第6話、守るべきなのは

 慧星は近くにあった椅子の上で、手に持っていた風呂敷を開き、周囲に中身が見えるようにする。

 研究者たちが覗き込むと、その中には、短冊状の紙を細い紐で束ねた物がいくつかと、複雑な装飾がされた古そうな矢立のようなものが入っていた。

「これって……」

「いわゆるお札をつくるための道具ですよね?」

「そうです。こちらの護符の効果を使って、遺跡に入る人の安全を確保します。」

 それは想定していなかったのか、研究員たちは黙ってしまった。

 佐伯氏もこれは知らなかったので、流石に驚いた表情を見せている。


「店長さんの過去の経歴って……陰陽師だったんですか?」

「うーん……正式に陰陽師として陰陽省に属していたことはありませんが、近しいことをしていたことはあります。」

「あの……護符って、悪鬼とかに効くのはわかりますけど、物理的に防御できるものなんですか?」

 一般的な護符は、霊障を防いだり、神域に入る際の清めの道具として扱われることが多い。中には特殊なものもあるが、物理攻撃を防ぐような使い方はまずされない。


「そこは疑われても仕方ありませんね。では、実際に試してみましょうか。」

 そう言うと慧星は、紙の束の中から、複雑な模様の描かれたお札を一枚取り出すと、自らの胸にそっと当てる。

 当てられたお札はそのまま慧星の胸に貼りついた、と思った直後、一瞬だけ微かな光を放ったかと思うと、空間に溶けるように、みるみるうちに消えてしまった。


 その様子を見ていた研究員たちは、お札が消えた瞬間小さく驚き声をあげ、騒然とし始めた。

「今……」

「お札が消えた?」

「身体に吸い込まれてたような……」

「あんなの見たことな……」


 佐伯氏はというと、驚きはしたようだが騒ぐことはなく、静かに慧星に向かって尋ねた。

「違っていたら失礼ですが、もしや今のは、「印凌札」と呼ばれるものですか?」

「おや、ご存知でしたか。流石は筆頭考古学者、博識でいらっしゃる。」

「私も実際に見たのは初めてです。」

「あの……先生、いんりょうふだというのは……」

 研究員たちはさっきから驚いたり困惑したり呆気に取られたりで実に忙しそうだが、佐伯氏の落ち着いた様子につられたのか、少し静かになった。

 佐伯氏はゆっくりと説明する。


「印凌札というのは、陰陽の術を極めた術師の中でも、更に上位の一部の術師だけが作り出せる、お札より上位のお札のようなものです。この領域に達したお札は、貼って効力を発揮するものとは根本的に別物です。人ないしは物体に対し、直接霊力や神力を扱う能力を付与し、一般的な術の比ではない効力を生み出します。」

 ここまでほぼ一息に話した佐伯氏は、一旦息をつくと、今度は少しゆっくりと話し始めた。

「私の知り合いに陰陽省の術師が何人もいますが、彼らの中で「印凌札」を作り出せる者は一人もいません。それどころか、陰陽省で印凌札が作れる術師など、現在ただの一人もいないそうです。」

「え、世界教団直属の術師でもですか!?」

「ええ。私が知る中で、印凌札が作れる人物はこの世で三人だけです。」


 ここで慧星が口をはさむ。

「おや、一人は心当たりがありますが、あと二人もご存知なんですか。一体どなたです?」

「その三人は、世界教団最高司教・ルベリア・レイ=トルストーレ様、最高司教補佐・フレデリック・レヴァンス様、そして、陽元大司教・武者小路速斗様です。」

「陰陽省の長官でも無理なんですか!?」

「本部大司教のレイ=クロック様でも!?」

「無理だそうです。」

 佐伯氏はしっかりと慧星の方を向いて尋ねる。

「そんなレベルの術を、あなたが?」


 佐伯氏を初めに、全員の視線が慧星に向く。

 しかし慧星はそれは意に介さず、どこかを向いてぶつぶつと独り言を言っている。

「最高司教はともかく、補佐のあの子が使えるとは知らなかった。レヴァンスというのはやはり……それともう一人があの狸野郎?あれも抜かした生き方をしてると思いきや、その程度の能力は持っていると。全く小癪な……」

「あの……店長さん?」

 慧星は声を掛けられてはっとした様子で、

「あ、すみません、この術ですよね。そうなんです。ここへ来る途中佐伯さんがおっしゃっていたように、この白い髪と瞳とも関係があるのかわかりませんが、オレは生まれつき霊力が極端に強いようで。」

「なるほど……修行はされたにせよ、その若さで印凌札が作れるというのは、生まれ持った霊力の強さは桁違いなようだ。」


 ここで慧星はハッとした様子で、

「そうだ、本題に戻りますけど、一旦皆さん外へ出ましょうか。」

 そういうと慧星はテントから出る。佐伯氏と研究者たちもそれについて外へ出る。

「いまオレは札を体に入れました。当然それ以外の術は特に何も使っていません。皆さん、石でもなんでも結構ですので、オレに投げつけてみてください。」

「大丈夫なんですか?」

「大丈夫です。もしオレがけがをしても、それはオレの責任ですから。思う存分投げつけてください。」

 腕を広げて見せる慧星に、研究者たちは、辺りに落ちていた石を拾うと、恐る恐るといった様子で投げつけた。

 投げられた石は慧星の体に当たる、かと思われたが、体に触れる数センチ前まで来ると急に勢いを失い、最後は跳ね返されて落ちていった。

「本当に当たらない……?」

「いくらでもやっていただいて結構ですよ。」

 研究員たちは先ほどよりもしっかりと、強めに石を投げる。

 しかしやはり結果は同じで、一つも慧星に傷を与えることなく、すべて地面に落ちていった。


「せっかくですからそこのあなた」

 そういって慧星は、研究者たちの中でも比較的屈強そうな体つきをした一人を指名した。

「はい?」

「私に殴りかかってみてください。」

「わ、わかりました。」


 屈強そうな研究員は、先ほどまでの様子をすべて見ていたので、割と遠慮なく、慧星のお腹に向かって拳を叩き込んだ。


 その拳はやはり慧星に触れる数センチ手前まで来ると何かに阻まれ、痛みを感じることもなく、しかししっかりと跳ね返された。


……などということは一切なく、ちゃんと慧星の腹にめり込んだ。


 軽々と数メートル吹っ飛ぶ慧星。

 悲鳴を上げる研究員たち。

「店長さん!?」

「えっと……綾川さん!」

「術師さん!?」

 吹き飛ばした張本人である屈強そうな研究員を筆頭に、全員が倒れた慧星に駆け寄る。

「いえ、心配して頂くほどのことはないですよ。こう見えてちゃんと鍛えてますから。」

 慧星はそう言いながらゆっくりと起き上がると、しっかりと立ち上がり、服についた土を払う。

「この札の効力は、非生物から有害なレベルの攻撃を受けたとき、攻撃が主に及ぶ前に対象を無力化させる、です。銃や刀なら大丈夫ですが、直接殴られた場合や獣から攻撃を受けた場合には防ぐことができません。……というのを実演しようかと。」

 心なしか呆れた目線の研究者たち。本当に表情が豊かなことだ。

「絶対後半の実演いりませんって。」

「痛かったでしょう。」

「遺跡に入る前に怪我したら、どのみち遺跡に入るのお断りしますよ?」

「大丈夫ですよ。このくらいじゃ傷一つ付きません。あなた、損な役回りを押し付けて申し訳ありませんでした。手が痛かったでしょう。」

「いえ、大丈夫ですけど……すみません。当たらないと思って本気で殴ってしまって……」

「ですからそれはお気になさらず。お詫びにこの札を差し上げます。けがと痛みに効果がありますから、殴った方の手に当ててください。後は先ほどお見せした通りです。」

「ありがとうございます。」

 屈強そうな研究者が受け取った札を右手に当てると、やはり札は一瞬光り、掻き消えるようにして見えなくなった。感嘆する研究者たち。


「と言うわけで、遺跡についてきてくださる方にはこの札をお渡しします。効力は一日程度持続しますので、入ってから出てくるまでの安全は保障されると思っていただいて結構です。」

「地下ですからガスの発生なども考えられますけど、それについては?」

「ガスも非生物判定ですので、原則無効化できます。」

「地下水の流入などで隧道が浸水した場合は?」

「この札単体では息ができないので危険ですが、そう言った大きな問題に対してはオレが直接対処します。この札はあくまでも、オレが気づけない細かな落石などを防ぐためのものですから。」


「だとしてもこの札、保安策としてはかなり有力ですね……」

「全くだよ。できればこの札、ウチの考古団で仕入れさせていただきたいくらいだ。」

 その言葉に対して即答する慧星。

「ああ、それは嫌です。」

「いえ、無理にとは言いませんけど。……無理じゃなくて嫌なんですか?」

「はい。だってこの模様見てくださいよ。」

「模様?」

 差し出された札を見る。繊細で複雑に入り組んだ模様が、寸分の狂いもなく墨で描かれている。

「この模様全部手書きなんですよ?あんな疲れる作業、めったなことじゃやりたくありません。」

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