第68話 少女を、救え
ローエンさんの後に続いて厨房に入れば、信じられない光景が飛び込んでくる。
「……え?」
声を上げたのは、近くのテーブルで菓子を片手に寛いでいるメイド達。長い事そうしているのか、菓子のゴミがテーブルの上に置いてあるのは俺の屋敷では考えられないことだ。
けど怠惰な様子の彼女達以上に信じられなかったのは、その奥。
たった一人で料理の準備を懸命にしている、ソニアちゃんの姿だった。
「ソニアちゃん!」
大声を上げて近づけば、ゆっくりとソニアちゃんが振り返る。
「っ!」
げっそりとした顔に、酷いくらいに黒くなった目の隈、そして光のない目をしている。こんなになるまで、この子は頑張ってきたって言うのか。
ただローエンさんの及ばなかった助けだけで、ずっとほとんど一人で。
「あっ……」
まるで糸が切れた人形のように崩れ落ちるソニアちゃんを、走って受け止める。腕の中のソニアちゃんは、息はある。けど目を瞑っているのに表情はとても辛そうで、見ていられなかった。
「……疲労による気絶ですね。とてもマズイ状況ではありますが、ギリギリ間に合ったようです」
すぐに駆けつけてくれたシアがソニアちゃんに何かの魔法をかけている。治癒の魔法なのか、少しだけどソニアちゃんの表情が和らいだ。
「一応魔法はかけましたが、気休め程度です。ベッドに寝かせて休ませましょう」
「ああ、そうしよう」
小さなソニアちゃんを抱えて立ち上がる。見かけ以上にソニアちゃんは軽くて、彼女の命がギリギリなんじゃないかって危機感を持ってしまった。
「…………」
その場で俺達を唖然とした表情で見つめるメイド達を強く睨みつける。ソニアちゃんをこんな状況にしておいて、こいつらは何も感じないのか?
……感じるわけがないか。俺に対しても、同じようなことをずっとやってきた奴らなんだから。
「……俺の部屋に運ぼう」
小さい頃はそれが当然だと思ってたけど、今は違う。俺の屋敷でターニャのお陰で色々な人に会って、シア達に会って、世の中にはこんなに良い人達もいるんだって思って、忘れていたんだ。
見ないようにしていただけで、分からないようにしていただけで、俺のいた場所にはクズしかいなかったってことを。
「……私はノヴァさんの屋敷に戻ってターニャさんを呼んできます。ソニアちゃんの世話をしてもらうなら、こんな屋敷のメイドではなくて彼女の方が何倍もマシでしょう」
「いや、比べるのも烏滸がましい。頼むよ、シア」
「……そうですね。行ってきます」
俺と同じように怒りを感じているシアは素早くゲートの魔法を行使して中に入った。
それを見送って、ローエンさんを伴って厨房を飛び出す。その間、その場にいたメイド達は一言も言葉を発しなかった。
廊下を走り、俺の部屋へ急ぐ。ローエンさんが歩を速めて、先に俺の部屋の扉を開けてくれた。彼はそのまま部屋の中に入って、ベッド周りを準備し始める。いつもの流れるような動きとは違って、必死だった。
「ありがとう、ローエンさん」
「いえ……私にはこの程度しか出来ませんから……」
悲痛な表情を浮かべるローエンさんを横目に、ソニアちゃんをベッドに寝かせる。とりあえず布団を被せたところで、部屋の扉が開いた。
「旦那様、ターニャはここに」
「ターニャ! 頼む、ソニアちゃんを助けてくれ」
「……これは、なんて酷い」
部屋に入ってきたターニャはベッドに近づいてソニアちゃんの容態を確認する。
「……ですが、なんとかなりそうです。奥様の魔法も効いているようですし、ここは私が。旦那様は他にやることがあるのでしょう?」
「ああ、頼んだ、ターニャ」
「お任せを。私は旦那様を小さいころから見てきた専属侍女ですので」
ターニャと頷き合う。ソニアちゃんは彼女に任せておけばきっと大丈夫だ。
「ターニャさん、私に出来ることはありませんか? なんでも……なんでも言ってください」
「ローエンさん?」
ローエンさんの言葉にターニャは一瞬顔を顰めたけど、すぐに真顔に戻っていた。
「……何があったのか分かりませんが、特にありません。私だけでなく2人のメイドにも来てもらっていますし、この子は小さいとはいえ淑女ですから」
「……そう……ですよね」
力なく返すローエンさん。ターニャには断られていたけど、ソニアちゃんのために少しでも力になりたいっていう気持ちは、痛いほど伝わってきた。
だから彼の肩に手を置く。驚いて振り返ったローエンさんに、言う。
「行こうローエンさん。父上のところへ。俺だけじゃなくて、ローエンさんからも言った方が、ソニアちゃんを早く俺の屋敷に移せるはずだ」
「そう……ですね」
ローエンさんと頷き合って部屋を出る。さっきターニャが言ったように部屋の前には俺の屋敷からシアが連れて来てくれた2人のメイドがいて、彼女達は頭を下げると素早く俺の部屋へと入っていった。
扉が閉まるのを見送って、俺とシアとローエンさんは父上のいるであろう執務室に向かって駆けだした。
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