第93話 努力は、裏切らない
不思議な感覚だ。胸からは、熱く凶悪な感情がとめどなく溢れ出てくる。これが怒りであることは以前経験したこともあるから分かっているけど、その時とは大きく違う。
以前ティアラがオーロラちゃんを責めたとき、俺は怒った。脳裏を赤く染める程の熱量で、結構頭ごなしにティアラの言うことを否定した気がする。
けど今は逆だ。胸の奥から熱い怒りの感情は溢れるけど頭は真逆で、まるで雪国のように冷え切っていた。考えだって上手く纏められる。
ゼロードが銀色の箱を投げたとき、俺はそれを斬り落とすことが出来なかった。そんな俺自身に対する怒りももちろん大きい。
けどそれ以上に、そもそもシアを害そうとしたゼロードに対する怒りが塗りつぶした。
「絶対に許さない」
剣を構えて床を蹴る。シアの力を感じないことも体は理解していて、いつもの訓練の時の動きを再現してくれた。
「っ!?」
降り下ろした剣がゼロードの剣に防がれる。シアの時のようにはいかなかったけど、それでも努力は裏切らない。ゼロードの剣が俺の力におされて小刻みに揺れている。
瞬間的に脱力して力を入れ直し、別の角度からの斬り下ろし。これもギリギリだけど防がれる。次の打ち込みも、その次の打ち込みも、本当にギリギリだけど防がれる。
「てめぇ……ふざっ……けっ」
一撃一撃ごとに剣筋がさらに鋭くなり、ゼロードの返してくる剣の軌道が甘くなっていく。力に関しても次第に俺が押し始める。剣閃の舞う光景の中で、ただゼロードだけをじっとみつめてひたすらに剣を振るい続ける。
「……馬鹿な」
聞こえた声は認識することもなく、右から左に通り抜ける。
剣が軽く感じる。まるで自分の手足のように扱える。
「ここまで……とは……」
また声が聞こえるけど、同じように通り抜けた。記憶には残らない。
ゼロードの体をついに剣先が捉えはじめ、少しずつ血の赤い線が生じ始める。
「……ノヴァお兄様」
オーロラちゃんの声を聞いて、その言葉が頭に響いた。
剣の動きはついに無駄がなくなり、ゼロードの頬を浅く切り裂く。もう少しで勝利が見える。
「出来損ないがぁ!! 調子にっ……乗るなぁああああ!」
「……ノヴァさん」
瞬間、俺の世界にシアの声が響き渡る。小さな、聞き逃してしまいそうな声なのにまるで何倍にも増幅したように聞こえた。
一閃。
ゼロードの剣を弾いた俺の剣が、そのまま動きを止めることなく斜めにゼロードの胴を切り裂く。
勝利を掴んだと、そう確信した。
「くそがぁああああああ!」
けど怒りに我を失っているゼロードは夥しい血を流しながらも、後ろに跳んで斬られた胸を抑える。その光景に内心で強く舌打ちをした。
――くそっ、浅かったか
もうゼロードの事を斬ることを躊躇う気持ちなんてどこにもない。ただ俺の中にあるのはさっきの一撃の角度を悔やむ気持ちだけ。もう少し上から斬っていれば、戦闘不能にできたかもしれない。
いや、落ち着いて考えればもうゼロードは詰んでいる。今になってようやく気付いたけど、ゼロードは覇気を使用していない。何が起きたのか分からないけど、それなら今の傷でも戦闘を続行させるのは困難なはずだ。
「俺……がっ……」
胸を押さえながら膝をつき、肩で息をするゼロード。その姿は満身創痍で、もう戦えないように思える。俺は勿論の事、きっとシアも、この戦いを見ている南側の貴族たちでさえ、ゼロードが負けたと思っただろう。
「俺がっ……」
――ほら、やっぱり努力は裏切らないじゃないか
そんなことをゼロードの姿を見て思ってしまったから。
「俺が出来損ないに負けるかぁあああああ!!」
その叫びと共にゼロードの体を真っ白な光がベールのように輝いて包んだことに、ほんの一瞬驚いてしまった。
それが見たこともない『覇気』であることに気づいたときにはゼロードは床を蹴っていて。
この土壇場で覇気を新しい次元に上げたことにようやく気付いたときには間合いに入られていた。
今までに何度も打ちのめされてきた覇気の暴力。それを防ぐために剣を水平に構えて防御の構えを取りつつ――過去の痛みを思い出して、咄嗟に後ろに跳んだ。
情けないけど、それはきっと正解だったんだろう。そうしなかったらきっと、俺は俺の剣を砕いたゼロードの剣に体を斬られていた筈だから。
「ノヴァさん!!」
悲鳴に近いシアの声が、俺の頭に響き渡った。
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