【015】異世界情緒

 浮遊大陸で今、最も注目される人物であるイオリア・クロスフォード。人々の視線に晒される彼は、この日最大の危機を迎えていた。


「おえっ……気分悪い……」


 飛行機酔いならぬ、ドラゴン酔いの真っ最中だったからだ。


「大丈夫ですか? 遠くの景色を眺めると気分が紛れますよ?」


 ゼラフィーナに背中をさすられ、言われるがままに空を眺める。空にはイオリたちがそうしたように、街に出入りする竜たちが飛び交っていた。


 遠い目をしてそれらを眺めるイオリに、ナナリーゼの冷たい視線が向けられる。


「まさか、お兄様が竜に弱いとは想定外でした……周りの目がありますから、今は吐かないでください。絶対に」


 ナナリーゼの言葉に「そうは言っても……」と顔を青くしたイオリは、当て付けとばかりに辺りの野次馬たちに険しい視線を向ける。


「つうか、何でこんなに見られてんだよ……うっぷ」


 辺りには幾人もの野次馬たちが、遠巻きにイオリたち――いや、ほぼイオリに視線を向けてざわついていた。


「お兄様は有名ですから、魔王家お抱えのドラゴンからそれらしい雰囲気の人が出てくればそうなります。学園でも恐らくこうなりますよ」


「学園でも!? 勘弁してくれ……」


 うんざりするイオリをよそに、ナナリーゼはマテューを含めた従者たちに指示を出し始めた。


「あなたたちは荷物を頼みます。学園長への贈り物だけは私が直接運びますから、他の物は直接寮へ。私たちは学園長へご挨拶に向かいます。マテューもあちらを手伝って下さい」


「承知致しました姫様」


「では参りましょうお兄様」


 そして従者から何やら縦に長い、大きめの鞄――恐らくは学園長への土産とやらだろう――を受け取ったナナリーゼは、その足でスタスタと歩き始めてしまった。


 イオリは慌ててその後に続き、更にその後ろにゼラフィーナが続く。


 未だ周りにはイオリたちに注目する大衆の目があると言うのに、ナナリーゼは全く気にした風もなく、慣れているのだろうことを窺わせる堂々たる歩みだった。


 そんな彼女は隣に追いついたイオリを見上げて、歩きながら口を開く。


「クーディレリカをゆっくり見てまわりたいところですが、またにしましょう。お兄様の教科書や道具は既に寮に送ってあります。学園が始まるのは明日からですから、今日は学園長への挨拶と寮の下見です」


「それは良いけどよ……護衛、置いてきて良かったのか? 王族なんだろ?」


「クーディレリカの治安は比較的良い方ですから問題ありません。それに、私一人の方が戦力としては上です。下手に護衛をぞろぞろ引き連れて、わざわざ居場所を知らせる必要もないでしょう」


 さも当たり前のようにナナリーゼはそう言ってのけた。すごい自信だなと思ったが、そう言えばこの世界には魔法と言う異能の力があることを思い出す。


 どうやら魔法という力は、人の強さを見た目通りにはしてくれないらしい。


 そうして人々の目と間を掻い潜るように空港を抜けた先、イオリの眼前には異様な世界が広がった。


「うお……すっげぇ……」


 ただ人が多いだけならば、こんな感想は出やしない。イオリもそこそこ都会で過ごしてきた人間だ。


 しかし、それでも驚愕の声を上げざるを得なかったのは、行き交う人々の誰もが、角や大きな耳、尻尾や鱗と言った異形のそれを身に纏っていたことだ。


 この世界にはイオリのような魔人の他にも、理力を操る純人や身体能力に優れた獣人と呼ばれる人種がいる事は聞いていた。


 しかし、文字や知識で知るのと直接目の当たりにするのでは意味が違う。異国情緒ならぬ異世界情緒溢れるこの場所は、やはりイオリの知らない別の世界なのだ。


「話にゃ聞いてたが……ここまで壮観だと、肌とか毛の色でとやかく言っていた向こうがバカみてえだな……」


「こちらですお兄様。あんまりよそ見していると迷いますよ」


 イオリが圧倒されていようとも、ナナリーゼは構わず人混みの中を進んでいく。ここまで来るとイオリがドラゴンから降りてきた所を見ていない者も多いらしく、始めほどの視線は感じなかった。


 先行くナナリーゼの小柄な後ろ姿を見失わないよう、人混みの中をなんとか進む。すると、やがてグルグルと何かの生物の鳴き声らしき音と独特の匂いがイオリの元へ届き始めた。


 何事だと思いイオリが辺りを見回すと、丁度ナナリーゼが足を止める。


「ここでジュラビー便に乗りましょう」


「ジュラビー? って、何なんだ?」


 イオリが首を傾げると、ナナリーゼの視線は人混みの向こうへ。その視線の先を辿ると――


「……マジ?」


 ――二足歩行するトカゲが居た。


 最も単純に言い表すならば見た目はダチョウだった。但しその姿は鳥より竜に近く、サイズはイオリの一回りも二回りも大きい。


 馬車のような籠に繋がれた、二匹の竜。見るからに強靭な後ろ足でしっかりと地面を踏み締め、今にも颯爽と駆け出しそうだ。


 全身を覆うのは灰色の鱗。そして大きな頭と、その頭を上下に割るような大きく裂けた口。


 くつわに似た拘束具を取り付けられた大きな二本足のトカゲが、シュルルと喉を鳴らして黄色い瞳をイオリに向けていたのだ。


「これがジュラビー……なのか?」


「陸路を移動する際に使用する一般的な乗り物です。ここでは王族も貴族も平民も関係ありませんから、皆このジュラビー便を使って移動するんですよ」


 言いながらナナリーゼは馬車ならぬ竜車の先頭に乗る御者と二、三、言葉を交わし、「乗りますよ」と告げていそいそ乗り込んでいく。


 不安になってジュラビーと呼ばれている二足歩行の竜に視線を向ければ、御者に手綱を引かれて喉をグルグル鳴らしていた。


 大人しくしていれば可愛く見える気もするが、大きな体を持つこの竜がもし暴れたらと考えると、身の毛もよだつ思いがする。


「これ、逃げたりしないのか……?」


「大人しい性格ですから滅多に暴れませんし、万が一の場合でも魔法があります」


 さもありなんとばかりに答えるナナリーゼ。思わず「……うへぇ」と声が漏れる。


 魔法とは、こんな大きな生物すらもどうにかできてしまうらしい。


 そうしてゼラフィーナを含めた三人が竜車へ乗り込んだところで、御者は手綱を引いてジュラビーを歩かせ始めたのだった。





 街中を進む竜車は、意外にも快適な乗り心地だった。


 人間の早歩き程度の速度でゆっくり進むジュラビー便は、道が舗装されていることもあってか大きく揺れることもなく進んでいく。


 竜車の内部はまるで自動車の後部座席を向かい合わせにしたようで、ソファに似た椅子が柔らかく座り心地が良い。


 そのうえ竜車は街ゆく人々の頭の上から、流れる街並みを覗けるのだから観光にはもってこいだった。


「うわぁ……すげぇ……」


 窓の外の光景を見て、思わずイオリは声を漏らす。ジュラビー便の窓から覗く市街地はとにかく、目を見張る光景ばかりだった。


 行き交う人、人、人。それだけならばまだしも、その誰もに角や大きな耳が生えていたり、尻尾や鱗があったりとまるでコスプレ大会のよう。イオリの知る”普通の人間”は殆ど見当たらない。


 その上で誰もがそれを当たり前の光景として受け入れているのだ。彼ら全てをひっくるめてこの世界では人間というそうだが、イオリの中の人間像からは随分とかけ離れた人々ばかりだった。


 そんな彼らの行き交う街並みに置かれている店の商品は、やはりどれも見慣れない代物ばかり。


 目の前の肉屋ではヴェルゴーの肉と書かれた肉塊を前に、今夜の晩御飯でも考えているのか主婦のような兎耳の女が居るし、その先の怪しげな店にはドラゴンの骨と書かれた頭蓋骨が、デカデカと店先に飾られている。


 かと思えば剣や盾を売る中世染みた店や見慣れた服屋もあり、人々が武具を眺めてあれやこれやと言葉を交わしていた。


 そんなイオリたちの隣を、今度は大きな鉄の籠を引く竜車が通る。籠の中には大きなニワトリのような、長い尾羽を持つ生物が囚われていた。


 その鳥はイオリと目が合うと、まるで不倶戴天の敵でも見つけたかのように全身の青い毛を逆立てて、「ゴォォォォ!」と獣のような雄たけびを上げながら粛々とどこかへ運ばれていった。


「……なんだありゃあ」


「あれはブリエラですね」


 隣に座るゼラフィーナの言葉に、思わず「あれが!?」と声が出た。


 どうやらイオリが毎朝食べていた卵は、先ほどのニワトリもどきのものだったらしい。少しばかり食欲が失せたのは言うまでもない。


 とにかく、そんな風で右も左も違和感ばかりで奇怪ばかりの景色が続き、目がいくつあってもそれらを全て見るには足りそうにない。


 見慣れたものと見慣れないものとが合わさる異形の街。それがこの街の第一印象であり、イオリがこれから生活を送ることになるこの世界の日常なのだった。

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