試衛館

 「まためんどくせぇやつのご登場だな…」


 江戸は市ヶ谷の試衛館で、土方歳三は役者のような顔に青筋を浮かべていらいらしていた。


 道場宛てに「明日、道場主に一手御教授を賜りたい」という大層な文が届いた。その長たらしい文の締めくくりには「北辰一刀流免許」という大変ご立派な肩書と本人の花押があった。


 北辰一刀流、千葉兄弟のどっちの道場か知らないが、目録だろうが免許皆伝だろうがは薬の行商で土方はよく心得ている。道場などは盛況であっても、通っている門弟はそうでもない。認可目録など、もらったところで金の種にはならない。そういった連中が何をするかというと、道場破りだ。多少その腕前をちらつかせてやると、面倒だと思った道場は金を払って追い返す風習がある。そして、一度でも金を払えば、噂が広まって同業者が次々やってくるのだ。


 「しかも、近藤さんの不在を知ってやがる。こいつぁ知恵者だよ」 


 そんなものに金をやるのは、土方が行商で身に着けた経済そろばんという確固たる正義が許さなかった。


 件の道場主である旧友の近藤勇は、稽古をつけに三日ほど出張している。おまけに近藤の直弟子、あの小生意気な沖田も同伴していってしまった。


 沖田などは平素の小生意気な太刀さばきを、こういうときに発揮してもらいたいものだ。ならば、先輩の井上源三郎をと考えた。彼は腕も十分なのだが、これは先代の家元の直弟子にあたる。いわば近藤の兄弟子であるため、井上に任せたとあっては近藤勇という道場の新しい顔役へ泥を塗ることとなる。


 「聞き付ければ買って出る性分だ。そうはいけねぇよ」


 井上はそういうところがある。いつも面倒ごとがあると、この察しの良い年長者に頼り切りになってしまう。それはこの男の見栄と、兄弟子への尊敬から許さない。どうやって追い返すものかと、この少々ひねくれた切れ者は考える。他に、道場に残っている者を考えると最初に永倉と原田が浮かんだ。


 「あの二人じゃ、絶対にだめだ」


 永倉は神道無念流の免許皆伝、原田は宝蔵院流の槍を遣う。腕前については、道場主の近藤も自分も納得しているが、


 下手をすれば、試合前の挨拶で堂々と「本日は近藤先生がご不在のため」などと、大音声で宣言しかねない。これでは始まる前から勝負が決する。


 それならば、何事にも山南や藤堂に相手をさせようかと思ったが、相手と同じ北辰一刀流を使うのでは手の内が読まれすぎる。それに、もし二人と顔見知りであったら「試衛館は北辰一刀流にくら替えした」などと吹聴されかねない。これは、この道場の値打ちを大いに損なう。評判と言うものは金で買えないことを、やはりこの土方という男は心得ている。


 さらに理由がある。甲州街道筋の治安維持を御公儀から任される八王子千人同心というのが、この多摩や日野界隈に住まっている。その殆どがこの道場の流儀、天然理心流の門弟だ。天然理心流の剣名に泥を塗ることは、御公儀からの信頼を損なう。これは旧友への最大の裏切りだ。この流派は近藤の生命と同じ価値がある。


 しかし、物分かりがよくて剣の腕が立ち、尚且つ誰の面子も潰さない重宝な人間がいるのかといえば、この道場には居ない。


 「仕方ねぇな…」


 そう、道場には居ないが道場の外には居るのだ。


 こんな時のために、土方は近藤勇の代役が務まる人間を何人か候補にしている。特に近藤と面識のあるもの、交流のある者を選んでいる。近藤は器用な剣士では、太刀さばきには人柄が顕れていると誰もが言う。それゆえ、一度竹刀を交えた相手とは友人になれるようなところががある。


 彼もそうして理解し合った人間の一人だ。


 古い顔なじみということもあったが、近藤という男の真実を理解できたのは、入門して剣を学んでからであった。ここで、自分は近藤を初めて親友と実感した。男は剣を交えるとき、互いの性根を明らかにする。そこで見える彼の性格、不器用ながら嘘偽りの無い近藤という男を尊敬し、一番理解しているという恋慕に似た自負がある。


 「さて、今回はどのへんにするか」


 その親友のためにと、土方は考える。例のめんどくさいのが千葉道場なら、練兵館にしようと決めた。ここには候補が二人ある。一人は近藤と似た性格で、非常に付き合いやすい。


 しかし、もう一人は切れ者な上に大変に生真面目な性格で、土方の性格と大きく反発してしまう。言論も剣も真面目だ。いや、真面目がすぎるのだ。一度、道場で手合わせをしたときは、頭のてっぺんからつま先までダメを出された。そして、いうことがいちいち尤もで厭味がないから、妙に腹が立つのだ。


 更にこの男、練兵館を訪れた近藤との三本勝負で一度立ち合っており、見事に竹刀を払って勝利している。問題はそこからだ、素手となった近藤は構えを崩さず組み討ちに持ち込もうとした。相手の門弟たちは呆れかえっていたが、桂は一言「これが武士と言うものである」と一喝した。それ以来、近藤をいたく尊敬するようになり全てを理解したようなことを言う。そこが土方には、何か許し難い。


 よって即座に、桂小五郎という選択肢は追い出していた。


 ということで、その日は渡邊昇が試衛館までやって来た。道場口で対面してみると、いつもその図体の大きさに驚く。


 「話はおおむねこんなものだ。ご足労感謝するよ渡邉さん」     

 「ははは、面白い話だ。おかげさまで、午前の疲れもなくなりましたよ」

 

 九段下の練兵館で散々稽古をしてきてこの一言だ。やはり、何もかもが大きくできていると土方は思った。 

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