第16話 生きる

「ーーそれがどうしたって言うの?僕は歩が好きだから、命が死んだほうが都合がいいんだよ」

「慰めて、手に入れるの?」

「そうだよ。悪い?」

「悪くはないけど、意外と君は口が悪いね。そっちが君の素なのかな?」


 余裕綽々に朝陽は笑う。


「俺は逆だと思うね。命の心臓をもらったほうが歩の心に響く。鼓動の度に、心臓を愛しく思うんだ」


 ヒロは朝陽を睨み付ける。


「“織部さん”のほうが良くない?」

「何が目的?君にはメリットがないと思うんだけど」

「企業秘密、かな?俺はどっちでもいいんだけどどうする?」


 視線が交差する。


「“不死原命”に危害を加えないって約束で良いのか?」

「そうなるね」

「で、“織部”を狙うわけか」

「そうだね。まぁ、他の人の心臓が見つかればそっちが優先だけど」

「……最近の探偵はそこまでするの?」

「んーん。これは個人的な依頼」



 じゃあねと朝陽は笑って去っていく。



「ーーどうしたら、歩は僕のことを好きになってくれるかな?」



 ☆



「ふぅ、これで一段落ですね、馨さん」

「そうですね。これで父さんが受けていた依頼は完了です」

「さ、これからどうしますか?しるべさんを探すことに専念するか、探偵業を続けるか、選択肢はふたつです」


 馨はじっと考える。


「専念することのメリットは?」

「何らかの事件に巻き込まれていると仮定すれば、無事で導さんを見つけられる可能性が高いです」

「探偵業の継続のメリットは?」

「導さんの帰ってくる場所を守れます。それに、他の依頼に隠れて行方を探しやすいです」

「悩みますね。空ならどちらを選びますか?」

「後者ですね。あなたの無事が最優先ですから」


 ふふとふたり共笑いだす。


「はー、空に敬語使われるのって変な感じです。普段は普通通りに話してください」

「そうするよ。で、馨はどっちを選ぶ?」

「後者、ですね。早く助けたい想いはありますが、急がば回れって言葉もありますしね」


 ちょうどいいタイミングで電話が鳴る。


「ーーお電話ありがとうございます。日比谷探偵事務所です」



 ☆



「ーー集中できないなら、出て行ってください。治療の邪魔です」



 バッサリと美鳥が命に告げる。



「美鳥、状態はかなり悪いのか?」

「悪いですね。家族に危篤の連絡をお願いしています」



 命だけがひとりぽつんと取り残されている。



「ーー出ていけと言ってるのがわかりませんか?」



 厳しい視線が命を刺す。



「話は聞いた。替わる。だから、お前は出ていけ」


 トンと背中を叩かれる。そこには信長がいた。


「安心しろ。知ってるだろ?俺は失敗しない」



 ガラガラとストレッチャーが動かされている。



 助けたいのに動けない。

 自分はなんだ?

“医者”じゃないのか?



 ソレナノニ、ナニヲシテイル?



「ーー命っ!しっかりしろ!お前はあいつの“恋人”である前に“医者”だろう!?」



 命は織部に壁に強く叩きつけられる。



「逃げんな!動け!じゃないと、一生後悔することになるぞ!?」



 織部の言葉にやっと命は動き出す。




「……こんなとこで死ぬなよ、桐葉歩」


「ーーほら、来ましたよ。柚木ゆずきさん」


 急いで追いかけてきた命に美鳥は微笑む。


「これでランチ、ゲットですね」

「ちっ、仕方ねぇな。ケチケチしないでディナーにするか」

「私はどちらでも良いですよ?あ、でもせっかくですからめちゃくちゃ変わった斬新なものがいいです」

「どんなんだよ、それ」


 あたたかく出迎えてくれる同僚たちに感謝しかない。


「用意は出来たか、命?」

「はい」

「メインは美鳥で行く。心臓は美鳥の専門分野だからな」

「手短に説明します。桐葉さんは心筋梗塞を起こしています。普通ならカテーテルを適用しますが、造影剤の結果詰まっている場所がカテーテルでは不向きですので、バイパス手術を行います」



 しっかりと皆は美鳥の言葉に頷き、手術が始まる。



 お願いだ。

 どうか助かってくれ。

 まだ死なないでくれ。

 伝えたいことがまだいっぱいあるんだ。

 一緒にしたいことがいっぱいあるんだ。


 こんな“さよなら”は嫌だよ。

 だから、生きて。

 愛してる、命ーー。



 ☆



「お疲れさん、命」

「……織部、助かった。ありがとう」



 手術を終えた命を待っていたのは織部だった。



「一緒にいなくていいのか?」

「着替えたら行くつもりだよ」

「そっか。……ひとつ謝っとく。俺はあいつを責めた。発作を誘発させたのは俺かもしれない」

「何て言ったの?」

「“愛する人に“殺人”をさせるなんて、俺にはできねぇよ。俺なら絶対に止める。お前の愛情は“偽物”だ”って言った」

「少し違うところがあるかな。織部の言う“殺人”は“安楽死”だろ?“安楽死”は歩くんと出会う前からやってたんだよ」

「止めなかったんだから一緒だ」

「歩くんは私を止めようとしてくれたよ。私が言うことを聞かなかったんだ。だから、歩くんは悪くない」


 まっすぐな視線に織部ははぁと溜め息をつく。


「お願いがあるんだ」

「なんだ?」

「私の心臓を歩くんに移植して欲しい」

「……お前、俺の職業知ってるよな?」


 もちろんと命は頷く。


「薬剤師がどうやって手術をするんだよ?仮に出来たとしてもやるわけないだろ。……って、ドナーなのか!?」

「そうなんだ。知ったときはただ嬉しかった。歩くんを助けることが出来るから。一緒に生きたいとも思うけど、歩くんの身体の一部になって生きていくのもいいかなと思うんだ」


 迷いのない命の視線に織部は苦笑する。


「初めてだな。お前がこうやってお願いを口にするなんて。でもな、お前が歩を大切に思うように、俺だってお前を大切に思ってる。でも、“安楽死”と“殺人”をやめるならひとつ案がある」

「案?」

「俺の心臓をやるよ」


 驚きに命は息を飲む。



「ーーそれでふたりで幸せになればいい」



 ☆



「ーーなんだ、その目は?」


 理由はたぶんなんだっていいのだろう。

 目があっただけで、朝陽は蹴られていた。

 中学生のはずの朝陽は本来なら学校に行かなければならないが、外出を許されていなかった。


「ちょっと、顔に傷はつけないでよ?この子、顔が売りなんだから」


 母親とその交際相手と朝陽の3人が一緒に暮らしていた。ふたりとも働いておらず、朝陽を売り生計を立てていた。


 世の中にはいろいろな嗜好の者がいる。

 そんな人たちの欲を満たすため、お金のために朝陽は利用されていた。



 死にたかった。

 死のうとした。

 だが、許されなかった。

 死なない程度に食事を与えられていた。

 正直、殺して欲しかった。

 死んでしまいたかった。



 心も身体も傷だらけだった。



 だが、そんな生活にも終わりはやってくる。



「ユウ!いたよ!」


 綺麗な髪色の男がユウという人を呼んでいる。


「保護対象だね。えーと、君の名前は?」


 綺麗なアメジスト色の男が聞いてくる。


「……小桜朝陽、です」

「俺は巽麗央」

「僕は真島優人だよ」


 すっと手が伸びてきて、咄嗟に目をぎゅっと瞑る。抵抗したり、声をあげたら、暴行は長引くことが多い。静かにして、酷いことをされているのは“自分”じゃないと思い込んで、ひたすら待つのが一番安全だ。


「あ、ごめんね。配慮が足りなかったし、状況の説明もしてなかったね。僕たちはリベルテという組織なんだ。リベルテ《自由》の精神で活動してる」

「で、今回のターゲットの主要人物が朝陽の親だったわけ」

「……死んだの?」

「親のことかな?まだ殺してないよ。聞かなきゃいけないことがまだいっぱいあるからね」


 警戒している朝陽にふたりは笑いかける。


「良かったら一緒に来るかい?少なくとも僕たちは君に酷いことをするつもりはないよ」


 差し伸べられる手を朝陽はぎゅっと握った。


「ーーこれで君は自由だよ」


 ☆


「織部、何を言ってるんだ……?」

「違ったか?俺が命の恋人のドナーだと聞いていたんだが」


 当たり前のように答える織部に命は動揺していた。


「俺の心臓をあいつにやる。だから、もう殺人をやめるんだ。お前の手は人を殺すためじゃなくて、人を生かすためにあるんだ」

「言ってる意味わかってる?一生が死ぬんだよ?」

「あ、久しぶりに名前呼んでくれたな。ま、そういうことだから覚えといて」



 去っていく織部は仄かに笑っていた。



 やっとあいつの力になれる。

 そう考えると嬉しかった。


 子どもというものは不便で、いくら命がおかしいと訴えても相手にされなかった。

 どんなに助けたいと思っても助けられなかった。


 でも、もう遅いかもしれないけれど、やっと願いが叶う日がきた。


 どうか、素敵な人生をーー。


 ☆


「そう!上手だよ」


 現代の日本において、普通に生活してきたら読み書きが出ないことはまずあり得ないことだろう。


 優人と麗央はふたりで少しずつ朝陽を“普通の人間”にしていった。

 最初は警戒心の塊だった朝陽は、少しずつだがふたりに心を開いていった。



「いってらっしゃい」

「いってきます」

「気をつけてね」



 朝陽は学校にも行くようになっていた。



「麗央、ちょっと僕は情報収集をしてくるよ」

「ユウ、無理すんなよ」


 麗央は背後から優人を抱き締める。


「あんた、拷問苦手じゃん」

「それを言うなら、麗央もだろ?」


 ぽすんと優人は麗央の身体にすっぽりと収まる。


「もう情報は出ねーよ。だから、死ぬまで放置すればいい」


 麗央が唇を重ねる。優人もそれを受け入れた。


「してもいい?」

「……聞かないでくれ」

「耳、真っ赤。ユウ、かわいい」


 蕩ける笑みに優人は麗央を見つめることができず、視線を逸らす。


「愛してる」


 ☆


「ーー峠は越しましたよ。これでおそらく大丈夫です。あなたは桐葉くんのところに行かないのですか?」

「いけませんよ。身内じゃないですから」

「“恋人”なのに?」


 歩との関係を知らないはずの美鳥の言葉に命は驚く。


「……男だから、行けない。両親に知られたら、ダメだから」

「でも、彼が見たいのはあなたの姿ではありませんか?」


 その言葉に命はぎゅっと唇を噛み締めて、歩のもとに向かう。



「……ひょっとしてあなたが命さん?」

「はい。そうですが、どうかされましたか?」

「この子、ご存知かもしれませんが、週末には私たちの元に帰ってくるんです。ずっとあなたのことを話すんですよ」

「私のことを?」

「恋人だと言っていました。今の今まで、認められなくて、信じたくもなかったのですが、あなたの目を見て本当のことなんだと思い知らされました」

「どうか息子をよろしくお願いします」


 笑顔で握手が交わされる。


「ーーずっと、私は歩くんのことを愛し続けます」

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