§ サワダマチコの結婚⑧ §

白南風百合子との対面 1

 目が眩みそうだ。

 ほんと、色んな意味で。

 

 土曜日。時刻は午後三時である。

 恭太さんのお母様とのご挨拶の日である。


 ご自宅で、との予定だったのだが、急遽変更となり、現在、お母様が経営なさっているお店――『Blancブラン』の応接室にいる。


「マチコさん、大丈夫?」

「だ、大丈夫ではないです。口から内臓全部出そうです」

「全部出たら死ぬじゃん」

「そうです、つまり、そういうことです」

「えぇ、死なないでよ」

「ぜ、善処します」


 善処しますとは言ったけれど。

 言ったけれども。

 

 何?

 ここほんと、何?!

 天井のシャンデリアとかもうすごすぎて目がチカチカするし、飾られてるお花も何か凄い。これなんて花? もう何もかもわからないんですけど。あと、さっきお茶を運んで来てくれた女性、モデルさんかと思った! 何ここ! 桃源郷?! 私もう死んだ!?


「何か尋常じゃないくらい震えてるけど、寒い?」

「寒くはないです。あの、これは、その、あの、武者震い、みたいな?」

「成る程。しかし、遅いな。自分から呼びつけておいて」

「お忙しい方なのでは?」

「お忙しいのは間違いないんだけどさ。でもまぁ、この時間は割と暇っていうか。普段は起きてる時間だし」

「それじゃあむしろご迷惑だったのでは」

「うーん、でも向こうから指定してきたわけだしなぁ」


 などと話をしていると、「遅くなってごめんなさい」という言葉と共にドアが開いた。反射的に立ち上がり、ガバッと腰を折って頭を下げる。


「こ、ここここの度はお時間をいただきまして、あ、あああありがとうございます!」

「マチコさん落ち着いて」

「わ、わた、私、あの」

「大丈夫大丈夫。まずは顔を上げて。俺から紹介するから。ほら、深呼吸深呼吸」


 情けない。

 ほんと情けない。

 私、五つも年上なのに。


 さすさすと背中を撫でられ、深呼吸を促される。ゆっくりと顔を上げれば、想定通り――というか、それ以上の上品マダムである。白地に大輪の百合が描かれた着物姿が何とも艶めかしい。


「お話は恭太から伺ってますわ。そんな緊張なさらないで。さ、お掛けになって?」

「は、はい……」


 恭太さんに支えられつつ、ふかふかのソファに腰を下ろす。それでこのソファの座り心地の素晴らしさといったら! 私もうここから動けなくなっちゃうかも!


「電話でも話したけど、こちら、沢田真知子さん」

「沢田真知子、です。あの、初めまして。恭太さんとお付き合いさせていただいております」


 ゆっくりとそう言って、ぺこりと頭を下げる。


「初めまして。恭太の母の百合子ゆりこです」


 そう名乗られて、「あっ、だからお着物が」と思わず口に出る。


「あら、気づいてくださったの? 嬉しいわぁ」

 

 顔の前で手を合わせ、にこりと微笑む。笑い方が恭太さんにそっくりだ。というか、顔の作りそのものが似ている。そうか、恭太さんはお母様似なのか。ていうか、キャラが濃いなんて言ってたけど、私にはただの上品なマダムにしか見えないというか。ある意味濃くはあるのかな?


「良いってもう、そういうの」

「え」


 うざったそうな声に驚いて、隣を見ると、恭太さんが苦虫を嚙み潰したような顔をしている。


「マチコさんの前だからって猫被ってんなよな。素を出せよ」

「え、ちょっと、恭太さん?」

「あのな、マチコさん。騙されんな。これはな、仕事用のやつだからな。普段はこの人、こんなんじゃねぇから」

「えぇ?」


 慌てて視線を戻すと――、


「ちっ」


 ソファのひじ掛けにもたれ、気だるそうな顔をしている上品マダムの姿があった。


「何でバラしちゃうのよぉ。こういうのは第一印象が大事なんだから」

「どうせ後々バレんだろ。マチコさんがギャップで心臓発作起こしたらどうすんだよ」

「起こすわけないでしょ。馬っ鹿じゃないの」

「馬鹿じゃないわ! 博士だわ!」

「まだ学位授与されてませ~ん」


 馬鹿と言われてムキになって身を乗り出す恭太さんと、白目を剥いて舌を出す百合子さんである。


 えっ、待って待って。もう早くもギャップで心臓発作起こしそうなんですけど?! えっ?! 百合子さん、そういうキャラなんですか? こっちが素? 確かに濃い!


「はぁ、やっぱり息子を揶揄うのは楽しいわぁ。ママ、若返っちゃいそう。えっと、真知子ちゃんだっけ? 息子は良いわよぉ。娘もね、絶対可愛いと思うけど、息子もね、もーほんと可愛いから。いつまでもこうやって遊べるから。おすすめ」

「は、はぁ」

「マチコさんに変なこと吹き込むな! 何だ、おすすめ、って! ていうか、息子で遊ぼうとすんな!」


 すごいお母様だとは聞いていたけど、予想以上、というか予想の斜め上である。怖いのは俺にだけ、と言うだけあって、あの恭太さんが押されてる。


「そう、それで」


 仕切り直しとばかりに、コホン、と咳払いをし、声のトーンが一段低くなる。これは真面目な話だぞ、と思い、背筋をピッと伸ばした。


「ちょっと遅すぎない?」


 鋭い指摘に恭太さんが「うっ」と小さく呻いた。

 遅すぎる、かはわからないけど、結婚前提でのお付き合いなわけだから、挨拶は早いに越したことはなかったのだろう。


「それは」


 さすがの恭太さんもこれについては思うところがあるのか、言い返せないようである。


 と。


「クリスマスのからよね?」


 はぁ、とため息をつき、小首を傾げつつ、確認される。

 いえ、クリスマス、ですけど? ですよね? と思い、確認の意味も兼ねて恭太さんを見る。彼もまた、眉を顰めて、「はぁ?」とぽかん顔だ。


「ママ、美波みなみから聞いてんだから」

「美波から? 何て?」


 美波さんというのは、恭太さんの従姉妹さんだ。いつだったかリオンモールのアクセサリーショップで二人でいるところを目撃し、彼女と勘違いしてしまった女性である。


「恭太に好きな子が出来たって。何かめっちゃ必死にアクセサリー探してたからアドバイスしてやったって」

「あいつ……!」

「ちょっと聞いて真知子ちゃん。この子ったらね、ほら、見た目は良いんだけど、なんか全然モテないのよぉ」

「え」

「彼女とかもね? 全然連れて来なくって。おかしいわよねぇ。これだけ顔が良いのにモテないとか。何かよくわからないトラブルに巻き込まれることはよくあるんだけどね? 彼女が出来ないの! おかしくない? だってこの顔よ?!」

「え、いや、えぇ?」

「もしかしたら性格に問題があるのかしら、って思ってね? でも、あたしが言うのもナンだけど、母親思いの良い子なのよ? だからもしかしてマザコン疑惑とかあったりするのかしらとか、あたしも悩んだのよぉ。だって嫌よねぇ、マザコンはねぇ?」

「え、えっと、あの」

「だからもう、美波から聞いてびっくりよ。信じられる? 二十七で初めてなのよ? 好きな子にアクセサリー選ぶとか! 可愛くない?!」

「えっと、それは、はい。あの、可愛い、かと」

「そうよね?! もう、ママに相談してくれればいくらでも乗るのに! あっ、でもこういうのがマザコンなのかしら?!」


 いや、待って。

 百合子さん! 恭太さんのこと勘違いしてる!

 違います! この人、めちゃくちゃモテてます! そう伺ってます! あとたぶんマザコンではないと思います、けど?

 

 そう伝えたかったけど、必死に首を振っている恭太さんの姿を見て、その言葉を飲み込んだ。

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