英国BBCのワールドニュースをポッドキャストで聞くのが習慣になっていた。英国での強権的なロックダウンの様子から、日本でも緊急事態宣言に準ずるものが始まるであろうと予想し、運動不足を見越して懸垂台を購入していた。これはファインプレーで、緊急事態宣言が発令されて一週間ほど経つと巣ごもり需要によって「懸垂台が売り切れてて手に入らない」などの声がちらほらと聞こえてきた。これを使って室内生活ながらも毎日運動をし、心身の健康をキープしようとしていた。
この三月末から五月末の時期にかけて、束の間の暇に乗じてのめり込んでいたゲームが三つある。
一つはデュエル・マスターズのスマートフォン向けアプリ「デュエマプレイス」だ。これは2019年末に配信が始まり、緊急事態宣言の頃はちょうど僕が小学校時代に使っていたようなカードがゲームに登場し始めていた。友達と毎日のように「このカードが実装されるらしい」と盛り上がり、四月末には『ダイヤモンド・ブリザード』をメインとしたスノーフェアリー速攻デッキでオンライン戦でマスターランクまで駆け上がった。その頃の友人とのLINEを読み返すと、オンライン戦の上位がほぼスノーフェアリーを使っていたため、その環境をメタ読みした上手いデッキが作れないかという議論の後が残っている。結局それ以上オンライン戦で勝ち上がることはできなかったのだが……。
もう一つはマインクラフトであり、これは「世界で最も売れたゲーム」としても有名である。僕が懸垂台を買ったのと同じようなタイミングで、友人の一人が「マイクラの共有サーバーを立ち上げたい」と言い出した。毎日動いていたグループLINEの五人で同じ世界の開拓を始め、すぐにゲームシステムの面白さにのめり込んだ。
マインクラフトの世界はブロックを基本単位とし、土ブロック、石ブロック、木ブロックなどが集まって世界が構成されている。暗い場所ではゾンビが湧いてきて殺されるので、どうにか寝る場所と明かりを手に入れて生存手段を確保しなければならない。手や簡単な素材でできるツルハシなどで壊したブロックを集めてさらに複雑な素材を手に入れ、自分の好きなように街を作り、ゲームの実装やNPCをうまく利用して食糧や貴重な素材を量産できるようにしていく、というようなゲームである。
このゲームは、自分の場合は友人がほとんど先にやってしまったが、鉄道網を構築したり産業を自動化したりと利便性を追求していく間は非常に楽しい。しかし、いざ物資が安定供給されてしまうと、僕のように特に何かを作りたい欲求のなかったプレイヤーたちはログイン頻度が下がっていき、共有サーバーにおいても温度差が生まれてしまう。そういった意味でこれは人生に通じるゲームである。一、二ヶ月寝る間を惜しんでプレイしたあとはログイン頻度が格段に落ちたが、この先も細く長く楽しめるゲームになった。
最後はMAO(Markov Algorithm Online)である。前述の二つに比べてこれは人口に
こんな風に、僕はIELTSの後はどこか気が抜けて娯楽にのめり込みっぱなしだった。予備審査の日程は六月中旬に決定し、無事修士論文の原稿も審査員の先生方に提出した。
提出の二日後、指導教員からの連絡が届く。
——先日は納得してしまったのですが、補題7.3.6の証明、間違っていませんか?
思考が一瞬止まる。僕が練り上げた証明は、二人でもオンラインで逐一確認したはずだ。先生の指摘する間違いが本当かどうかの判別が瞬時につかず、目は数式の上をぬるりと滑っていく。
そこの補題は第四論文の主定理の大黒柱だ。間違っていては——困る。
数学が得意であることと、間違った証明をしないことの相関は実はそれほど高くない。国際数学オリンピックの日本代表選考合宿では、三問の証明問題を四時間半の制限時間内に解く試験を四日間行う。2014年の春、僕が日本代表になった回は難問揃いだったのだが、試験が終わった後には、二十名と少しの参加者のうち実に六名が、試験で出題された十二問のうち「五問以上解けた」と主張していた。しかし、代表が発表され蓋を開けてみると、実際に五問以上正答していたのは僕だけだった。その年の代表の六人に入るためには、五問はおろか三問解くだけで十分だったのである。こういうことはそれほど珍しくない。
これは僕にとって、数学オリンピック代表候補という「数学のできる」人々であっても、必ずしも正しい証明を毎回書けるわけではない、という教訓になった。
人はよく間違える。他人の数学に関する主張を信用し過ぎてはいけない。
さらに、自分は間違えない側であるという確証を強める結果にもなった。僕の自己採点は、些細な計算ミスを除けば、それまでもほとんど常に正確だったのだ。もちろん、これは数学ができるということとはまた違うだろう。単に勘違いで解けたと思い込むことが少ないというだけだ。
ただし、今回に関しては、僕の証明は完全に間違っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます