祓い屋の追憶

雪路

第1話(前編) 異世界へ

 岩崎いわさきつむぎは憂鬱だった。飼い猫が脱走したからだ。あろうことか全く手入れがされていない、荒れた森の方角にだ。元・野良猫だから、人間の町より自然の方が好きなのかもしれない。

 この春に引っ越しをしたばかりで、片付けが終わっていないため、早めに探し出して、すぐにでも家に帰りたいと紬は思っていた。


 これが長い旅になるとは知らずに―――


 ♧      ♧      ♧


 猫を探してからかなりの時間が経って少し薄暗くなってきたが、一向に見つかる気配はない。しかも、森は思った以上に荒れていて、無造作に生えた枝が身体に当たって、痛い。

 もしかしたら、先に家に帰っているのかもしれないと思って、仕方なく家に向かおうと回れ右をした。だが、ここがどこなのか、或いはどこから来たのかが、はっきりと分からなかった。要するに、紬は16歳にして、完全に迷子になってしまったのだ。

 この森には道という概念は存在しないから、一度方向を見失うと簡単には戻れない。何か目印のようなものは無いかとあたりをぐるりと見回してみたが、求めているようなものは無さそうだ。

 超ポジティブな性格の紬であったが、今回ばかりは落ち込み始めていた。


「にゃー」


(!)

 猫の声がする。姿は見えないが、さほど距離は離れていなさそうだ。後にも先にも行けない状態だったから、何も考えずに声の方へ進み出す。


(どこへ行ったのだろう?確かこっちの方からだったと思ったけど…)

 

 声を頼りに進めば進むほど、深い森は不気味な影を落としてくる。猫が少し歩くスピードを遅くしたのか、声がだんだん大きくなってきた。否、猫の声だけじゃない。何と言うか、ざわざわと……。人の声か?それよりももっと規模の大きい何か。どちらかというと街の喧騒に近い感じだ。目を凝らすと深い森の終わりが、微かに見えている。紬は、何とか森から抜けられそうで安心した。

 泥の跳ねたシューズで、意気揚々と向かった森の出口は、思ったよりも開けていて明るかった。そして、そこには見たことのない世界が広がっていた。


「何、ここ……」


 目の前には平屋建ての家が連なっていて、多くの人が出入りしている町が広がっていた。が、問題はそこではない。町の纏う雰囲気がいつもと異なる。行き交う人びとを見ると、ほとんどが和服を着ており、その中には帯刀している者もいる。

 夢でも見ているのだろうか。森に再び入って、また迷子になるのは避けたかったから、この町を通るしかない。仕方なく、出来るだけ目立たないように、隅の方を歩くことにした。

 目の端に入る店の商品は、野菜などもあったが、見たことのない表現しがたいものも置いてあった。横目で色んな店を見ることに集中していたが、ふと通りの方に目をやると、行き交う人々の視線がこちらに向けられていた。

 その時、やっと自分だけが浮いた格好をしていることに気が付いた。


(そりゃあ目立つよな……)


 満を持して、裏路地に入ることにした。表の通りとは違って、薄暗くて気味が悪い。お店は少なく、貧相な家が多く並んでいる。その中に、一際ぼろい家があることに気づいた。玄関には暖簾のれんがかかっているから、何かのお店なのだろう。気になったので、暖簾の隙間からそっと覗いてみる。

(あれ、誰もいない)

 一段上がった床の真ん中には囲炉裏いろりがある。左奥には机があって、店の中に入って見てみるとそこには刀が置いてある。その刀をもっとよく見ようとして、あばら家の中に足を踏み入れようとした時だった。猫の声がした。


「え、どこから……?」


 急いで振り返り、声を頼りに裏路地の間を駆け抜ける。

(あ、あの白い毛は……)


「いた!」


 猫は綺麗な白い毛に泥はねしたせいで、靴下を履いたみたいになっている。


「もう、探したんだから……って何に怒っているの?」


 猫が毛を逆立てて、空中を睨んでいる。


「え……」


 次の瞬間、辺りから太陽の光は消え、闇に包まれた。質料のない“何か”が私に覆いかぶさる。


(う……苦しい)


 だが、間もなくしてその闇を切り裂いた者がいた。苦しさが一瞬にして吹き飛び、辺りが元通りに明るくなる。


「おい、しっかりしろ!」


 遠くなっていく意識と、だんだん霞んでいく視界の中に、誰かを見た。


 ♧      ♧      ♧


 目を覚ますと知らない部屋にいた。


「気が付いたか」


 声のする方を見ると、そこには和服を着た20歳くらいの男が立っていた。黒い髪を肩ぐらいまで伸ばしており、目にかかった前髪の隙間から鋭い眼光で私を見ている。

 身体を起こすと、そこはついさっき覗いた店の中だと気が付いた。ここに猫はいない。


「あの、私は、一体……」


「“ノロイビト”の放った“ツキモノ”に襲われていた」


「え……」


 聞きなれない言葉と、なぜ私が襲われなければならなかったのかという恐怖で声がつまる。


「その様子だと、この村の者ではないようだな」


「……はい。あの、ここは」


「ここは……」


 そう言いかけたところで、男はふと家の外の方を見た。


(……?)


 少し面倒くさそうな雰囲気を漂わせ始めながら、申し訳なさそうに男は口を開いた。


「すまないが、急用が入った。話は後でもいいか」


「あ、はい」


 私の返事を聞くよりも早く、男は家の外へと出て行った。

 紬はあっけにとられてしまい暫くボーっとしていたが、そのまま再び意識を失ってしまった。

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