第112話 平行線の結果


 それから大喧嘩。

 産む、産まないの大喧嘩が起きた。


 妻は子供を産みたかった。

 男として育てられ、結婚も出産も諦めていたからこそ産みたかった。機会がないならともかく機会に恵まれたのだ。なんとしても産み育てたかった。

 母親になりたかった。


 夫は子供を必要としていなかった。

 妻を誰の目にも留めさせたくないから閉じ込めた男だ。我が子だろうと妻を奪うなら敵である。何より出産は命がけだ。子を産み落とすことで妻の命が脅かされることを厭った。

 子供より妻の命が大事だった。


 だから妻は産みたかった。

 だから夫は産ませたくなかった。


 主張は平行線。しかし味方がいないのは妻の方だった。


 夫は使用人に堕胎薬を用意する指示をする。それを聞いて発狂し、出される食事を拒否した。何に堕胎薬を仕込まれているかわからないから。

 夫が望むからと部屋に閉じ籠もっていた妻は、味方がいなかった。

 食事をするのが怖い。しかし食事を取らなければ子が死んでしまう。でもその食事に堕胎薬が仕込まれているかもしれない。

 疑心暗鬼で衰弱する妻。君を失いたくないから聞き入れてくれと説得してくる夫。

 追い詰められる中、彼女に手を差し伸べたのは。


『奥様。このままでは御子が死んでしまいます』


 庭師の男だった。

 部屋に閉じ込められても、窓から見える庭が彼女にとって唯一の慰めだった。約束を守る妻のため、夫は庭に金をかけていた。何人も庭師がいて、庭はいつも彩り豊かだった。

 その中の一人、若い庭師が青ざめた顔で庭を眺める彼女に声を掛けた。


 本来なら庭師が公爵夫人に声を掛けるなどあり得ない。処分を受けることを覚悟して、彼は彼女に声を掛けた。


 彼は、出産で妻子を失っていた。

 だからこそ、夫の不安が理解できる。

 死んでも産みたいと泣いた妻の覚悟も知っていた。

 だけど今のままでは出産を待たずしてどちらも死んでしまう。


『このままではいけません。お逃げください』


 この屋敷には彼女の味方がいない。

 味方であるはずの夫が彼女の意思を汲み取れない。お互い平行線なのだ。平行線でも、衰弱して一番危険なのは腹の子だ。


 出産で妻子を失った男にとって、健康に生まれる可能性のある子が危険にさらされるのは我慢ならなかった。


 距離を置くべきだ。

 距離を置いて、腹の子を守るべきだ。

 健康でないと、母子ともに危険な状態になる。


 そう言った庭師に、彼女も頷いた。

 このままでは腹の子を失い、愛した男も憎んでしまう。


 だから彼女は庭師の男と逃げた。

 それが第三者から見てどう映るか、想像する余裕は一切なかった。


(駆け落ちだ――――!)


 話を聞いていた私は空気を読んで、心の中で絶叫した。


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