第十章 頼れる人

 文は今週末も会えるようで、また僕の家に来てから予定を決めようと言われた。僕はそれで構わないが、良いのだろうか。ここから行ける所なんて知れている。そもそも僕に求めるようなものはないと思っているとか?そんな余計な事を考えさせられる。

 予定通り、夕方に文は来てくれた。今日はずっしりと重く眠たいわけではなく、しっかりと応対ができた。

「いらっしゃい。待ってたよ。」

 今日の文は出会った時のようなドレス調のワンピだった。基本的にはカジュアルな服装はしないのだろうか。

「ありがと。」

 それから居間に上げ、キッチンで飲み物を二人分淹れてくると、文は部屋の一点を見つめていた。

「どうかしたの?」

 文の横に座り問いかける。文の視線の先にあるものに気づいたが、文が話す方が早かった。

「いや、あんなのあったかなあ…って。」

 それは飯島が忘れていたカバンだった。新しく買ったため、前は無かったと簡単に予想は付くが、あのアクリルチャ―ムが目に留まるのは頷ける。

「ああ、友人の忘れ物。バイト仲間だけど。」

 僕は合点がいき、持ってきた飲み物を啜った。それを受けて文は

「ふーん…あ、それで思い出した。明日さ、私の友達が帰って来るんだけど、会ってくれない?」

 と話題を変えてきた。会ってくれないと言われましても。友達水入らずの所に僕が行くのは邪険というものではないのか。恐らく相手は女性だろうし、気まずい気持ちがあった。

「会ってくれないって…なんで?」

 僕はよくわからず聞き返した。意図が分からない。

「ほら私ってさ、色々問題抱えてるじゃん?結構心配もしてくれてるから、大丈夫って言いたいの。」

 未だ僕はその問題とやらを深くは知らない。聞けば教えてくれるだろうか。それには勇気が無かった。提案に関してだが理由が理由だし断りづらかった。

「良いけど、その子は良いって言うかな?」

 聞いた感じ親友みたいだし、相手としても何処の馬の骨とも知らぬ奴が間に入ってしまうのは嫌だろう。例えば、僕と大地で考えても、二人で会う予定の所に大地が彼女を連れて来たとしたら少し嫌だ。

「ううん。この前話したら会わせてって言ってくれたよ?」

 まあ、そういう事なら拒否する理由もないのだけれど。全く持って可笑しなケースなので、しこりの様なものはどうしても残った。

「分かった。じゃあ明日会うよ。詳細は決まってるの?」

 それでも了承し、事を進ませた。別にただ会うだけだし、そんなに身構えても仕方ない。どうも文の友人の実家はこの辺りの様で、文よりもこのアパートに近い位置にあるそうだ。明日は近所のファミレスか何処かで食事することになっているらしい。女性同士の約束事も、親友となれば男と大差はないみたいだ。

 当日の昼過ぎ、近所のファミレスを集合場所とし、そこに僕らは集まった。文の隣には見知らぬ顔がおり、その人が例の友人で間違いなかった。

「中で話っそか。」

 僕が到着するとすぐに自己紹介には入らず、文は僕ら二人にそう言った。店に入り、文と僕が並び、文の友人が対面に座った。その後、適当なものを頼んでいった。間もあらず、目の前の人間に声を掛けれなかった。

「じゃあ、紹介するね。こちらは今お付き合いしてる有坂 考弥君。こっちが親友の「山野 すみれ」。」

 そう思っていると文が取り仕切ってくれた。文が紹介すると山野は微笑みペコリと頭を下げ

「よろしくね。」

 と愛想よく挨拶をしてくれた。山野は語弊を避けずに言うのであれば、平均的な女性で、文のように強く惹かれる容姿をしているわけではなかった。服装もそれに応じ少しめかしたワンピースを着ていた。まあ、そんなことは重要でない。文が会って欲しいなどと言ったのだ。それなりに信頼も厚いのだろう。

「よろしく。」

 僕もそれに短く返した。

「まずは報告っていうか…考弥君とは気が合うよ。上手くいってる。気持ち的にはまだ何とも言えないけど、ひどくはないよ。」

 僕が軽く自己紹介をすると、文が少し間を置いてぎこちなく山野に話した。普段は聞けず、僕に対して少なからず好印象を持ってくれていることに心底安心した。

「良かった。でも、もっと時間は必要だね。で、考弥君はどうなの?」

 山野は簡潔な言い回しに続き、ちょっと意地悪に僕を突いた。まだ熱が燃え盛っているこの感情を、本人の目の前で表に出すのは恥ずかしい。

「へ?ああ、何て言うか…惚れ切ってる…。まだ文の事を詳しくは知らないんだけど、もっと仲良くなりたいと思います。」

 僕は大慌てで返し、焦り過ぎたせいで敬語が出てしまった。しかし、それが功を奏してというべきか、文について知らないことが多いということは伝えられた。と思う。

「そっかそっか。文は可愛いからねえ。考弥君のお仕事、聞いても良い?ごめんね、不躾に。答えたくなかったらいいんだよ?」

 山野は茶化した後、思い出したかのように僕に聞いてきた。どうやら文からは何も聞かされていないらしい。報告も複雑なものでは無かったし。そして山野の言う通り、答えたいとは思わなかった。そこを責められるのは痛い。しかし、隠し事をしても心配が増えるだけだ。わざわざ会って欲しいと頼まれたことも意識してしまった。

「フリーター。将来性がないって言うのは分かってる…もうそろそろ結婚とかそういう年だし。文とそうなるって話じゃなくて、文もそういうの考えててもおかしくないし。つまり、フリーターやってる男と付き合ってるのは安心できないよねって…」

 僕は山野の目を伺いながらも、流暢に話してしまった。弁明がしたかったわけじゃない。だけど、自分と言う存在に如何に価値がないかを知ってしまっているのだ。だから、その矛盾に抵抗できない。

「いいよ、そんなの。求めてない。勿論、考弥君に、って意味じゃない。今はただ安心したいの。」

 僕は山野に話しているつもりだったが、言い終わる前に文が被せ、バッサリと切った。凍てつくような言葉の切れに怯まされた。そう言ってくれるのは僕としては有難いが、どこか違う闇の部分が大きい気がした。

「そうだよ。考弥君、そんなこと気にしなくていいよ。私は親でもないし、二人がそれで良いなら言うことはないよ。ロクな男じゃなかったらどうしようって思ってただけ。見たところ、気が回るし大丈夫だと思う。ま、そういうわけだから報告会みたいなのは終わりにして、楽しい話しようよ。」

 山野はフォローするように付け加え、僕に言ってくれた。山野は親切で、文が深く信用しているのも分かる気がした。会って数十分だが、文の言い方に棘があったから今の事を言ったのではなく、本心で話してくれているみたいだった。

 料理も出揃い、それからは雑談をする時間となった。山野と文は中学からの同期らしく、今でもしょっちゅう会っているそうだ。そういう紹介から入ったわけなのだが、やはりどうしても大地を思い出してしまう。今、友人と言う友人は居らず、飯島もそれに加えて良いのか怪しかった。そういう深い繋がりと言うのを失ったことをまたもや痛感させられたのだ。自分の中で飯島という存在が、頼もしい綱に思えて仕方なくなってきた。

 ただただそんな思い出話をしていただけではなく、話は最近のものにもなった。湧き上がる思いは一旦収まり、それに集中できた。山野は人に職業を聞いただけに、ちゃんと何をしているかを教えてくれた。今は都会の美容院で正規雇用されているらしく、予約もかなり入っているらしい。今回帰って来たのはただの里帰りで、もう三日もすればここを出るそうだ。それなりに離れていそうだし、そこそこ会うと言っていた文と山野のお互いにとって、会う価値というのはかなり高いものなのだろう。

「ちょっとお手洗い。」

 暫く話していたところ文が立ち上がり、席を外した。山野は文の背中を目で追って、見えなくなったのを確認してから、さっきまでの朗らかな様子とは変わり、重々しく僕にこう言った。

「文から何か聞いてる?」

 恐らくは文の言う、色々な問題というものだ。文が居なくなった矢先、居の一番に聞いてきたのだ。かなり深刻そうに感じる。

「いや、何も…色々あったとは聞いてる。何があったの?」

 僕は自然とひそひそ声になり、山野に問いかけた。だが、間接的に知ってしまっていいのだろうか。僕が本当に親密に、愛されたいと思うのなら、文が話したいと自ら思ってくれるように努力すべきじゃないのか。それを考えると、聞くべきではない可能性もあった。

「そう。ごめん、私の口からは教えられない。文も話したがらないと思うけど…もしも文に心の準備ができて、話しても良いって言うなら話す。あの子の口からも言いたくないだろうから。」

 良くも悪くも、文に何があったかを聞きそびれた。言い方的に、顔が歪むようなことがあったと予想はできた。まだ信用に至らないのか、トラウマの枷が大きすぎるのか。多分後者なのだろうが、距離があるということに納得のようなものが芽生えた。ただそれは、都合が良いようなことではなく、彼女の本質を長く長く知れずにいるということなのだ。

「文は、今は平気なのかな?」

 この前、文に投げかけた質問を山野にした。愛おしいと思う分、その存在があまりにも不安定だということには大きな不安が擡げる。こればかりはエゴではない。

「いや、その…とてもじゃないけど…とにかく、大丈夫とは言えない状態だっていうのは理解してあげて。」

 山野は全て言い切る前に言葉を濁し、小さく息を吐いた。文は自殺願望について肯定的だったし、そういう経験があるようなことを言っていたことを思い出した。

「僕は…文にとっての生きる意味なんかに成れそうにない。寄り添って、大丈夫だよって言っても、彼女はとても遠い場所にいるように思えるんだ。」

 文には直接伝えられない感情が正直に出てしまった。山野にどうすることもできない時点で、それは過ぎた情けない愚痴でしかなかった。

「分かるよ。私も同じ。文はいつからか、ずっと遠い。それに…帰って来た。この話は終わり。」

 山野の顔は一気に憂鬱そうに変わり、また深いため息をついた。僕の後方からは文が帰ってきており、事実上のタイムアップとなった。

「でさあ、今の流行りはこっちだからって、店の看板まで変えることになったんだよ?」

 文が帰って来てる所で山野は取り繕って明るい顔に戻り、あたかも今まで別の話をしていたかのように関係のない話を途中から始めた。不自然な所はなく、先ほどまでの憂鬱そうな顔を説明できるような話し方だったが、唐突にそんな風に振る舞われたから僕が一番驚いた。

「た、大変だねえ。それでかなりの時間が取られたわけだ。」

 僕はそれに合わせ、何とか言葉を捻り出した。その間に文は黙ってゆっくりと僕の横に座った。僕にちょっと演技っぽいところがあったため、悟られていないか心配だ。

「美容院の話?」

 文はいつもの様子で山野に聞いた。ディープな話題をしていたとは感づかれていなさそうだった。だが、いっそこの三人で文について語るというのが楽だ。山野は理解があるみたいだし、文も彼女がいる方が安心できるだろう。いくら本人が聞きたくない、言いたくないにしても、僕にできることがないという無力感はどこまでももどかしかった。これから解散にもなるだろうし、今後どうやって僕は文に寄り添えばいいんだ。

 僕らはそれから他愛もない話ばかりをして時間を流した。僕が思っていたよりカジュアルな対面になり、今の文について話し合うことは終ぞなかった。精神衛生上、その方が都合良いが、並んで文を深く知ろうとする姿勢を持ってくれる人がいる機会を逃したとも言える。ただ、山野と知り合えたのは功績として大きかった。連絡先も教えてくれ、困った時は頼っても良いような旨の事を言ってくれたのだ。人となりも良く、文のことを知っている人が居てくれるということにはかなりの安心感があった。

 僕らは店の前で解散し、各々の帰るべき場所へ帰った。真相も知らず、まだ道は長く、幸福と言う二文字も、その路頭にはなさそうだった。

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