先輩って、ただの下っ端じゃなかったんですか!?




 彼女が去ったその後で、司書長殿が大きな溜め息をついた。

「ふぅ、やれやれ。大財閥のお嬢様にも困ったものだ。魔術師に憧れるのは構わないが、仕事に私情を持ち込みすぎる。権力と財力を振りかざされて、無下にもできずにいたのだよ。彼女が尊敬しているアルフレドに直接断言してもらえば諦めてくれると思ったが、あの様子だと更にこじらせてしまったかも知れんなぁ」

「仕方がありません。理解してもらえるように、時間をかけて説明していくしかないでしょうね」

フェルナンドたちの所属部署というのが、その魔術関係の蔵書が集められた書庫なのだが……どうやら彼女は朝から晩まで本の整理に明け暮れたいらしい。

そこまで本好きで魔術に造詣が深いのならば、希望通りにしてやれば良いのになとフェルナンドはのんきに考えた。

「また色々と絡まれたり面倒をかけるやも知れんが、よろしく頼む」

「承知しました。できる範囲にはなるでしょうが、善処します」

「……ああ、すまないね」

考えながらわけもわからず、司書長とアルフレドの会話を黙って聞いているフェルナンドだった。



 彼の辞意はものの見事に却下され彼女の転属希望もバッサリと叩き返されたため、フェルナンドは午後もいつも通りに書庫で蔵書整理をすることになるだろう。

「それでは。僕たちは書庫に戻りますので、失礼します」

軽く挨拶をして司書長室を退出しようとしたときだった。

回廊をバタバタ騒がしく駆けてくる者たちの足音が近づいてきた。

「司書長殿っ! 大変です!! 例の司書補嬢が、よりによって封印書庫に入り込もうと結界を無理矢理に解除しましたっ!! 蔵書たちが書庫内で暴走をっ!!!」

先頭を駆けてきた職員が、涙目でオロオロと訴えている。

あとから追いついてきたもう一人も、どうしましょうと狼狽えるばかり。

封印書庫。正式名称は、“激甚魔法魔術安全対策管理書庫”……アルフレドとフェルナンドが毎日整理整頓に明け暮れている、その場所だった。

慌ただしい報告を受けた司書長は、それをたった一言で片付けた。

「アル、任せた」

その一言が向けられた人物は、疲れたような小さな溜め息一つだけ。

そのままフェルナンドを伴い、自分たちの部署へと向かうのだった。




 相変わらすわけがわからないままで回廊を急ぎながら、フェルナンドは上司に話しかける。

「あの、先輩……書庫で一体何が起こっているんです? 本たちは、どうなっているんですか? 傷んだり壊れたりしていないと良いんですが。紛失とかも、困りますよね」

「ああ、ちょっとしたトラブルさ。数年に一度くらいは、ああいった無鉄砲な考えなしが湧くんだよね。手順を踏まずに封印が外されると、無力化されて静かに眠っていた本たちが目覚めてしまうんだ。まぁ、そうすると……ちょっと日頃の鬱憤うっぷんをはらすためにか、奴らがいたずらに大暴れするというわけだ」

「えっ? ええっ!? 本が、です???」

「そう。あの場所にはそれくらいしかないだろう? むしろ本だけは無尽蔵に置いてある。まぁ、あの書庫には幾重にも封印や障壁が設けられているから、室外に危害が及ぶようなことはないだろうよ、……たぶん、だがね」


 



  そんな会話を交わしながら辿り着いた自分たちの職場は、フェルナンドの想像以上の悲惨な状況におちいっていた。

開け放たれた両開きの木製扉は傷だらけで通路に吹っ飛んでいて、中では一人の女性が倒れてる。

よく見えないが、おそらくは司書長室で会ったあのお嬢様司書補だろうと思われる。

その周辺の様子といえば、書架はなぎ倒され蔵書の姿は見当たらない。

壁紙は焼け跡だらけの傷だらけで、床には無数の魔法陣が怪しい光を放っていた。

フェルナンドは、ふと天井付近を見上げてギョッっと目を見張る。

夥しい数の本たちがバサバサページをはためかせて浮かんでいる様は、異様としか言いようがない光景だったから。



 入り口付近には野次馬の人だかり。

彼らはただオロオロと室内を覗き込むだけで、中に入ることはない。

司書登録されている者以外を阻む、侵入防止結界を突破することが出来ないためだ。

「あ、アルフレド殿。恐ろしくて皆が怯えてるんです……早く何とかしてくださいよ」

「……承知した」

野次馬の中に知り合いがいたらしい、軽い会話のあとにアルフレドは室内へと進んでいった。

あとから恐る恐るといった具合に、フェルナンドがついて行く。



 室内の蔵書たちが虚空から威嚇している。

バッサバッサと、まるで生きていて意思があるような不気味な様子。

それに合わせて魔法陣たちがが怪しく点滅を繰り返し、砕けた書架のカケラや書類や備品を飛ばして攻撃を仕掛けてきた。

羽ペンがアルフレドの色白なほおに傷を付け、鮮血がタラリとしたたりり落ちる。

いつも規則どおりで乱れることもない制服は、書架の瓦礫で傷だらけのズタズタになっていた。



 フェルナンドははじめて見る光景に戦慄するばかりで、気絶せずに立っているのがやっとな状況だった。

当然ながら他に頼るあてもなく、目の前の先輩司書の背中に頼もしさを覚えていた。

寂れた書庫で本の整理と修繕に明け暮れている下っ端司書官だと職員カフェではもっぱらの噂だったのを、ずっと信じていたわけなのだったが。

思えば、そんな人物がこんなヤバそうな書庫の責任者であるはずがない。

「先輩って、只者じゃないんですね……」

思わず、ボソリと呟いた。



 アルフレドは少しも怯まない。

何が起こってどうなっているのかも理解できずに狼狽えている司書補の彼を背中にかばい、普段は無表情なそのかんばせに不敵な笑顔さえ浮かべてみせた。

「【強制術式解除】。大賢者の遺産たる知識たちよ、鎮まり己の役目を果たせ……【封印固定】」

声を張り上げたわけでもなく、いつもどおりな上司の口調で、その呪文はかたられた。

気がつけば辺りは静かになっていて……書庫の中は、大量の本たちが散乱している大惨事。

それから、倒れているお嬢様。

野次馬たちはいつの間にか姿を消していた。































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