第8話

 「才能は、伸ばしてこそ意味があるとは思わないか?君は自分の能力を過信して、努力する事を怠った。努力しない人間は、決してトップにはなれない」

 野本清次郎の声が、風のようにあたしの耳に漂ってくる。

 それは、力有る者の言葉。トップにたった人間だけが、言葉に出来る事。


 「どうだ、訓練を受けてみないか?そうすれば、君はもっと強くなれる。自暴自棄的な強さは社会の塵だが、完成された強さは美とも呼べる。君には、有り余る程の才能があるではないか。良かったら、私の為にそれを使ってみないか?」

 「あたしの才能?」


 「そうだ、君には素質がある。一年ほどすれば、実戦的なトランシ-バ-になれるだろう。それだけじゃない、誰もが一目おく優秀なトランシ-バ-にだってなれる。会社は、君の力を異端ではなく才能として扱うだろう。君の力は、会社にとって欠く事の出来ない戦力となるのだ。能力者達の中で、君は自分を試したくないか?PKとは違うその力が、いかに凄いかを認めさせたくはないのか?」


 巧みな口説き文句に、あたしの心は揺れた。

 彼の持つ会社は、あたしが従えていた物とは、比べ物にならないくらい大きい。あたしを愕然とさせたあんな能力者が、それこそ数えきれないくらい居るのだ。

 凄い、そんな人達を従えているのだから、きっとこの人は思いのままやっていけるだろう。


 「能力者のトップは、全ての人間のトップだ」

 駄目押しのように、野本清次郎は言った。

 突然、野本清次郎の存在が、あたしの目に途轍も無く大きな存在となって映った。

 この目立たない風体をした叔父さんが、巨大な影を一手に従えている。いったいこの人は、何者だろう?


 「私は、君が欲しいんだよ。私の手として、君の力が借りたい。私が君を、最高のトランシ-バ-にしてあげよう。これは、君にとってもチャンスだ。君を屑のような目で見てきた連中だって、考えを改めるさ」

 あたしは、俯いたままぎゅっと手に拳作って握った。

 野本清次郎は、尚もこう続ける。


 「今まで君を排除してきた人間を、私は哀れに思うね。何故なら、君はその力を使う為に生まれて来たのだから。才能は、使われてこそ意味があるんだ。私は、それを良く知っている。だから、決して君を見捨てたりしない。君の父親のように、忌み嫌ったりしない。私は、ありのままの君を求めているんだ」

 握った拳に、爪が突き刺さった。その痛みが、鈍く掌に伝わる。

 そんな言葉に、あたしは騙されない。

 心の中で、血が出るような思いで呟いた。

 しかし、呟きとは裏腹に、気持ちは大きく揺れ動いてしまう。


 彼が果たして本心を言ったのか、今でも良く分からない。意識を読めないのだから、判断しようもなかった。

 信じられない。けれど同時に、信じたいと思う気持ちもある。そんな混乱は、生まれて初めての事だった。

 何故なら、必ず相手の真意が分かっていたから・・・・。

 あたしは、今更ながらテレパスと言う力を呪った。普通の人を、痛いくらいに羨んだ。

 嘘でも信じられる彼らの幸せを、激しい気持ちで妬んだ。


 あたしを嫌った両親の心、愛して欲しいと願う幼い心が、真実に打ちのめされ、狂気に染まっていく。


 ああ、もしあたしがテレパストでなかったら、偽りの愛情でも信じる事が出来たのなら。それが駄目でも、心の中に少しでもあたしの居場所を作っていてくれたなら。嫌うんではなく、哀れんでくれたなら、あたしの存在を認めてくれたなら。

 あんな場所に、閉じ込められなかったなら・・・・・・。


 あたしは、狂った生活をしなくて済んだかもしれない。狂気に脅え、震える事もなかった。

 知りたくない真実もある。耳を塞いでも聞こえてくる心の叫びは、あたしを何度も引き裂いた。


 母はあたしを見ていない、へらへら笑いながら男を追い掛ける。父は母を軽蔑し、その子供であるあたしも疎んじた。

 『寄るな、あっちへ行け!』

 心の中で呟く言葉に、どれほど傷ついただろう。

 愛している者に拒絶される事が、どれほど辛いか理解して欲しかった。

 気がつくと、あたしは膝を付いていた。ぼさぼさに乱れた髪を、激しい勢いで掻き乱す。

 耳を押さえても響いて来る、彼らの叫び声。


 いらないんだ、あたしはいらないんだ。あたしを必要としない世界は、きっと間違っている。あたしじゃない、みんなが間違っている。

 あたしは、狂ってなんかいない。あたしじゃなく、他がみんな狂ってるんだ。

 絞り出すような声に、その人は優しく耳を傾ける。


 「そうだ、君は間違っていない。けれど、世界も正常だ。君は正常な世界で、正常なまま生きていく。私が、君にその方法を教えてあげよう。力を、認めてあげよう。そして、君という人間を愛してあげよう。だから君は、私の為に生きて欲しい」

 あたしの小さな呟きを聞いて、その人は慈愛の籠もった目で言った。


 風が揺れる。誰もいない静かな湖の辺に、今は二人だけしかいない。

 ここに居る人は、一体誰だ?見知らぬ人だ、ただの何処にでも居る、普通のおじさんではないか。


 けれどその人は、あたしを必要としてくれている。あたしの力を、受け入れてくれる。そうして、あたしに居場所を与えてくれようとしている。

 愛してくれると、そう言ってくれた。

 そうだ、あたしはただ、その一言が欲しかった。

 『愛している』

 誰かに、愛して欲しかった。出来れば、父や母にそうして貰いたかった。

 しかし、誰もあたしにそれを与えてはくれなかった。

 そしてあたしは、それを貰えない世界を憎んだ。


 何故この人は、そんなあたしの気持ちを知っているんだろう?何故何も彼も知り尽くした目で、あたしの事を見るんだろう?

 静かに立ち上がった。心が、何故か熱くなる。


 ここには、二人しかいない。彼の意識が読めないのだから、これはあたしの気持ちなんだろう。他の誰の物でもなく、あたし自身の物だ。

 あたしはどうやら、彼の偽りかもしれない言葉を、信じたいと思っているようだった。

 いや、信じてしまったのかもしれない。


 「あたしは、貴方に従います」

 自分でも、信じられない事だった。

 このあたしが、静かに目を伏せ、服従の言葉を告げたのだから。


 そう、あたしにはとても適う相手じゃない。彼は、人を知り尽くしている。能力者の心理を、全て把握しているのだ。

 あたしが必死になって否定してきた事を、いとも簡単に見抜いてしまうのだから。

 どんなに力を使っても得られない、たった一つのもの。

 愛されない者の、惨めさを。


 日の当たらぬ場所で一生惨めに暮らすか、それとも才能ある社員として、日の当たる場所へ出るか。

 彼の言った言葉の意味が、ようやく胸にしみ込んで来る。

 これは、大きな挫折だった。けれど、新しい旅立ちでもあった。全てに於いて負けたのだから、従うのもまた当然の事のように思われた。


 「ついて来たまえ、私は君を歓迎するよ」

 あたしの主人は、優しく笑いながら、ごく軽い調子でそう言った。

 彼には、突き放すような冷たさと、非情さ、それと同居して不思議な優しさがあった。飼い犬を簡単に捨ててしまえる薄情な男なのに、何故かあたしは嫌いになれない。


 とらえどころのない雰囲気や、真意の分からぬ喋り方、印象の薄い姿は、以前何処かで見た摩利支天の姿を連想させた。

 彼は陽炎のように、その姿を表さない。目の前にいても、誰もが通り過ぎて行くような人なのだ。近くに行けば行く程、見えない存在となる。


 見る事も出来ない、知る事も出来ない、捕らえる事も出来ない、縛る事も出来ない。

 だからこそ、絶大な力があった。


 彼が存在するだけで、あたしの心は満たされた。彼に見つめられるだけで、全てを捨ててもいいと思った。彼の為なら、どんな事さえ厭わずにやった。


 例えば誰かに自分の身体を与える事さえ、全く平気だった。人に触れる度に起こる意識のショ-トも、彼の為なら我慢が出来た。

 それで自分が廃人に近付くと知っていても、構わなかったのだ。


 あたしの命など、大した問題じゃない。

 どんな苦痛にも勝る物が、彼のたった一言の言葉の中にあった。


 「有り難う、助かったよ」

 あたしはただ、その言葉を聞く為だけに生きていた。


 彼は、あたしの救い主だ。そして、多くの能力者の救い主でもある。しかし同時に、会社の為なら平気で彼らを切り捨てる事の出来る、恐ろしい人でもあった。

 その姿は、決して仏ではない。なのに何故、あたしはこんなにも魅せられているんだろう?


 『お前は、可愛そうな奴だよ』

 不意に、竜二の言葉が浮かんできた。

 あれは、何時だったろう?まだ彼が力を全開に使っていて、血気盛んだった頃の話しだ

 歪んでいたけど真っ直ぐで、何処まででも突っ走って行くような、初々しい若さがあった。

 あたしは、主人の命令で、彼に裏切ったチ-ムメ-トの始末を命令した。

 その時、会社のやり方に激怒した彼が、あたしに向かってそう言ったのだ。


 『力が有りすぎて、冷酷で、主人の命令にしか従わない。お前は、可愛そうな奴だ』

 なんて、随分な言われようをした。確かに、間違ってはいなかったけれど・・・・。


 あたしは、自分がそういう人間だと言う事を知っている。誰に言われるまでもなく、ね。

 あたしにとって必要のない物ならば、全て切り離して考える事が出来た。

 愛せる物が少ないから、愛した物には異常な程執着する。


 杉田由沙も、その一つだ。


 七階建てのマンションの前で、一度立ち止まって上を見上げる。もどかしい思いで、窓から彼女の部屋を探した。

 淡いグリ-ンのカ-テンがぶら下がった窓を見つけた途端、重い足がすっと軽くなったような気がした。

 一人で居ると滞りがちになる気持ちが、ぱっと明るくなったように正常に動き出す。


 由沙は、あたしにとって光だ。不器用で突っ張ってはいるけれど、本当は誰よりも純粋で優しい。こんな悪魔でさえも、許して愛することの出来る人。

 優しすぎるから、自分を傷め付けずにはいられない。相手ではなく、自分を憎んでしまう子だ。


 それが理解出来ないから、とても気になる。そうやって自分に罪を着せて、他を許してしまえる彼女が、眩しいくらいに羨ましかった。

 確かに、自分の運命を呪っているかもしれない。けれど彼女は、愛してもいた。全ての元凶である両親さえも、やっぱり愛しているのだ。

 あたしには無い、温かい気持ちがある。それは多分、生い立ちと彼女自身が持っている本質なんだろう。


 あたしのように従えようとは、最初から思っていなかった。ただ彼女は、共に生きる事を望んでいる。


 あたしにとって由沙は、凝縮されたあたしのconscience(良心)。

 彼女を守る事が、あたしの失った良心を守る事にもなる。

 だからあたしは、どんな事があっても彼女だけは守らねばならないのだ。


 ・・・・そう、彼女はあたしだから。


 竜二、由沙はあたしより先に死んだりしない。あたしが死なせない。だから、あたしの心配をする必要なんかないのだ。

 あの子は、生きる為に生まれて来た。どんな事があっても、最後まで生き残る為に。

 でも、あたしは・・・・・・。


 あたしは、このまま生きていけるだろうか?

 彼女と出会って、一人の恐怖が余計に酷くなったような気がする。彼女が側にいないと夜も眠れない程に・・・・・。

 果たしてあたしは、蜃気楼ではなく、手に取って触れる事の出来る現実の中で、まともに生きていけるのだろうか?

 母の狂った姿が、未だに忘れられないから・・・・。

 とても、不安だった。


 ・・・大丈夫。


 社長から受け取った言葉を噛み締めた。

 大丈夫、自分に言い聞かせる。

 あたしは、強いのだ。あたしは、誰にも負けない。そう簡単に、終わったりしない。

 由沙がいる限り、まだ狂う訳にはいかなかった。あたしが狂えば、彼女が困るから。

 大きく深呼吸をした。そして、マンションの入口のフォンを押し、由沙の部屋を呼び出す。


 『あっ、杉田ですけど』

 五回コ-ルを鳴らした後、ややキ-の高い可愛い声が聞こえてきた。

 何時も通り、酷く無愛想な言い方で・・・・・。

 「あたしよ、何って愛想のない言い方してんの。だから、可愛くないって言われるのよ。まあいいけどね、ちょっと扉開けてくれない?」

 何時もの口調で言ったあたしの顔は、扉のガラス越しで見る限り、何時も通りの穏やかな笑顔になっていた。


 返事は帰って来ず、変わりにマンションの扉が開く。

 あたしがようやく辿り着いたオアシスに足を踏み入れた時、背後に広がる蜃気楼の街は静かにその姿を消した。



                   END


 ※この物語はフィクションであり、登場する団体や人物は、実際に存在しない架空の物語です。

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蜃気楼 しょうりん @shyorin

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